
食いしん坊倶楽部のLINEオープンチャット「ナチュラルワイン部」では、今後、メンバーから寄せられた「ナチュラルワイン愛のある注ぎ手」を徹底取材してお届け。第6回は、のどかな井の頭公園近くに店を構える『ビアンカーラ』の小平尚典さんです。

何しろ、立地がいい。井の頭公園駅のはす向かい。店のすぐ脇には、井の頭池を抱いた公園が広がり、穏やかな空気が流れている。店名もまたいい。イタリアの偉大な造り手「ラ・ビアンカーラ」からとった屋号で、すでにワイン愛が滲んでいる。店内の壁には、素晴らしきナチュラルワインの造り手たちの空き瓶がずらりと並んで、店の歩みを物語っているようだ。
ここ吉祥寺に「ビアンカーラ」がオープンしたのは2011年。店の主は、「レストランを楽しそうに営む叔父さんの影響で、アパレル業から飲食の道へ転身した」という小平さん。「じつは店を開く前は焼酎好きでした。アパレル時代の知人たちから『お前が店をやるなら焼酎の店だろ』なんて言われていたぐらいで」。そんな小平さんの運命を変えたのが、ラ・ビアンカーラだった。



「店の開業に向けて飲食店で修行していた2008年頃、誕生日に知人がラ・ビアンカーラをプレゼントしてくれたんです。それまでの僕は、ワインは酸っぱくて渋い酒って印象で、自然派ワインと呼ばれるジャンルも知らなかった。ところが飲んでみたら、するっと喉を通り抜けて、驚くほど飲み心地がよくて。自分が知っているワインとは全然違う。なんだこれは!と衝撃的でした。店の方向性を決める1本になった、初恋のワインです」
ラ・ビアンカーラは、イタリアはヴェネト州で自然な造りのワインを醸す第一人者、アンジョリーノ・マウレが手がける偉大なワイナリーだ。彼の醸した液体でナチュラルなワインに開眼したという飲み手は少なくない。「このワインに出会わなかったら、焼酎の店を開いてたかもしれませんね」と小平さんは笑いながら振り返る。


イタリアワインから沼にハマった小平さんだが、扱うのはワールドワイド。日本ワインへの思い入れも深く、ココ・ファームの「月を待つ」にはとりわけ特別な感情があるという。
「手に入りにくいレアなワインってどうしても魅力的だし、希少性に目がいきがちじゃないですか。僕もあるレアなワインを追いかけていた時期がありますが、ぜんぜん手に入らなくて。そんなとき、当時は「北海ケルナー」という名でリリースされていた「月を待つ」に出会ったんですよ。奥深い甘み、アルザスのワインを思わせる雰囲気をまとっていて。日本でこういうワインが造れるのかと感動しました。日本で一番美味しいと思える白ワインです」
ココ・ファームといえば「農民ロッソ」など、誰もが手に届きやすいワインを造る、誠実さが滲むワイナリーだ。
「それで思ったんですよね。青い鳥は身近なところにいるんだな、と。熱狂的なレア感で語られることはなくても、こういう実直で素晴らしいワインを造っている人たちがいるってことも大切に伝えていきたいと思っています」


日本ではまだ広くは知られていないシバ・ウィシャーン・セラーズのワインも、小平さんのお気に入り。オレゴン州ウィラメットバレーで日本人醸造家の芝明子さんが手がけるワインだ。アメリカに住む母親に会いに行きつつ、収穫時期に毎年通い続けるほどの惚れ込みよう。
「ポートランドに住む知り合いから、『ワインの店をやっているんなら見ておくといい』と誘われて行ったのが始まりです。コロナ禍には思いきって1ヶ月滞在して、収穫から醸造までワイン造りを見せてもらった年もあります。ドイツで醸造の勉強をした彼女のワインは造りが綺麗で、ブルゴーニュのような味わい。アメリカのワインは全般的に果実味たっぷりで押しが強いけれど、芝さんのワインは繊細です。味わいはもちろん、かの地に根を張ってワイン造りに挑む彼女の人生もひっくるめてのファン。ずっと追い続けたいワインです」


料理は、小平さんと中学校時代の同級生でもある飯野究さんが手がける。イタリアン出身の飯野さんがつくるのは、ナチュラルなワインに馴染むつまみ揃い。マリネやブルスケッタといった軽やかな一皿から、野菜に肉にパスタ料理。小平さんが魚メインの居酒屋で飲食業のいろはを学んだ名残りもあって、魚メニューが豊富なのも嬉しい。秋刀魚を丸ごと1尾使ったコンフィのような創作メニューもオンリスト。肩ひじ張らない抜け感がメニューに漂っている。
グラスのワインリストも同様で、十数種連なる銘柄のなかには、イタリアの「イルヴェイ」のような定番中の定番も置く。なかには、ワインも高騰中の今では珍しい3桁価格のワインも。「がんばって1杯はリストに3桁を載せたい」と小平さん。その心は、「始めて飲む人たちにとっつきやすいように。ナチュラルワインを飲む入口の店になれたら」という良心の人だ。



店は3年前に改装して、井の頭公園駅に面した壁に大きなガラス窓を設けた。この窓際が特等席だ。木の温もり溢れる山小屋風の店内で夕暮れ時、中高生が駅に吸い込まれていく様子を眺めつつ飲むワインはどこか郷愁感を帯び、ひと味違う。何年経っても変わらずこの場所にあってほしい。そう思わせる何かが、ビアンカーラにはある。

文:安井洋子 撮影:長野陽一