築地に行ったら、えらく賑わっていた。以前と変わらない?いや、以前よりも人出は多いんじゃないかな。場内市場が移転して、心配になって様子を見に来たら、お呼びでない?築地は永遠のアイドルですよ。こりゃまた失礼しました。
ラーメン屋「若葉」は盛況だった。
カウンター席は埋まり、歩道に置かれた立ち食い用のテーブルも人で一杯だ。中国人グループが立ってラーメンをすすり、白い息を吐きながら早口で何か喋っている。まるで中国の朝みたいだ。
その前を通り過ぎ、隣の魚卵専門店「田所食品」に挨拶にいった。『dancyu』2016年1月号に築地場外市場の特集記事を書いたのだが、その際、取材させもらった店だ。
看板母さんの田所惇子さんがこぼれんばかりの笑顔で迎えてくれた。変わらないなあ。3年前もその笑顔に癒され、記事には「恵比須様の化身」と書かせてもらったのだ。取材だから買います、と言っているのに、「食べて食べて」と僕の手にいくらや明太子をどんどんのせて試食させてくれたっけ。
「店、大きくなりましたね」
「そう、隣の蕎麦屋さんが店を閉めてね、ウチが広げたの。50年以上の付き合いだったんだけどねぇ」
お母さんは寂しそうに笑う。
「去年の火事は大丈夫でしたか?」
ラーメン屋「井上」から出火し、7棟を燃やした火事は、同じ通りの数棟先で起こったのだ。
「煙がすごかったですよ」と、電話がかかってきたお母さんに代わって、若奥さんが言う。
「魚卵が燻製になったとか?」と僕はタチの悪いジョークを言ったあと、しまった、と思った。若奥さんは意に介さず、「そうならないように商品を全部引っ込めました。日曜を入れて3日休みましたよ」と真面目に答えてくれた。
「若葉」に戻ると、まだ満席だ。忙しそうに動いている店主に「すみません」と恐る恐る声をかけ、「何時までやってますか?」と聞いてみると、「13時半までです」と微笑んだ。おや、ずいぶん愛想がいい。こんなに忙しそうなのに。
ラーメン屋の店主には強面の印象がある。築地もそう(話すとみなさん気がいいんだけど)。築地&ラーメン屋というだけで、ちょっと緊張していた。
気持ちが軽くなった僕は、「じゃ、またあとで来ます」と言って、そこを離れた。先に「場外」のほかの店を訪ね、「場内」の移転後、どう変わったか聞いてみよう。
屋台骨の「場内」が移転して、客足が遠のき、残った「場外」は寂れる、そんなイメージがやはりあったが、場外市場は以前と変わらず縁日のような人出だった、というのは前回書いたとおりだ。「ファンイン グアンリン(らっしゃい、らっしゃい!)」と片言の中国語が方々で聞こえる。外国人や日本人観光客に交じって、修学旅行と思しき学生の姿も多い。
鮭の店「昭和食品」に行ってみた。
「取材のときはお世話になりました」と挨拶すると、店主の佐藤友美子さんも笑顔で迎えてくれた。
「昼は人が多いけどね、朝は寂しくなったわよ~。でもありがたいことにウチは、売り上げは移転前と変わらないわ。昔からのお客さんが今も通ってくれるからね」
稀有な鮭の専門店である。特化した店の強みか。......いや、それだけじゃない。
「ただ、客層はだんだん変わってきてるの。だからこっちも少しずつ商品構成を変えていかなきゃね」
佐藤さんは鮭の産地を自らの足でまわり、生産者との信頼関係を築き、現物を見て買い付けている。彼女の言葉や、その立ち居振る舞いからも、真摯でひたむき、という印象を強く受けるのだ。しかし、次の言葉にはさすがに驚いた。
「そうそう、私、本を書いたのよ。築地の大旦那たちにもインタビューしてね。昔の人は記録を残してきたでしょ。それをやらなきゃ、ってずっと思ってたの」
場外の総合案内所にも立ち寄り、マネージャーの山崎徳子さんに話を聞いた。
「場内が移転して、朝の活気はなくなったけど、10時ぐらいからはかえって前より人が増えた感じがしますね。豊洲市場を見にいった人が、昔ながらの風情や人情を求めて、こっちにも来てくれているのかな、と思います。それなのに『築地は人が減り、寂しくなった』って平然と伝えるメディアもあるんですよ。そう見える部分だけを切り取って」
山崎さんはあきれ顔で言ったが、すぐにまた元のまっすぐな目に戻り、こう続けた。
「関東大震災があって、魚河岸は日本橋から築地に移転し、そのあと戦争にも見舞われました。それら二度の大きな障害を乗り越え、時代に合わせて少しずつ変化しながら発展してきたんです。きっと今回の移転も、柔軟に形を変えながら、よりよくなっていきますよ」
案内所を出て、「築地魚河岸」を過ぎ、さらに奥に進むと、白いフェンスが現れた。その向こうに場内市場の屋根が見える。新鮮な光と活気にあふれていた建物が、今は廃墟特有の煤けた、『うしろの百太郎』のようなオーラを出していた。なるほど、ここだけを映せば、「移転後、寂れた築地」のいっちょう上がりだ。
振り返ると、人でごった返す場外市場がすぐそこに見えた。そっちに歩いて戻っていく。そろそろ「若葉」に行ってみよう。
そのとき、案内所からだろうか、こんな放送がかかった。
「お忘れもののお知らせをいたします。外国人のお客様――」
ぷっ、と笑いそうになった。外国人客に呼びかける言葉が、思いっきり日本語って。
次いで「田所食品」の名前が出され、あれ?魚卵のお母さんのところじゃないか、と思っていると、放送はこう続いたのだ。
「お店までお越しください。メロンパンをお忘れです」
僕だけでなく、場外のお店の人たちも顔がゆるんでいた。メロンパンかぁ。「欲しかったら取りにくるだろ」と放っておくこともできたのに、田所のお母さんは「いけない!さっきのガイジンさん、忘れ物だ!メロンパンじゃないの!ちゃんと返してあげなきゃ!」って、案内所に走っていったんじゃないかな。
師走の寒空の下でも、人でワイワイ賑やかなこの一帯は、空気が温かかった。店と客がつながっている、そう感じた。場内の移転という死活問題に直面しても、それを乗り越え、ますます元気になっていくわけだよ、築地場外は。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ