“怖くて入りにくい”というハラルフード店のイメージを、がらりと変えたのは「ジャンナット ハラルフード」店主のライハン・カビール・ブイヤンさんだ。1日5回の礼拝を欠かさない信心深い男。本格的なスパイスから怪しげな果実まで、日本人にとって未知なる食材をずらりと揃えるライハンさんって、いったいどんな人なんだろう?
「THE JANNAT HALAL FOOD(ジャンナット ハラルフード)」のことを詳しく知りたくなって、店員さんに店主を紹介してほしいとお願いしたら、「今は礼拝中で不在」だという。店主はバングラディシュの出身。バングラディシュは一部地域が、東パキスタンであったことからもわかるように、イスラム教徒の多い国。店主も敬虔なムスリムで、イスラム横丁内にあるモスクに礼拝に出かけていたのだ。イスラムの礼拝と聞き、私は妙に「アザーン」のことが気になった。
イスラムの礼拝は1日に5回。その時間を知らせる呼び声がアザーンだ。キリスト教でいえば、教会の鐘の音のようなもの。かつてモロッコのタンジェという町で、それを聞いたことがある。
船でスペインからモロッコへ渡った私は、タンジェの港からほど近い「ホテル・コンチネンタル」に宿泊した。ここはベルナルド・ベルトルッチ監督が撮影した映画「シェルタリング・スカイ」のロケ地として知られている。もう20年近く前のことなので、今は様変わりしているかもしれないが、ビルっぽい外観とは異なり、内部は随所にムーア様式(イスラムの影響を受けたデザイン様式)が見られ、エキゾチックな美しい建築だった。
......と、ここまではよかったのだが、私が宿泊した部屋の窓の外には電柱のような柱が立っていて、そこにくくりつけられた大きな拡声器が部屋のほうをしっかり向いていた。翌日の早朝、その拡声器から突然けたたましい音量で、アザーンが流れてきたのだ。旅をしていた頃の世界情勢がすこぶる悪かったので、アザーンを初めて聞いた私は訳が分からず“まさか、戦争が始まったか!”とパジャマのままフロントに駆けていき、モロッコ人スタッフに苦笑された。
エジプトの土産物店にはアザーン時計というものが売っていた。時間をセットするとアザーンが流れる、目覚まし時計のようなものだ。何個か購入して友人にあげたが、やはり音が大きすぎて、おおむね不評だった......。
そんなことを思い出し、ふと疑問に思ったのだ。「イスラム横丁にはアザーンは流れるの?」と前述のまつ毛くりんくりん君に聞いたところ、「流れないよ」とのこと。でも、アザーンがないと礼拝の時間がわからないのでは?再度尋ねると、今は便利なアプリがあるんだよ、とスマホのアザーンアプリを見せてくれた。イスラム教の礼拝時間は毎日同じ時間というわけではない。だから、アザーンはなくてはならないのだが、そうか、アプリか......。音を聞かせてもらうと、ピコピコという軽い電子音だった。
そうこうしていると、店主のライハン・カビール・ブイヤンさんが礼拝から戻ってきた。ライハンさんは現在40歳。2002年にコンピュータの勉強のため、来日。旅行会社に勤務した後、2007年に「ジャンナット ハラルフード」をオープンさせた。東南アジアやインド、バングラディシュ、パキスタン、ネパールほか、サウジアラビアやマグレブ(北西アフリカ諸国)の人たちも訪れるという。店内で会話を交わした女性は常連客で、お母さんがナイジェリア系イギリス人、お父さんがイタリア人という国際色豊かなお嬢さんだった。
食材や日用品の販売だけでなく、中古車の買い取りや日本とバングラディシュのビジネスコンサルタントも行う、なかなかの“やり手”だ。多方面で活躍していくなかで、母国や周辺の国々の人たちだけでなく、日本人にも喜ばれるビジネスセンスが磨かれたのだろう。スパイスのラベルのことを熱く語ったら、ライハンさんが嬉しそうに笑ってくれた。
ライハンさんがバングラディシュ出身と知ったので、この店に“メイド・イン・バングラデシュ”のものはありますかと聞くと、なにやらうすら黄色い怪しげな塊を差し出した。“タルミスリ”という、サトウキビが原料の手づくりの砂糖で、バングラディシュ人はお茶に入れるそうだ。1袋は100gで120円だった。手づくりの割には安い。舐めてみると、案外すっきりとした甘味。写真家の阪本さんは「綿菓子みたいな味」と気に入っていた。
店の外には、段ボール箱の中に見たことのない野菜やフルーツが。“ドラムスティック”という、南インドのスープ仕立ての野菜カレー“サンバル”に使う野菜も無造作に突っ込まれている。そして、もうひとつ、私たち取材チームがロックオンされたのが、“アムラ”だ。ピンポン玉大の淡い緑色をした実で、インド、バングラディシュ、ネパール、パキスタンなどの国で採れるという。100g120円とこちらもお安いのだが、調べてみたら、“アムラ”は若返りの実らしいのだ。抗酸化作用があり、美肌効果も抜群だとか。今の私に一番必要なものじゃないか!そんなことも知らず、恐る恐る齧ってみると、酸っぱ――――――――――――い!悶絶するほど酸っぱいのだ!そして、ちょっぴりエグい......。
何とも渋い表情をしている私たちに、ライハンさんが「この実を齧ったあとに水を飲むと、水が甘く感じられるよ」と教えてくれた。口の中に酸味が充満していた私、そして星野さん、阪本さんは急いで水を調達し、がぶがぶと飲みはじめた。が、しかし、水は水のままだった。私「甘くなりました?」星野さん「うーん......」阪本さん「わからへんなあ......」。
頭の中に「?」が充満したまま、店を後にし、ライハンさんが礼拝をしていたモスクが入居(?)するというビルへと移動した。
――つづく。
文:佐々木香織 写真:阪本勇 イラスト:UJT(マン画トロニクス)