「十四代」が拓いた日本酒の新世界 ~十五代目・高木辰五郎さんの仕事と波紋~
【「十四代」物語】山口「貴」蔵元・永山貴博さんは21歳のとき「十四代」に衝撃を受け、人生が変わった その2(第11回)

【「十四代」物語】山口「貴」蔵元・永山貴博さんは21歳のとき「十四代」に衝撃を受け、人生が変わった その2(第11回)

黄金世代と言われる1970年代半ば生まれの「貴」蔵元杜氏・永山貴博さん。永山さんにとって、蔵元杜氏の先駆けと言われる「十四代」を醸す高木酒造十五代目・高木顕統さん(2023年に辰五郎を襲名)は、酒造りへの姿勢を変えた大きな存在だった。前回に引き続き、永山本家酒造場・五代目蔵元の永山さんの物語をお送りする。

蔵の息子は「自ら造る酒で自分の世界を表現できる」ことに気づいた

1996年秋から9カ月間、21歳のときに東広島市にある国税庁醸造研究所(現在の独立行政法人・酒類総合研究所)で研修を受けた永山貴博さん。その間に、居酒屋で「十四代」本丸(当時は本醸造)を飲み、衝撃のあまり、放心状態になる。
「本醸造なのにアルコールの刺激が感じられず、ほんのりと心地いい吟醸香が漂ってくる。米の旨味や甘味もたっぷり味わうことができて、後口は軽く、すーっときれいに消えていく。こんな世界観を持つ酒があったんだ!ショックと感動で、ぼーっとしてしまって……」。

すると、“兄貴”と慕う「日高見」蔵元・平井孝浩さんが、「酒を造ったのは(永山さんより)7歳上の蔵の若い後継ぎで、2年前にデビューしたばかり。逸材が現れたと噂になっている」と教えてくれた。
「上質な酒といえば高価な大吟醸酒で、流行していたのはスッキリとした淡麗辛口の酒、名品といえば熟練した腕を持つスーパー杜氏が造る酒でした。これほどのクオリティーの酒が本醸造で、きれいな旨味も甘味もあって、しかも僕と7歳しか違わない蔵の後継ぎが造ったなんて!僕が知っていた常識や価値観と違いすぎて、知恵熱が出そうでした」。

間もなく研究生たちの間では、「十四代」の話題で持ちきりになる。情報が入ってくるに従って、永山さんは頭の整理がついていく。「新しい時代が幕開けしたんだ。蔵の息子ができるのは、家業の継承だけではない。自ら酒を造ることで、自分の世界を表現できる。そんな立場にいることを十四代という存在が示してくれたのです」。

酒蔵の入口に並ぶ永山ファミリー
酒蔵の入口に並ぶ永山ファミリー。左から、「貴」を持つ永山貴博さん、父・義毅(よしき)さん、母・千寿子さん、代々の銘柄「男山」を持つ兄の将之さん。貴博さんは第三子で、ほかに姉と妹がいる(2007年1月)。

研修を終えて蔵に戻った永山さんは、跡を継ぎたい、自ら酒を造りたいと、意志を表明する。グータラ息子が変身した姿を見た両親の喜びは、永山さんの予想以上だった。父の義毅さんは、次男の貴博さんに蔵の将来を託すと決め、林業関係の仕事の退職金を投じて麹室を改装し、新型の蒸し米機を購入。永山さんは早速、蔵に入って酒を造り始めるが、杜氏や蔵人と衝突してしまう。現場の経験がないのに、思いばかりが強い後継ぎが突然蔵に入っても、うまくいくはずはない。有能な若者が辞めていくなど、ぶつかりながらも3年間、杜氏と共に酒を造ったあと、父が地元山口の大津杜氏の中でも名人と言われた野中脩史(しゅうじ)さんをアドバイザーとして招聘してくれた。
助言を受けながら経験を積み、4年目の2001年に永山さんは杜氏に就任。純米シリーズ「貴」を立ち上げた。研究所の研修中に決めた生きる指針“Think Globally”(世界視野でものを見る)から、米と水を原料とする本来の日本酒を追求しようと考えたのだ。

酒はできた。めざすは全国区だ。だが、どうやって売ればいいのか。アドバイスをくれたのが、“兄貴”こと「日高見」の平井さんである。
「兄貴は僕に、いきなり東京や大阪を目指すより、近隣の地酒専門店との信頼関係を築いて地固めしてからのほうがいいと紹介してくれたのが、広島の酒商山田さんでした。社長の山田淳仁さんに、酒と意欲を認めてもらって、お宅に泊まれるような間柄にならなくてはいけない。プチ迷惑をかけてもいい。可愛がってもらうことが大事だ。十四代の高木さんも、東京の小山商店の小山さんのお宅に泊めてもらって、信頼関係を築いていったそうだよと言うんです。あの高木さんが!?と聞いて、僕は兄貴の言う通り、そのまま実践しました」。(高木さんと小山商店のエピソードは連載7で紹介)

後日、山田さんに、永山さんと知り合った頃のことを尋ねると、顔をほころばせた。
「意欲がある若者だと思ったし、素直ないい奴で、目をかけるようになったんです。ただ貴の奴、夜になっても帰らないんですよ。飯食うかと聞くと、にっこり笑う。夕飯を食っても、ゴッツイ身体を縮めるようにして、ちょこんと座っている。泊まっていくか?というと、ハイ!と元気に答える。甘え上手なんだよね。翌朝にはまた来いよ、と言ってしまうんだ。いつの間にか家族のようになってしまいましたよ」。
山田さんが隠れた地方の名酒として、dancyuに「貴」を推薦したのは、酒に魅力を感じたことが第一だろうが、永山さんを愛おしいと思う気持ちもあったのだろう。高木さんを手本とした平井さんの作戦は、大成功だったのだ。

自営田で手を広げて立つ永山さん
自営田で手を広げて立つ永山さん。農業法人「ドメーヌ貴」では合計4haの田んぼで、山田錦と雄町を栽培している(2024年11月)。
稲穂を誇らしげに持つ永山さん
自家栽培した山田錦の稲穂を誇らしげに持つ(2024年11月)。

dancyu効果もあり、「貴」の名は知られるようになったが、造る酒の方向性はまだ不明確だった。掲載された特別純米酒は、穏やかな香りの酒になる9号系の酵母を使ったが、吟醸香が立つ酒こそ上質な酒の証しと、純米吟醸酒には華やかな香りが出る酵母を使っていた。だが東京や大阪の有力地酒専門店とのつきあいを通して気が付いたことは、流行を追うこと、売れている酒を真似することの無意味さ。酒造家は確固とした哲学を持つべきだということだった。道が見えた永山さんは、杜氏3年目の04年、“脱・香り系酵母”を宣言。米の旨味を生かした「癒しと米味」を「貴」の永遠のテーマと定め、料理と共にある酒をめざして歩みを進めてきたのである。

13年には、父を継いで5代目蔵元に就任。16年からは代々の銘柄「男山」も含めて全量を純米造りにした。生きる指針のうちの“Act Locally(地に足をつけた取り組み)”では、97年から父が所有する田んぼで、酒米品種の山田錦を栽培してきたが、2019年には農業法人を取得し、農業放棄地を借り受けて、山田錦と雄町を栽培している。また、兵庫県特A地区の山田錦や岡山県の雄町などの酒米名産地に、個人や蔵元グループで頻繁に視察に訪れ、年々、酒米に対する理解を深めている。

揺れながら、悩みながらも、地に足をつけて着実に歩を進めてきた永山さん。ほっこりとした米の味と、石灰質土壌に由来する硬度の高い仕込み水を生かした輪郭のシャープさを特徴とする「貴」は、飲み飽きせず、料理が進む酒として、ファンから熱く支持される存在になった。2002年の年末に、dancyu試飲会でテイスターたちが期待した通り、全国区の名酒に成長したのだ。
「研究所で学んだこと、体験したこと、出会った人、すべてがターニングポイントになりました。あの数ヶ月がなければ、貴はなく、いまの自分もない」という永山さん。

麹室で種麹をふる永山さん
麹室で種麹をふる。蔵元杜氏の永山さんは優しい米味がする酒をめざし、麹のイメージは「さらっとしているけれど、ふわっとした手触り」。宇部ならではの硬度の高い仕込み水で醸すことで、無理に造り込まなくても、くっきりとしたシャープな後味になることに気がついた(2024年11月)。

研究生だった96年に「十四代」で衝撃を受けた永山さん。「十四代」とは大きく印象が異なる酒を造る25年現在の永山さんにとって、「十四代」はどんな存在なのだろう。
「今も飲むたびに凄い!と唸ってしまう。貴は“脱・香り宣言”をしましたが、十四代の洗練された香りは永遠の憧れですし、上品で華麗な味わいへともっていく技術には脱帽です。十四代っぽい酒はたくさんあるけど、誰も十四代は造れない。比類なき酒です。圧倒的な存在感に、初めて飲んだ21歳の時は放心状態になりましたが、いまは背筋が伸びる気がする」。
ひょうきん者だが、気は優しい永山さん。ネット上の情報に触れて、迷ったり、弱気になってしまうことがある。そんなとき十四代を飲むと、高木さんが信じる旨さを究めようとしている姿が浮かび、惑わされるな、誇りを持て、自分にしかできないことを貫けと、諭されている気持ちになるという。

デビューから一貫して独自の美味しさを追求し、孤高の道を歩み続ける高木さん。その姿勢は、自分なりの表現を試みる後輩蔵元たちを後押しし、日本酒の多様化に大きく貢献することになったのだろう。
「お手本になるのは酒造りだけではありません。蔵元が集まる場では、高木さんのほうから全員に挨拶に回るなど、いつも礼儀正しく、所作が美しい。自ら発信したり、表立った活動はされていませんが、蔵元としてあるべき姿を背中で見せてくれている。高木さんと個人的な交流はありませんが、見上げると、いつも高みにいて、歩む方向を導いてくれる。そんな高木さんは僕にとって北極星のような存在です。手を伸ばしても届くことのない、天空で輝く永遠のスターなんです」。

※次回は、東京有数の地酒専門酒販店「はせがわ酒店」の物語をお届けしします。

米を神棚に供える永山さん
蒸し上がった米は、毎朝、麹室の隣に設えた神棚に供える。ひょうきん者の永山さんも、真剣な表情だ(2024年11月)。

永山本家酒造場
【住所】山口県宇部市車地138
【電話】0836‐62‐0088

※文中の高木さんのお名前の漢字「高」は、正しくは“はしごだか”です。ブラウザ上で正しく表示されない可能性があるために「高」と表示しています。会社名は「高木酒造」です。

文・撮影:山同敦子

山同 敦子

山同 敦子 (酒ノンフィクション作家)

東京生まれ、大阪育ち。出版社勤務時代に見学した酒蔵の光景に魅せられ、フリーランスの著述家に。土地に根付いた酒をテーマに、日本酒や本格焼酎、ワイナリーなどの取材を続ける。dancyuには1995年から執筆し、日本酒特集では寄稿多数。「十四代」には94年に出会って惚れ込み、これまで8回訪問し、ドキュメントを『愛と情熱の日本酒――魂をゆさぶる造り酒屋たち』(ダイヤモンド社)、『日本酒ドラマチック 進化と熱狂の時代(講談社)』などに収録。