
切れ味のいい辛口の酒として人気の“男酒”「宝剣」(広島県)。華麗な香りと甘美な味わいで飲み手を魅了する当代きっての“女酒”の代表「十四代」(山形県)。酒の味わいも蔵元のキャラも好対照だが、信頼関係で結ばれた両者の物語、後編をお送りする。
「宝剣」蔵元で杜氏の土井鉄也さんは、23歳のときに、酒販店が主催する酒の会で、自分の造った酒の質の悪さに気が付いた。自分の酒は日本一だ!と自信を持っていただけに、大きなショックを受ける。その一方、魅力的な酒を造れば、応援してくれる酒販店や熱心なファンがいる地酒特有の世界があることがわかったのは、大きな収穫だった。
地酒の世界で生き抜くことを決心した土井さんは、すべての酒に気合を入れて造り、質を追求する路線に変更。営業活動は一切辞めて、信頼関係を結ぶ酒販店だけと取り引きすることにした。目標は、独りよがりではない、“ホンモノの日本一”の酒。そして、地酒の世界のトップスター「十四代」の蔵元・高木顕統さん(23年に辰五郎を襲名)に会うこと。強い思いで酒造りに集中することにしたのだ。
アルコールや糖類などを添加する普通酒造りはやめて、ほぼすべてを純米造りに変えた。こうして99年、新生「宝剣」がスタート。土井さんは辛口の酒をめざすが、旨味や甘みを感じない薄辛い酒ではない。香りは静かで、米の旨味は感じるが、切れ味がよく、きれいな酒だと言う。
「僕の特技は大食い(笑)。じゃけん、どんだけ食べても、どんだけ飲んでも、飽きがこない酒。飲むほどに旨くなるような酒を造ろうと思った」。
原料米は、八反錦をメインにすることに決めた。広島県を代表する酒米だが、主に安価な日常酒に使われてきた米だ。品質路線を貫くという方針を挙げながら、なぜこの米を選んだのか。訳を聞くと、21歳の時、病に倒れた父に代わって、戸惑いながら初めて酒造りをしたときの米だから、究めたいと言う。
「溶かさないと味が出ず、薄辛い酒になるが、溶かし過ぎると味にしまりがなくなり、ダレてしまう難しい米。ただ、山田錦のように唎酒で評価される米とは違って、飲むほどに旨い、飲み飽きない酒になる可能性を秘めている。僕がめざす味になる米だと信じて、八反錦に賭けることにしたんじゃ」。
流行や世評に捉われることなく、自分の信念を貫く。一度決めたら、一途な男なのである。

方針は定まったが、酒造りの現場で頼れるのは相変わらず『酒造教本』だけであった。教本には毎日、もろみを分析するように書いてあったので、測ってみたら、もろみの糖分を表すボーメ値が2.8を指したが、教本には4以下になったら腐造の可能性があると書いてある。
「わーーーー! どうしたらええんじゃ!」
思い余って、同じ町内にある、全国で知られる名酒「雨後の月」を造る相原酒造へダッシュで駆け込み、生まれて初めて人に頭を下げて教えを乞うた。夜中に、突然飛び込んで来られた4代目蔵元の相原準一朗さんは、「土井くんは町で評判のワルじゃったが、目が真剣じゃった。若いもんがやる気になっているんだから」と相談にのった。相原さんは、土井さんの一回りほど年上で、家業に就いて以来、いち早く品質志向に方向転換していた。相原さんのアドバイスで事なきを得た土井さんは、ことあるごとに、相原酒造を訪ねるようになっていく。
これまで孤独の中で自己流の酒造りをしてきた土井さんだったが、頼れる兄貴を得たことがきっかけで、同い年の「賀茂金秀」金光秀起さんや、「天寶一(てんぽういち)」の村上康久さんなど、広島県内に蔵元仲間ができていく。このメンバーはのちに、村上さんの発案で、「富久長(ふくちょう)」今田美穂さん、「美和桜」坂田賀昭さんらと蔵元6人で結成される「魂志会(こんしかい)」に繋がっていった。率直に意見を交換し合うことでレベルを上げ、広島の酒を全国に発信しようという趣旨の会で、各種イベントで大きな成果を得た。ちなみに「天寶一」の村上さんは、「貴」蔵元の永山貴博さん(連載10回、11回で物語を紹介)と酒類総合研究所の同期で、永山さんと同様、「十四代」に刺激を受けた一人である。

蔵元たちとの交流や、酒造りで試行錯誤を繰り返すことで、技術力が一気に上がり、“辛口の名酒、土井テツの宝剣“として、徐々に全国に名前が広まるように。営業は一切行なっていなかったが、心が通う酒販店との交流も始まった。広島では「大和屋酒舗」「酒商山田」、東京の「宮田酒店」、千葉の「矢島酒店」、大阪の「山中酒の店」の店主たちは、本音で語り合える良きアドバーザーとなった。さらに福島の「泉屋」と出会ったことから、2010年5月に、念願の「十四代」を造る高木酒造に見学に訪れることができた。23歳のときから憧れてきた「十四代」の蔵元に、34歳で会うことができたのだ。
酒蔵見学を企画した酒販店「泉屋」店主の佐藤広隆さん(連載5回、6回で物語を紹介)は、「十四代」蔵元で杜氏の高木顕統さんと、互いに親友と認め合う間柄だ。酒蔵の視察や高木さんとの交流を通じて、若手の蔵元杜氏たちは得るものがあるはずだと立案したのだ。メンバーは土井さんのほかに、「飛露喜(ひろき)」廣木健司さん、土井さんと同い年の「而今(じこん)」大西唯克さん、筆者も同行させてもらった。
この日の土井さんは、ストライプ柄のシャツのボタンを上までとめずに胸を大きくはだけ、穴あきジーンズに、サマージャケットを羽織っていた。憧れの高木さんの蔵への初訪問で、最高のお洒落のつもりだったのだろう。
事務所棟のテイスティングルームに着席して待っていると、初めに登場したのは、高木さんの父で14代蔵元の先代・辰五郎さんだった。髭を蓄え、明治の元勲のように威厳ある姿の先代は、上品な黒いジャケットに、きちんとネクタイを締めている。「わ! 僕、服装を間違えた!」と焦った土井さんは、慌てて両手でジーンズの穴を隠した。その様子に、佐藤さんと筆者は、笑いをこらえるのに必死だった。先代は私たちに話しかけながら、目は土井さんだけをじっと見つめている。あとから登場した高木さんは先代の隣に座って無言だった。土井さんの身なりから、若い頃にヤンチャだったことを察して、高木親子は土井さんに良くない印象を持ったのかと気になった。ところが、悪印象どころか、見どころがある若者として高く評価していたことが、あとになってわかったのだ。

高木酒造を訪問した翌年、土井さんは高木酒造が開発した新しい酒米「酒未来」を託された。この米は、山田錦に匹敵する優れた酒米をめざして、99年に登録された品種だ。
「高木家12代の時代から取り組み始め、父の代でようやく育成に成功した思い入れのある酒米なんです。酒造りに情熱を持って取り組んでいる後輩たちに使ってもらいたいと思って、未来という名前をつけました。米を託すのは、後輩へのエールの意味合いもあるんです。土井君なら間違いないと、父も喜んでくれました」と高木さん。
酒未来で酒を仕込んでいる酒蔵は26蔵(2025年末現在)あるが、高木さんが唯一の弟子と認める「東洋美人」を皮切りに、いずれも高木親子が認めた蔵元たち。なかでも「宝剣」の土井さんは、早期に声をかけられたうちの一人だった。
「携帯電話に、高木さんからの着信表示が出たので、あわてて正座して電話に出たら、『土井君、酒未来、使ってみない?』との声。思わず山形の方面を向いて拝んでしまった。その日はカミさんと乾杯したんじゃ」と土井さん。
仕込んでみると、いつも使っている酒米「八反錦」とはまったく性質の違う米で、戸惑いもあったが、納得のいく酒ができた。高木さんに酒を送ると、すかさず電話があり、「土井君、飲んだよ。酒未来を成仏させてくれてありがとう」と言われた。“成仏”とは独特の言い回しだが、“迷いのない境地に到達した”という意味合いの最高の褒め言葉なのだろう。

2010年に高木酒造を見学しているとき、「寒冷地なのに、仕込み蔵に完璧に空調が入っている。さすがじゃ。いつかは僕も蔵を改装したいんじゃが……」と土井さんがつぶやくのを耳にした。その4年後に、仕込み蔵を全面改装したと報告を受け、驚いた。
「実は高木さんの後押し」と土井さん。見学の翌11年、高木さんは広島を訪れた際に土井さんに声をかけ、2人は会食した。「僕がいつか改装したいというと、『いつか、じゃだめだよ。思っているなら、今でしょ! 必ず結果は出るよ。見る人はちゃんと見てくれているから、心配しないで。ただしお父さんに黙って決行しちゃダメだよ。家業なんだからね』と助言をいただいたんじゃ」と経緯を説明。
高木さんの助言通り、父に改装したいと言うと反対される。だが、「黙って工事するわけじゃないけん、ええじゃろう」と考えた。真紀さんの機転で資金の準備はできて、12年に空調設備の工事に着手。不安もあったが、大きな借金をして、酒造期以外に少しずつ工事を進め、14年に完成した。
できた酒は、従来のファンから「宝剣はきれいになりすぎた」と言う声も上がったが、すぐに「透明感が素晴らしい」「前よりさらに切れがよくなった」という声が優勢になり、新たなファンも獲得。売り上げも一気に上がった。「お客さんは正直じゃ。高木さんのおっしゃっていた通り、人はちゃんと見てくれたんじゃ」。


「宝剣」はメディアが取り上げるようになり、2014年1月、NHK総合放送の人気番組「うまいツ!」で、「料理がすすむ!究極の日本酒~広島・呉市」と題する番組が、全国放送された。土井さんの酒造りの姿勢とともに、料理をおいしくする酒「宝剣」として34分にわたって紹介されたのだ。現在、この番組は日曜の昼に放送されているが、当時は早朝6時15分から49分まで。放送が終わったと同時に、宝剣酒造に高木酒造の14代蔵元・辰五郎さんから電話が入った。
「テレビ観ましたよ。私は、蔵に来てくださったときから、あなたのことを見ていました。私の眼力に狂いはなかった。頑張りなさい」と励ましてくれたのだ。
電話が終わると、今度は顕統さんの携帯電話から、土井さんの携帯に電話が入った。
「いま自宅(山形市)から蔵に行く途中で、車のなかから電話してるんだ。土井君のテレビを最後まで観てたから、遅刻しちゃうよ。これからは全国区だね。また会おうね」。
それぞれの表現で、高木親子から温かい励ましの電話をもらって、土井さんは感激ひとしおだった。
その半年後、土井さんは週刊誌にも紹介されたが、若い頃のヤンチャぶりも明かされた。するとすぐに、先代・辰五郎さんから電話があったが、土井さんは酒を仕込んでいたため、電話に出ることができなかった。高木酒造へ折り返すと、先代の妻の紀子さんが電話を受けて、「土井さん、記事、主人と拝見しましたよ。頭を刈って酒造りに臨んだ、なんて、若い頃の主人と同じ。自分と重なるものを感じたんでしょうね」と、優しく語りかけてくれた。
一途で、不器用なゆえに、喧嘩ごしになったり、粗暴なふるまいを繰り返してきた土井さんの純な思いを、高木一家は理解し、応援してくれたのだ。

新生「宝剣」以降、努力を繰り返し、17年からすべてを純米造りにした。評価も知名度も上がったが、“日本一”に関しては達成できなかった。成果が出たのは19年、日本最大規模の市販酒の競技会「SAKE COMPETITION」の純米酒部門で、「宝剣 純米酒レトロラベル」が1位、「宝剣 純米酒 広島夢酵母」が3位という快挙を達成したのだ。奇しくも、そのときの純米吟醸部門の1位が飛露喜、スーパープレミアム部門の1位が十四代だった。
「高木さんと廣木さんと3人並んで表彰台に上がったんじゃ。表彰式のあと、高木さんが打ち上げをしようと言って下さって、3人でシャンパン飲んでのう。苦しんで、苦しんで、ようやく取れた1位を、憧れてきたお二人と時間を共有できた。最高じゃった」。
長年目標としてきた日本一を獲得し、「もう苦しまんでもいい」と3日間大酒飲んで、ダラダラ過ごした。4日目に、脳裏に高木さんの姿が浮かんで、はっと我に返った。「十四代」と出会ってから、機会あるごとに飲んで味を確認してきたのだが、その度に、進化を感じてきたのだ。
「甘みのある酒はダレてしまいがちなのに、十四代は見事なバランスを保っている。ひれ伏したくなる完成度じゃ。しかも年々、変化し、進化させていることが伝わってくるんじゃ。スーパースターなのに、高木さんはさらに上を目指している。僕はたった一回、日本一を取っただけ。まだまだじゃ。凄い先輩たちがいるから、僕も頑張れる。土井テツ、スゴイもんを造りよったと言わせたい。次にめざすは日本一の蔵元じゃ!」
「酒造りに出会ってなかったら、人生どうなってたかわからん。僕は不器用な人間。お上手(お世辞)が言えんし、人付き合いが苦手。それでも応援してくれる人たちに出会えた。僕は幸せ者じゃ。これからも、好きな酒だけ造って、好きな人とだけ付き合って、好きな人のために、生きていきたい」。
キラキラ瞳を輝かせる土井さん。その横で、18歳から支え続けて来た妻の真紀さんが、優しい笑顔で微笑んでいた。
※次回は、新潟の酒「加茂錦 荷札酒」の物語をお送りします。

宝剣酒造
広島県呉市仁方本町1‐11‐2
【電話】0823‐79‐5080
※文中の高木さんのお名前の漢字「高」は、正しくは“はしごだか”です。ブラウザ上で正しく表示されない可能性があるために「高」と表示しています。会社名は「高木酒造」です。
文・撮影:山同敦子