
駅から歩けば30分以上かかるし(もちろん推奨しない)、予約は一切できないので並ぶ。それでも誰もが最高の焼肉を求めて足を運ぶ、焼肉屋が鹿浜にある。今回ご紹介するのは、dancyu本誌にも12回登場(2025年8月現在)した、「スタミナ苑」です。
門外不出の味つけのミックスホルモン(塩味)はここでしか食べられないし、レバーは筋や血管を徹底的に除くから、いつだって純然たるレバーの味・香り・食感が味わえる。その他、人気すぎる上タンは2人で1人前までというのも、持ち帰りの冷凍餃子や魯肉飯のおいしさも相変わらずだ。
一方で、店主の豊島兄弟の兄の久博さんが店を上がり、担当していた生野菜やテグタンの提供はお休みになった。その他の季節のメニューや一品料理など、少しずつ変わってきた。
そう、スタミナ苑は変わらないようでいて、ずっと変わり続けてきた。「水を使わずホルモン自身の水分で煮込まれる煮込み」だって裏メニューから表メニューに昇格した。近年、一品料理に加わったハツのたたきも、当初は開店前の行列に並んだ卓のためのメニューだった。
半世紀以上、暖簾を守り続けてきた店主・豊島雅信さん(マコさん)はいま何を考えているのか。仕事人として学び、得てきたものは何か。『dancyu』本誌でも1994年の初掲載以来、焼肉店として最多掲載歴を誇る最強焼肉店、鹿浜・スタミナ苑からのメッセージだ。
スタミナ苑は営業終了後の深夜、スタッフ総出で掃除をし、朝まで仕込みをする。マコさんが店を後にするのは朝の4時。帰宅して床につくのは4時半から5時ごろ。今回は店休日に電話をすることになっていたが、「2時前には(電話を)絶対かけてくるなよ」と厳命された。店休日は午後まで寝ているからだ。
念のため、30分待って14時30分過ぎに電話をかける。電話の向こうから聞こえてきたのは、「おお、ちょっと待って。もう50年以上アクセル全開だからヘトヘトだよ」といういつもより少ししゃがれた声だ。
マコさんは営業中、必ず店にいる。のれんをくぐると正面の厨房に客席を見渡すことのできる店の中心部でずっと内臓をさばき続けている。客の入れ替え時に卓番を指定するのも、会計をするのもマコさんだ。
「当たり前のことだけど、営業中は店主が店にいなくちゃダメなんだ。京味の西(健一郎)さんともよく話したよ。いい店は支店なんて作らず、店主がすべてを仕切る。営業時間中に何かと理由をつけて、他の店で飲み食いするなんて論外。勉強は時間外にするもんだろ」
そういうマコさんは最近は閉店後「(五感のうち)耳は空いてるから」とスマホでYouTubeなどを音声メディア使いしていて、田中角栄と稲盛和夫のエピソードをずっと流している。
「国や企業を発展させるためにどうするか。経営者として進むべき道やスタッフとの接し方が詰まっている」
稲盛和夫曰く、一瞬が積み重なることで、一日が成り、その先に一生がある。田中角栄曰く、部下よりも猛烈な努力をして、部下よりも博識でなければ組織は動かない――といった名言だけでなく、その人となりにまで触れることで、より深くその思考に潜っていく。
「チャンスが来た時にそれがチャンスかどうかを見極め、反射神経でつかみ取る。そのためにも、日々の勉強が必要なんだ。飲み食い以上に大切なことが山ほどある」
以前、営業終了後のスタミナ苑を、朝まで取材をさせてもらったことがある。店が終わると総出で掃除するが、トイレを掃除するのは必ずマコさんだった。
「誰もが嫌がる仕事はトップがするんだよ。俺は毎日30分かけて、隅々まできれいに磨き上げる。30分あったら6~7kgあるレバーの半分は仕込めるけど、人任せにしちゃいけない仕事がある。店のトップがトイレを懸命に掃除してたら、スタッフは仕事しないわけにいかないだろう?店の空気が変わるんだよ」
ある時期、トイレ掃除を弟子に任せたことがある。8年間勤めた木原修一さんの修業の仕上げの時期だった。
「でもな。自分の店じゃないから、本人さえも気づかないうちに手を抜いちゃうんだよ。おれがずっとビカビカに磨いてきたのに、任せたら気になるところが出てきてしまった。何年か後に『お前、あのとき手を抜いてたよな』って諭したら泣いてたよ」
長く働いた弟子は焼肉店の店主という立場になった。スタミナ苑へ入店するときの志望動機そのままに、実家の「焼肉 井とう」(大分県佐伯市)を継いだ。スタミナ苑が公式に認める唯一の弟子筋だ。口コミサイトでは九州でもっとも評価の高い焼肉店になった。そしてマコさんは、その弟子の力になりたいと考えている。
「佐伯なんて大分空港から2時間かかるような場所にあるのに、九州で一番だぞ。すごいよ。でも、そこで満足していちゃいけない。九州で一番になったら、次は広島や四国より西での一番だ。そして大阪・京都より西で一番になって、ゆくゆくは日本一を目指せ。でも日本一になるには、まだまだ足りないものがある。だからこそ俺が全力で動けるうちに、木原に伝えたいことがある。木原の店で一緒にやってやりたいことがあるんだ。そのときは、お前が書いてくれよな。ダンチュウに」
口を開けば「前進あるのみ」だったマコさんも次代へのバトンをどう渡すかを考えるようになったということか。
「いや、いまも『前進あるのみ』は変わらない。40歳じゃケツが青い。脂が乗ってくるのは50歳からで、本当に人間らしくなるのは60歳からだ。といっても67ともなれば疲れもする。実はさっきからずっとベッドの上で話してるんだ。ちょうど500mlの缶ビールを空けたところだけどな。ガハハハハ!」
週に2日休みを取り、数か月に一度の4連休には地方の名店に出かける。9月の休みにも離島に出かけ、そこでしか味わえないものを勉強しに行く。豊島雅信、齢67にしてますます盛ん、の趣である。
文・写真:松浦達也