
ピュアな甘味と爽やかな酸味が見事に調和する美酒「而今(じこん)」。「十四代」と並ぶ入手困難な人気銘柄として知られるが、2005年の銘柄誕生の時から現在まで苦難の連続だった。蔵元杜氏の大西唯克(ただよし)さんの歩みと、「十四代」が与えた影響についての後編をお送りする(写真は、自分で温床線を貼って改良した麹室で種麹をふる大西さん。後ろの箱は、大阪の木桶製作所「ウッドワーク」に特注した吉野杉の麹箱、撮影は2015年)。
居酒屋で飲んだ「十四代」の生き生きした味に魅せられた木屋正酒造の大西唯克さん。同時に、家業の酒「高砂」の質の低さと、管理の悪さに気が付いた。販売に力を入れる前に品質の高い酒を造るべきだ、と但馬から来ていた杜氏の榎(えのき)茂さんの下で2年間学んだあと、3年目の04年、自ら杜氏として酒造りを始めた。
大西さんは、種類総合研究所で学んだ酒造理論を基に、榎杜氏が行なって来た手法を組み合わせるという方法で、自分なりの工程を積み重ねていった。教科書代わりになったのが、研究所のときの恩師、宇都宮仁さん(元・東京国税局鑑定官室室長、現・日本酒造組合中央会理事)が、麹造りと醪(もろみ)管理について、それぞれA4用紙2枚ずつにまとめたレポートだった。しっかりと読み込み、忠実に実践することを心掛け、予期しないことが起きた時には、すぐに宇都宮さんにメールで質問。「的を射た質問の場合は、即座に答えを返してくださったのですが、返事が来ない場合は、自分で考えろ!という意味でした」。
設備面でも問題は山積みだったが、その都度、解決を図っていった。たとえば麹室。温度が上がらないことが悩みで、日東工業(業界で有名な麹室などの製作会社)に見積もりを依頼すると、まったく手が届かない金額だった。そこで、ホームセンターで安価な杉の板を購入し、地元の工務店に頼んで従来の麹室の壁に貼ってもらい、自分でビニールハウス用の温床線を壁に取り付けた。
徹底的に衛生管理をすること、五感を駆使して観察することなど、雪印で学んだ姿勢を改めて肝に銘じ、酒類総合研究所の「分析評価研究室」で訓練した利き酒のスキルで、できた酒をセルフチェック。こうして、どんなに手間がかかっても、睡眠時間を削っても、すべての工程において、理想と思われる方法を貫いた。技術者の頭脳で、職人仕事をやりぬいたのだ。
「ゴールのイメージがあったわけではないのですが、できた酒は満足のいくものでした。口の中で甘さが広がって、甘酸っぱい旨味が頬の下あたりに溜まり、最後はきれいに消えていく。そんな酒でした。この酒をさらに進化させていくんだと決意したんです」。
初対面のときに、筆者に「基本を忠実に造っただけ」と大西さんは答えたが、そこに「一切の妥協を許さず」という言葉を加えるべきだろう。

杜氏として仕込んだ初年度の2004年冬、大西さんが全身全霊を傾け、身を削るようにして醸したタンク4本分、一升瓶にして3000本ほどの酒が完成。そのうちの山田錦を40%精米した大吟醸を「高砂」銘柄で、04酒造年度の酒が審査される全国新酒鑑評会に出品したところ、05年5月に金賞受賞の知らせがもたらされた。この酒について、恩師の宇都宮仁さんは「素晴らしい酒で、利き酒で吐き出すのがもったいないと思いました。20年経った今でも、あの味は忘れられません」と、愛弟子の初作品を大絶賛する感想を筆者に語ってくれた。
能を習い、禅僧とも交流のある母の洋子さんは、息子が精魂込めて造った酒に「而今」という名を贈った。「而今」とは、過去にも、未来にも囚われず、今の一瞬を精一杯生きよ、という禅の言葉だという。それは、大西さんの酒造りの姿勢をそのまま表している。
金賞受賞の知らせの前から大西さんは、さまざまな利き酒会に出展する活動をスタート。ピュアな甘味と爽やかな酸味が調和する美酒「而今」は、地酒を扱う酒販店や飲食店などのプロや、地酒ファンの心を次々と捉えていく。有力な地酒専門店「小山商店」と顧客が主催する、ブラインドによる利き酒会「多摩独酌会」で一番人気に輝いたことも話題を呼び、「而今」は一気に知れわたる。東京の銘酒居酒屋のメニューに載るという大西さんの目標は、早々と達成したのだ。
初年度に造った3000本をどう売るのか、悩んだのも束の間。有力地酒専門店から、5ケース(1ケースは6本)、10ケースと大口の注文が入るようになり、造る量も増えていった。
初年度の「而今」は30石、普通酒の「高砂」を合わせても130石の極小蔵だったが、26年現在、製造は1400石。そのすべが特定名称酒(純米や吟醸酒など)だ。欲しいファンの数から見ればまだまだ少ないが、初年度と比べると製造量は10倍以上に増えた。

「当初は、製造量を搾って、小さな蔵の職人のよう造り手になりたいと考えていました」と振り返る大西さん。気持ちが変化したきっかけのひとつが、10年4月に「十四代」を造る高木酒造を見学した経験だったという。
その当時、一気にスター扱いされるようになった大西さんだったが、造る量を増やすことで売れ残ってしまい、そのうち見向きもされなくなるのではないか。そんな不安もかかえていた。1994年のデビュー以来、飲み手を魅了し、人気トップを走り続ける「十四代」のようなブランドを構築するには、どうすればいいのか。相談したのが、郡山の「泉屋」店主の佐藤広隆さん(連載第5回、第6回で物語を紹介)。「十四代」蔵元で杜氏の高木顕統さん(23年、辰五郎を襲名)と親友と認め合う佐藤さんが、高木さんと触れ合う機会をつくってくれるのではないかという期待もあったという。
大西さんの相談を受けて、佐藤さんは高木酒造の視察を企画。メンバーは大西さんのほかに、「飛露喜(ひろき)」廣木健司さん(連載第8回、第9回で物語を紹介)、大西さんと同い年の「宝剣」土井鉄也さん(連載第19回、第20回で物語を紹介)、筆者も同行した。
蔵の中を見学しながら大西さんは、高木さんの一挙手一投足を見逃すまいという表情で、真剣にメモを取っていた。蔵を退出する際に、感想を聞くと、「雲の上の人だと思っていた高木さんに会えて、見学までさせてもらって、胸が一杯です。感じたこと? ありすぎです! 立ち止まって挨拶する従業員の礼儀正しさに感動しましたし、最新設備と、日本的な美しさを兼ね備えた老舗蔵のたたずまいにも感動で……」と、頬を紅潮させながら答えてくれた。
見学後には居酒屋で会食し、ワインバーに場を移して盛り上がっているときに、パンッという軽い音が響いた。音の方を見ると、高木さんが「400石でいい!? 駄目だよ、大西君。コーミーや社員の幸せを考えなきゃ」と、にこやかな顔で大西さんをたしなめている。大西さんは、「僕、ビンタされちゃいました」と嬉しそうだ。コーミーとは大西さんの妻の香美(こうみ)さんのニックネームだと知っていたので、高木さんの言葉は、家族や従業員のためにも小さくまとまるなという意味だと理解。佐藤さんも「1000石を超えたのちに見える景色がある」と、かねてから大西さんにアドバイスしていたという。
大西さんは、高木さんや佐藤さんの助言を、前向きに受け止めた。「僕の造る酒を欲しいと言ってくださる声に、応えたいと思いました」。
ただし、むやみに量を増やすことは絶対にしない。自分が思う「而今」らしさをとことん究めることを第一に。市場にあふれてしまうことで、品質の劣化を招く事態にならないことを絶対条件に、少しずつ増やしていった。その結果は、高木さんが示唆した通り、香美さんや従業員の幸せにつながったのではないだろうか。

香美さんは、「而今」がデビューした翌年、06年の「地酒フェスティバル」で試飲した「而今」に、一口で恋に落ちた。「それまで知っていた淡麗辛口の新潟の酒とはまったく違う世界で、衝撃的でした。でも蔵元は、目も合わせないし、すごく感じ悪かったんです(笑)」。大西さんは押しかけるファンをさばくのに必死で、香美さんの姿も目に入らなかったそうだ。その後に開かれた別の試飲会では、大西さんのほうが香美さんに一目惚れ。08年の酒造期に入る前にスピード婚。香美さんは公私ともに大西さんの良きパートナーとなり、翌年09年に長男が生まれた。
いつも快活な大西さんが、その頃は、酒造りが始まると不機嫌だったと香美さんは言う。大西さんにとって、改善したいことは見えているのに、ままならない現実とのギャップに苦しむつらい時期だったのだろう。「ピリピリカリカリして、一人しかいない社員を怒鳴りつけたりして。その社員はとうとうやめてしまったんです」。ある日の夜、急な発注に対応するために、香美さんは長男を寝かしつけたあと、がらんとした暗い酒蔵で、不機嫌な大西さんと二人で向き合いながら、一枚ずつラベルを手作業で貼り続けていた。そのうちに、涙がこぼれてきた。「同じ酒蔵でもこんなに違うんだ……」。
香美さんの生家は、地酒王国・新潟で「千代の光」を造る酒蔵である。父の手腕で酒質を向上させたことから評判となり、安定した人気を誇っている。娘時代は、多くの蔵人たちがチームを組みながら、テキパキ働いている姿を見て育った。パートの女性たちが、おしゃべりしながら楽しそうにラベルを貼っている光景も頭に残っている。嫁に来た木屋正酒造が小規模なのは知っていたが、従業員が誰もいなくなり、こんなわびしくなるとは想像もしていなかった。香美さんは、夫の良き相談相手になりたいと努力してきた。而今という酒に惚れ、大切にしている気持ちは、夫にも負けないという思いがあった。
一人も従業員がいなくなった木屋正酒造は、その後、高木さんや佐藤さんの助言もあって製造量を少しずつ増やし、経営状態が向上するにつれ、若く優秀なスタッフが集まるようになった。蔵の中はキビキビ働くスタッフで活気に満ち、15年に訪れた時には、真新しいイタリア製のラベル貼り機を使って、若い社員とともに、輝く笑顔でラベルを貼る香美さんの姿があった。
得た利益は、設備投資や従業員の環境整備に還元。10年2月には仕込みタンクに木製の梯子がかかっていたが、15年には、タンクの周りに、しっかりとしたステンレス製のステージ状の足場が組まれていた。酒造りは、米や水など重量のあるものをタンクに投入する作業が多く、足元を気にせず動ける足場は作業効率が増す。東日本大震災のときに東北の酒蔵で、タンクが倒れ、木製の足場が折れて、もろみが流出する被害を筆者は目のあたりにした。3K(キツイ、キタナイ、キケン)と言われる労働環境を改善することは、酒造業における課題であり、品質向上のためにも不可欠なのだ。
麹を育てる麹室もバージョンアップ。杜氏としての初年度は、専門業者に見積もりを取ったものの大幅に予算オーバーで、やむなくホームセンターで材料を求めDIYで改良したという話を紹介したが、16年には、かつて断念した日東工業に依頼して新しく麹室を造り、麹室2室の体制になった。大西さんの達成感は、いかほどだっただろう。


人気抜群の「而今」だが、アンチも少なくない。知名度が上がると、辛口批評も増えるのはどの世界でもあることだ。最も多い批評は、「香りや甘さがじゃまをして、和食に合わない」というもの。酒の会で、厳しいバッシングを浴びたこともあった。さらに、「地酒なのに、なぜ他府県の米を使うのか」と言われることもあったという。
「酒は嗜好品です。好みはそれぞれだし、万人受けする酒を造ろうと思っているわけではありません。それでも、存在を否定されるような言葉を投げつけられると、揺れ動いてしまう弱い自分があるんです。自信をなくしかけたとき、高木さんが酒の席で『自分が造る酒が世界で一番うまい、と自信を持つんだ。独りよがりじゃだめだよ。でも大西君が信念を持ち、酒の道を究めようとしていることは、而今を飲めばわかる』。そんなふうに言ってくれたんです。僕より、高木さんのほうが多く批判されているのに違いない。それでも、流されることなく孤高の道を歩み続け、品質面でも人気でもトップを走る高木さんのことを、ますます尊敬する気持ちになりました」。
高木さんの言葉を励みにしながら、飲み手の声にも真摯に耳を傾け、すっきりとした味わいの酒をめざす。「而今」とは異なる穏やかな香りの出る酵母を使って、生酛仕込みに20年から挑戦。初年度は、乳酸菌がうまく湧かずに失敗し、酒母を庭に捨てる事態に。それでも翌年も再挑戦し誕生させたのが、木桶仕込みの生酛造りの酒だ。代々の銘柄を再構築した、滋味ある味わいの「高砂」は、優れた食中酒として新たなファンも生んでいる。
地元の米を使う試みに関しては、23年に「而今」銘柄で、地元の伊賀産山田錦を使った純米大吟醸「名張」と大吟醸「簗瀬(やなせ)」を誕生させている。
「きちんと計画を立てて、着々と目標を達成し続けている。素晴らしい後輩。酵母と米の相性のこと、設備のこと、僕がちょっと発した言葉を自分なりに消化して、形にする。その能力にも感服しています」と、高木さんは大西さんの姿勢を評価する。
「而今」について尋ねると、「米の品種によって異なる個性を、酒に反映させながら、どれも而今の味になっている。米の扱いが上手なんだよね。だからどれを飲んでもおいしいし、飽きない。優れた造り手であり、尊敬すべき蔵元だと思います」と称賛している。

23年、大西さんは酒蔵の中に「座」と称する、賓客をもてなす場を誕生させた。竈(かまど)を配した台所と食堂、宿坊、中庭からなる清々しい日本家屋では、従業員が釣った魚や地元の伊賀牛を使って、大西さんや従業員が手料理で特別な客をもてなす。
「フランスやスペインのワイナリーを見学した時に、土地の料理とワインでもてなしを受け、心打たれました。僕も、歴史のある蔵や我が家の建物を生かしながら、この土地から日本文化を世界に発信することが出来たらいいなと考えたんです」。
「座」を造ったきっかけは、酒販店「いまでや」社長の小倉秀一さんや、ワイン輸入業者「ヴァンパッシオン」代表の川上大介さんとのつきあいを通して、15年から何度か訪れたヨーロッパ体験だ。だが、「最新設備と日本の伝統を生かした建物が共存している高木酒造を見たことから、酒蔵の未来像をイメージすることができたのだと思います」と、大西さん。
26年1月には、酒蔵から200m離れた場所に、出荷場として「木屋正酒造 鍛冶町蔵」を建築。蔵の前には高さ15mの楠(くすのき)を植えた。「楠は千年生きると言います。木屋正酒造が、この先、千年続きますように。僕に続く後継者たちも見守って欲しいという願いを込めました」。
家業に就いて24年、杜氏歴22年。人知れず悩み、落ち込み、もがきながらも、杜氏としても、蔵元としても着実に進化してきた大西さん。後継者により良い形で引き渡せるように、これからも大西さんの挑戦は続く。


※次回は、第5回、第6回で紹介した福島県の酒販店「泉屋」のその後の物語をお送りします。
木屋正酒造
【住所】三重県名張市本町314‐1
【電話】0595‐63‐0061
※文中の高木さんのお名前の漢字「高」は、正しくは“はしごだか”です。ブラウザ上で正しく表示されない可能性があるために「高」と表示しています。会社名は「高木酒造」です。
文・撮影:山同敦子