
蔵元杜氏の先駆けとして、高木酒造15代目・高木顕統さん(2023年に辰五郎を襲名)とともに、若手蔵元に尊敬を集める「飛露喜(ひろき)」蔵元の廣木健司さん。廣木さんにとって、同世代の高木さんが造る「十四代」はどんな存在なのか。前回に引き続き、廣木さんの酒造り物語の後編をお送りします。
杜氏が去り、父が亡くなり、廃業覚悟で1997年から一人で酒造りを始めた廣木酒造本店9代目の廣木健司さんに、東京・多摩の酒販店「小山商店」の小山喜八さん(連載第7回で紹介)は応援の手を差し伸べてくれた。小山さんにサンプルとして送った「泉川」無濾過生原酒は絶賛され、「飛露喜」の銘柄名に変えた頃には、全国の酒好きの間で爆発的に広まっていた。
溌剌とした躍動感ある生酒のインパクトは大きく、ほかの蔵もこぞって濾過しない生の原酒の状態で出荷するようになり、無濾過生原酒ブームが勃発。先駆けの「飛露喜」はどんどん売れていくが、廣木さんは、ここで留まっていては酒蔵としての成長はない、と冷静だった。
「搾りたてのフレッシュな無濾過生原酒はいわば、生まれたての赤ちゃん。赤ちゃんはみんな可愛いのと同じで、搾ったあとの冷蔵管理や冷蔵輸送が万全なら、どの酒も美味しい。僕の技術が評価されたわけではないことは自覚していました」。
1998年春に小山さんから“自分を表現する酒”というテーマを与えられて以来、廣木さんは酒造りの方向性を探ろうと、ほかの蔵の高価な大吟醸酒や出品酒を飲み続けてきたが、ピンとくるものはなかった。ところが同年の年末、居酒屋で出会った酒「十四代 本丸」に、心を奪われてしまう。
「衝撃の一言でした。きれいな香り、適度な甘さ、柔らかい旨味、すべての要素のバランスが秀逸で、後味は極めて爽やかで……。大吟醸並みのレベルの高い酒が、なんと一升2,000円以下の本醸造酒(当時)だという衝撃。さらに衝撃だったのは、酒造りを始めてまだ4年の、僕より1歳下の酒蔵の跡取り息子が造ったということです。経験がなくても、人を感動させる酒を造る、その人物に尊敬の念を抱くと同時に、自分にもできるかもしれないと思った。酒の造り手としての可能性と明るい未来が広がるのを感じたんです」
「十四代」に勇気をもらった廣木さんにコンタクトを取ってきたのが、福島県郡山市の酒販店「泉屋」店主の佐藤広隆さんだった(泉屋の物語は連載第5回と6回で紹介)。佐藤さんは、廣木さんの1歳下で、大学も同じ青山学院大学の卒業だ。佐藤さんは、「十四代」蔵元杜氏の高木顕統さんとベストパートナーと認め合う仲で、廣木さんが出演したNHKの番組は、高木酒造の酒蔵に隣接する居間で夕食を共にしながら二人で観ていたのだという。
「哀愁漂う音楽が流れるなか、縁が欠けた利き猪口で酒を試飲している蔵元の姿を見て、高木が僕に、『僕らと同世代だね。福島だし、広隆、相談に乗ってあげたら?』と言ったことを覚えています」と佐藤さん。
廣木さんと会った佐藤さんは、通年出荷できる“火入れの定番酒”の重要性を熱く語った。
「世間では無濾過生原酒が高く評価されていましたが、味のぶれが大きいので危ういと思っていたんです。蔵の“顔”となる安定した火入れの酒を造り、通年で出荷することで、ブランドの構築ができる、と檄を飛ばしたんです」。
通年出荷できる定番酒。それは、2年目の酒造りに臨んだときの高木さんにも、佐藤さんがリクエストしたテーマだった。その結果、95年に高木さんが造ったのが本醸造酒「十四代 本丸」。廣木さんが「今まで飲んだ酒のなかで最も衝撃を受け、感動した酒」だった。初年度の「本丸」は生酒だったが、厳寒期以外は、味が変化しにくい火入れの酒へと変わっていた。本丸は、「十四代」のなかで最も安価で、最も出荷数の多い “蔵の顔”として親しまれるロングセラーに成長している。
廣木さんが定番酒として2002年に発売した火入れの特別純米酒は、香り穏やかで、ボリュームは中庸のおとなしい酒。香り高く、芳醇な美酒「十四代 本丸」とは真逆のタイプといっていい。同じ定番をめざしながら、なぜ方向性の違う酒を造ったのだろう。
「高木さんが造った酒が、理想とも思える最高の酒だったから、自分のめざす方向はおのずと決められた。酒として憧れ、造り手として尊敬するからこそ、自分は真似をすべきではない。香りでもなく、甘味とも違う世界。十四代が投げていないゾーンで、最高峰を目指そうと心を決めたのです」。
一歳下の同業者を素直に賞賛する純な心を持つ廣木さん。だが、二番手には甘んじることのない高い志の持ち主だ。心の中では、絶対に負けたくないと闘志を燃やしたに違いない。技術書を読み込み、前にも増して他の日本酒やワインを飲み漁りながら方向を探った。その結果、目標と定めたのは、その時代の味覚に合う酒として愛されるスタンダード酒の最高峰。廣木さん曰く“時代のど真ん中の酒”だった。
インパクトのある無濾過生原酒でデビューしたこともあり、発売当初、地味な印象の特別純米の評判は芳しいものではなかった。「何度も悔し涙も流しましたが、技術が追いついていなかっただけ。方向を変えるつもりはありませんでした」。集中して繰り返し仕込むことで技術を磨き、異なる酵母で仕込んだ複数のタンクをブレンドするなど、独自の方法でブラッシュアップを繰り返した。地味だと言われた酒は、静かな存在感のある酒へと進化。2012年にはせがわ酒店主催の第一回SAKE COMPETITIONの純米酒部門で一位になったとき、技術面で一つのゴールを切れた感覚があったという。いまや「飛露喜」特別純米は「いつ飲んでも決して裏切られることのない、上質で安定した銘酒」として、最高峰の鮨職人や日本酒ファンから絶大な支持を得ている。
廣木さんが初めて一人で酒造りをした1997年は、造ったタンク16本のほとんどが安価な普通酒だった。2024年の製造はタンク123本。その半分を特別純米が占め、無濾過生原酒は冬季限定出荷にして、そのほかは純米吟醸と純米大吟醸酒という超高品質志向の酒蔵に生まれ変わったのである。
全国新酒鑑評会で金賞受賞数11年連続1位の実績を誇る福島県は「日本酒王国」と言われ、次々と有望な若手の蔵元杜氏がデビューしている。「酒質面でも、経営面でも、手本となる廣木さんが県内にいることは、いい刺激になっている」と「泉屋」佐藤さん。かつて“福島県内で一番哀れな状況だった蔵元”は、福島はもとより、全国の後輩蔵元たちの憧れの存在になったのだ。
「高木さんは、酒蔵の若い後継ぎが造った酒が、専門職の杜氏とは違う魅力を持つことを示した先駆けです。世の中が彼の次の人材を待っていたときに、僕に目を向けてもらえたのは、若さや意欲に対する期待値だったと思いますが、期待に応えることができた。そんな僕も、“蔵元杜氏の時代”の幕を開けた一人だと自負しています。酒造りの歴史のなかで、大きな転機に寄与できたことを誇りに思います」と話す廣木さん。
一口で魅了される華麗な美酒「十四代」。控えめななかに濃密さと透明感があり、上質感が胸に染みる「飛露喜」。旨いと信じる酒を自ら造るという道を切り拓いた2人の蔵元は、圧倒的な人気にも満足することなく、いまも試行錯誤を繰り返している。トップを疾走する“蔵元杜氏“のレジェンド”が醸す酒は、飲み手を幸せの境地に誘い、後に続く若手蔵元たちに大きな影響を与え続けている。
※次回は、山口の酒「貴」の物語をお届けします。
廣木酒造本店
【住所】福島県河沼郡会津坂下町字市中二番甲3574
【電話】0242-83-2104
※文中の高木さんのお名前の漢字「高」は、正しくは“はしごだか”です。ネット上で正しく表示されない可能性があるため、「高」と表示しています。会社名は「高木酒造」です。
文・撮影:山同敦子