目的地はあるが、まっすぐに続く道はない。いや、あるのかもしれない。知らないだけかも。でも、知る必要もない。だって、ドアトゥドアには興味がないのだ。自転車に乗って、ぶらぶら目指す雑司が谷。なんと、時を止めた楽園がそこにはあった。
池袋駅から1㎞ほど南東に、雑司ヶ谷霊園がある。夏目漱石、小泉八雲、泉鏡花など文人が多く眠る地だ。その近くに、昭和なラーメン屋があると聞いた。
阿佐ヶ谷の自宅から雑司ヶ谷までは約9㎞。自転車でのんびり走っても1時間足らずで行ける。これじゃ腹も減らないよなぁ。
そもそもなぜ自転車か、というと第一に、腹を減らし、麺をおいしくいただくためだ。子供の頃から食い意地と頭がおかしかった僕は、晩飯がすき焼きだとわかると、腹を空かせてより大きな喜びを得ようと、町内を駆けまわっていたのだ。
第二に、運動してカロリーを消費し、汗を出して塩分を排出することで、ラーメンなどの塩分高め、かつ高カロリー料理を、高笑いしながら食べるためだ。1日100㎞を走るような本気の自転車旅行だと、逆に、塩分とカロリーを摂るためにラーメンを食べる。スープも全部すする。中国を走ったときなど、昼は毎日麺だった。ペダルを漕ぐとなぜか無性に麺が食べたくなる。
自転車と麺には、銭湯とコーヒー牛乳のような親和性があるのだ。
というわけで、また迷いながら走りまわって腹を減らそう。自宅を出発し、気の向くまま細い路地に入っていく。この瞬間から僕は自由になる。今日はどんな“お宝”に出会えるだろう?
軽やかな気分で走っていると、早速好物が現れた。昭和な看板建築だ。……って、なんじゃこの絵?
レトロとモダンの融合――アートフェスの作品みたいだ。
向かいの家もカッチョよかった。
建てられたのは戦前か、戦後か。いつも思うのだ。いま建てられている家たちが50年後、これほどの色気を帯びるだろうかと。
それにしても今日は寒い。予報だと最高気温5℃。寒風が吹き荒れている。顔が紙ヤスリでこすられるように痛い。
蕎麦屋さんの看板が目に留まった。
「春野菜天ぷら」
なんの冗談かと思ったが、今は2月中旬。暦の上では春だ。でも無理があるよなぁ、と思いつつ、次に現れた寺の境内に入ってみると、梅が咲き始めているのだった。
隣の神社にも入ってみると、境内には「力石」があった。力試しや力較べに使われていた石だ。東京にもあったんだ。
担ぎ上げるなんて絶対無理、と思える巨石が十数個並んでいる。石には字が刻まれていた。
「上村 五拾〆余 新太郎」
〆は貫だから、「50貫あまり」ということは200kgほどか(1貫=3.75kg)。
「上村」という字にも興が湧いた。東京のこの市街地も村だったのだ。ふんどし姿の男たちが力較べをしている図が頭に浮かんだ。
いまはなんという地名だろう。道路に出て街区表示板を見ると、「白鷺」。――田園風景が目の前に広がるようだった。
細い路地を縫うように走る。
住宅街にいきなり可愛い五重塔が見えた。
五重塔を過ぎてからも、神社や寺が次から次に現れた。
先月、ミャンマーを自転車で走って、いたるところに金色の仏塔や寺があることに驚いたのだが、日本も負けていない。僕にとっては日本の寺社は当たり前すぎて、普段は心にも留めないが、外国人の目にはエキゾチックなはずで、日本も神や仏だらけの国だと映っているのだろう。
宝探しは続く。古きよき廃屋を見つけ、シャッターを押したら、心霊写真が撮れた。
方位磁石で、雑司ヶ谷の方角の西北西だけチェックしつつ、適当に路地に入っていく。
商店街に出たところで、ふいに鳥肌が立った。えっ、もしかして……。
「沼袋」という街区表示板が見えた。
「ああ、やっぱり……」
不思議な気持ちになった。
世界一周自転車旅を終えた直後、この街に住む友人Yのアパートに居候させてもらったのだ。
Yはバイクで世界一周したあと、カメラマンになろうと、ここ沼袋の線路沿いの安アパートに住んだ。家賃は2万円台で、風呂ナシ、トイレ共同、電車が通るとCDが飛び、コップ酒が揺れた。僕は僕で物書きになる夢を抱え、Yのアパートで原稿を書き、企画書をつくり、出版社まわりをした。ふたりとも金はないけど、夢と無鉄砲なエネルギーだけはあった。
たかだか15年ほど前のことだが、大昔のように思える。街が一変したのか、僕の“猿脳”のせいか、見覚えがあるのは川と橋と牛丼屋ぐらいだった。それなのに、さっき商店街に入った瞬間、街の空気に懐かしい匂いを感じ、鳥肌が立ったのだ。鮭が故郷の川を匂いで嗅ぎわけるように。
記憶を頼りに当時のYのアパートを探してみた。線路沿いだったからすぐに見つかると思ったが……ない。沿線は再開発の工事中だった。あの家も取り壊されたのかもしれない。Yは知っているだろうか、と思った。今度会ったとき、この小旅行の話をしよう。
Yはその後、カメラマンとして成功し、今は立派なマイホームに妻子と住んでいる。
郷愁に浸りながら時計を見ると、14時過ぎだった。
「あかんがな!」
目指すラーメン屋の昼の営業は15時までだ。家を出たのが12時。余裕で間に合うと思ったのに。
徘徊をやめ、西武新宿線に沿ってまっすぐ走る。このまま行けば雑司ヶ谷だ。
山手線をくぐると、都電荒川線の線路に出た。東京唯一の路面電車だ。一両の車両が道路の上をゴトゴト走っていく。いいなぁ。電車を追いかける。「面影橋」に出た。停留所の名前までノスタルジックだ。カメラを取り出し、画角を決める。レトロな車両を待つ。来た。パシャ。……イマイチやな。次のレトロ車両を待つ。現代風の車両はやり過ごす。時計を見る。14時50分。
「ア、アホか!店終わるがな!」
あ、来た。パシャ。
どうしよう。ラーメン店の昼営業にはもう間に合いそうにない。夜は17時からだ。
じゃあのんびり行くか、と都電の線路周辺をうろうろ走る。
鬼子母神駅で右に折れた。ラーメン店はたしかこのあたりだ。場所だけ確認しておこう。
いまだにスマホを持っていない僕の“ナビ”は、地元住民の皆様だ。わからなかったら人に聞けばいい。
商店街が現れた。お、なんか匂うぞ、と思ったら、ドンと出た。
「ど、どういう店?」
自転車を停め、歩いて中に入ってみる。アーケードのようになっているが、営業しているのは一軒の八百屋だけだ。八百屋を過ぎると、長屋のような建物になった。各戸の戸口がアーケードの中についている。かつては子供たちが駆けまわっていたのだろうか。
猛烈に腹が減ってきた。朝から何も食べていないのだ。再び自転車に乗って、商店街をふらふら走る。路地から香ばしい匂いが漂ってきた。見ると、古そうなせんべい屋だ。色あせた看板に「塩バターせんべい」の文字。こういうせんべいって、昔からあったんだ。
写真を撮っていると、人がどんどん店に入っていく。出てくる人は両手に大量の袋を提げている。ひとりのおばさんに声をかけ、「ここ、おいしいんですか?」と聞いてみると、おばさんは無垢な少女のように目を輝かせ、「おいしいですよ~」とにっこり笑った。
中に入ると、昔の駄菓子屋のようだった。いろんな味のせんべいが並んでいる。
売り場の横が工場で、大時代的な焼き機があった。今日の製造は終わっているようだ。職人風のおじさんが少女と遊んでいる。話しかけてみると、おじさんは陽気に答えてくれた。
「創業67、8年かなー。お薦め?そんなのないよ。目玉商品を決めたほうがいい、って人から言われて、“あまから”をそれにしたけど、味覚なんて人それぞれだからね。好みだよ。アンケートをとって好みの傾向を分析、みたいなことをウチらがやっても仕方ないから。俺は好きなのをつくるの。遊びでやってんだよ。麦茶味とかウーロン茶味とかは全然売れなかったから、すぐやめたけどね(笑)」
石油バーナーを使って、鉄板で焼いているという。焼き機は創業当時からのものですか、と聞くと、とんでもない!と主人は答えた。
「高温で焼くから、20年でダメになるよ」
3種類のせんべいを買った。腹が鳴って仕方がない。すぐにでも食べたかったが、主人と長話をしたおかげで16時をまわっていた。
とりあえずラーメン屋を探そう。鼻をヒクヒクさせながら、周辺をぐるぐる走る。
雑司ヶ谷霊園に出た。いかにも都心部の墓地だ。
店は墓地の近くと聞いているが、墓地自体がえらく広かった。こりゃ探すのは骨だぞ。
当てずっぽうに走りまわっていると、路地の奥に古い蔵が見えた。渋いな。大谷石かな。引き寄せられるようにその路地に入っていくと、いきなり中華そばの看板が現れた。
うーん、イイ感じ!
走りまわったおかげで、腹も最高潮にぐうぐう鳴っている。“より大きな喜び”のための準備は、もうだいぶ前からできあがっていた。
このあと、衝撃的な一杯をいただくのだが、さすがに今回は寄り道が過ぎて、紙幅が尽きました。
……って、紙ちゃうがな!
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ