「J-COOK」。夫婦とスープの30年。
「J-COOK」と開店の頃。

「J-COOK」と開店の頃。

銀座で独立した後、神宮前の路地裏に移り、開業したのは“パリの香りがするレストラン”ではなく、“毎日でも気軽に通えるカフェ”だった。「J-COOK」と名づけられたこの店で、スープが出されるまで。

ヨーロッパのカフェ文化を日本にも。

物件を決めた当初、敦子さんはてっきり、かつて年秀さんが勤めていた代官山の「シェ・リュイ」のような、“パリの香りがする可愛らしいレストラン”を出すものだと思っていた。
ところが、年秀さんの頭の中にあったのは、パリでの修行時代にひとりフランス語を勉強したり、仕事終わりのくたくたの体でふらっとビールを飲みに訪れた“カフェ”。「毎日でも通える店にしたいのだ」と。

懐かしいダイヤル式のピンク電話が現役。電話がかかってくると、ジリリリリリリリリン、とアナログな音を立てる。
懐かしいダイヤル式のピンク電話が現役。電話がかかってくると、ジリリリリリリリリン、とアナログな音を立てる。

とはいえ、カフェといっても最初はわかってもらえないだろう。ここは喫茶店じゃないのか、スポーツ新聞は置いていないのか。お客さんにそう言われるかもしれないし、開店後には実際、そう指摘されたこともたびたびあった。
「表からは料理を出す店に見えないし、主人はコック服も着ないし、シャツにエプロンつけてカジュアルだし」と敦子さんは懸念したが、年秀さんは“店名で知らせる”ことにした。

「COOK」がつけば、料理を出す店だと伝わるだろう。
日本人がつくる料理だから、「J」をつけよう。

こういった意匠は、すべて年秀さんによるものである。
こういった意匠は、すべて年秀さんによるものである。

幸運なことに、当時はDCブランド最盛期で、パリやニューヨークで活躍するクリエイターの事務所やアパレル会社が界隈に集まっていた。その人たちには、すぐにわかったのだ。年秀さんと敦子さんが、この店でやろうとしていることを。

エプロン姿で、西洋料理を。

西洋料理がベースだが、ピラフやカレーなど、ごはんメニューをおいたのは、店名との整合性をとってのこと。店前の黒板には、「コーヒー一杯でもお気軽にどうぞ」と書かれている。バニラの鞘で香りづけしたブランデーを、目の前でたらりとかけてくれる“ポットドクレーム”(プリン)、素材の味が弾けすぎる“レモンスカッシュ”、いまとなっては「インスタ映えする」と女性客に大人気のマジパン細工のまゆげ犬など、料理だけでなくデザートやドリンクまで抜かりなくおいしい。これらを、エプロン姿の年秀さんがひとりでつくっているとは、つくづくすごいなと思う。

“ポットドクレーム” 450円。シンガーソングライターの寺尾紗穂さんが、この「プリン」を歌詞にしている。
“ポットドクレーム” 450円。シンガーソングライターの寺尾紗穂さんが、この「プリン」を歌詞にしている。
“レモンスカッシュ”500円。きっちり酸っぱいのがいい。
“レモンスカッシュ”500円。きっちり酸っぱいのがいい。

もっともこれは後付けらしいのだが、店名の「J」は、ふたりが好きな音楽家に「J」のつく名前が多いから、という理由もある。
ジョー・コッカー、ジェイムス・ブラウン、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス......。
「ほかに誰がいたかな」と、再生しすぎてテープ部分が伸びてしまったというカセットテープを引き出しから取り出そうとする敦子さんに、常々気になっていることを訊ねてみた。

“ハンガリー鶏肉カレー”1,000円。パプリカ粉を多用するハンガリー料理から着想を得て、パプリカ粉と塩でマリネした鶏モモ肉入り。ちなみに中尾夫婦はハンガリーに行ったことはない。
“ハンガリー鶏肉カレー”1,000円。パプリカ粉を多用するハンガリー料理から着想を得て、パプリカ粉と塩でマリネした鶏モモ肉入り。ちなみに中尾夫婦はハンガリーに行ったことはない。

「ところで、スープは開店当初からこんなに種類があったんですか?」
「ありましたよ」
「なぜ?」

すると敦子さんは、奥の厨房にいる年秀さんに向かって、こう言った。
「としさん、スープがなぜこの店に現われたのかって。スープ専門店でもないのに」
「なぜだろう、おいしいから?」

「J-COOK」の物語は、だいたい敦子さんの口から語られる。しかしわからないことがあると「としさん、としさん」と厨房に向かって呼びかける。
「J-COOK」の物語は、だいたい敦子さんの口から語られる。しかしわからないことがあると「としさん、としさん」と厨房に向かって呼びかける。

あまりに当たり前すぎることへの理由を唐突に聞かれて、ふたりともどう答えていいかわからないようだった。

――つづく。

“にんじんとお米のスープ”、仕込み中。
“にんじんとお米のスープ”、仕込み中。

店舗情報店舗情報

J-COOK
  • 【住所】東京都渋谷区神宮前3-36-26
  • 【電話番号】03-3402-0657
  • 【営業時間】8:00〜21:30(L.O.)、日曜11:00〜17:30(L.O.)
  • 【定休日】月曜
  • 【アクセス】東京メトロ「外苑前駅」より5分

文:西市鈴 写真:阪本勇

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西市 鈴(編集・執筆業)

関西出身。毎週雑誌をつくっています。主に食関係から、人物インタビューまで。普段の生活は、ささやかな食に、映画と音楽があれば満足。