銀座で独立した後、神宮前の路地裏に移り、開業したのは“パリの香りがするレストラン”ではなく、“毎日でも気軽に通えるカフェ”だった。「J-COOK」と名づけられたこの店で、スープが出されるまで。
物件を決めた当初、敦子さんはてっきり、かつて年秀さんが勤めていた代官山の「シェ・リュイ」のような、“パリの香りがする可愛らしいレストラン”を出すものだと思っていた。
ところが、年秀さんの頭の中にあったのは、パリでの修行時代にひとりフランス語を勉強したり、仕事終わりのくたくたの体でふらっとビールを飲みに訪れた“カフェ”。「毎日でも通える店にしたいのだ」と。
とはいえ、カフェといっても最初はわかってもらえないだろう。ここは喫茶店じゃないのか、スポーツ新聞は置いていないのか。お客さんにそう言われるかもしれないし、開店後には実際、そう指摘されたこともたびたびあった。
「表からは料理を出す店に見えないし、主人はコック服も着ないし、シャツにエプロンつけてカジュアルだし」と敦子さんは懸念したが、年秀さんは“店名で知らせる”ことにした。
「COOK」がつけば、料理を出す店だと伝わるだろう。
日本人がつくる料理だから、「J」をつけよう。
幸運なことに、当時はDCブランド最盛期で、パリやニューヨークで活躍するクリエイターの事務所やアパレル会社が界隈に集まっていた。その人たちには、すぐにわかったのだ。年秀さんと敦子さんが、この店でやろうとしていることを。
西洋料理がベースだが、ピラフやカレーなど、ごはんメニューをおいたのは、店名との整合性をとってのこと。店前の黒板には、「コーヒー一杯でもお気軽にどうぞ」と書かれている。バニラの鞘で香りづけしたブランデーを、目の前でたらりとかけてくれる“ポットドクレーム”(プリン)、素材の味が弾けすぎる“レモンスカッシュ”、いまとなっては「インスタ映えする」と女性客に大人気のマジパン細工のまゆげ犬など、料理だけでなくデザートやドリンクまで抜かりなくおいしい。これらを、エプロン姿の年秀さんがひとりでつくっているとは、つくづくすごいなと思う。
もっともこれは後付けらしいのだが、店名の「J」は、ふたりが好きな音楽家に「J」のつく名前が多いから、という理由もある。
ジョー・コッカー、ジェイムス・ブラウン、ジャニス・ジョプリン、ジミ・ヘンドリックス......。
「ほかに誰がいたかな」と、再生しすぎてテープ部分が伸びてしまったというカセットテープを引き出しから取り出そうとする敦子さんに、常々気になっていることを訊ねてみた。
「ところで、スープは開店当初からこんなに種類があったんですか?」
「ありましたよ」
「なぜ?」
すると敦子さんは、奥の厨房にいる年秀さんに向かって、こう言った。
「としさん、スープがなぜこの店に現われたのかって。スープ専門店でもないのに」
「なぜだろう、おいしいから?」
あまりに当たり前すぎることへの理由を唐突に聞かれて、ふたりともどう答えていいかわからないようだった。
――つづく。
文:西市鈴 写真:阪本勇