
駅から歩けば30分以上かかるし(もちろん推奨しない)、予約は一切できないので並ぶ。それでも誰もが最高の焼肉を求めて足を運ぶ、焼肉屋が鹿浜にある。今回ご紹介するのは、dancyu本誌にも既に12回登場(2025年8月現在)している、「スタミナ苑」です。
この店を初めて訪れてから30年以上になる。「鹿浜ってところに、めちゃくちゃ旨い焼肉屋があるらしい」という噂を聞いて、土曜日に仲間と電車とバスを乗り継いで行列に並んだ。
衝撃的だった。当時の焼肉店は全体のアベレージで言えば、いまより高かった。和牛は現代よりも肉の味が濃厚で「新鮮ないい肉を切って自家製のタレで出す」店ならだいたい旨かった。
だけどスタミナ苑は別格だった。タンにレモンはついてこないし、ホルモンを塩で食べる店なんて当時はほとんどなかった。当時の僕の思い込み――ライスに合う焼肉はタレ以外ない、焼肉店でサラダを頼む必要なんてないという固定観念をひっくり返してくれたのがスタミナ苑だった。
個人的には行列のできる店が苦手だった。当時は、テレビなどの情報を鵜呑みにして並ぶ人をバカだと思っていて、その一味に見られるのがイヤだったのだ。ついでに言えば当時は飲食店で写真を撮る人も、店の調和を乱すから嫌いだった。
時代時代で飲食店での適切な振る舞いは変わるし、焼肉店におけるメニューやスタンダードだって変わる。創業58年のスタミナ苑だって少しずつ少しずつ変わり続けてきた。
例えば、スタミナ苑の看板メニューの上タン。店主の豊島雅信さん(マコさん)が「うちはレモンなんかかけなきゃいけないようなタンは出さねえ」と胸を張る上タンの「2名で1人前まで」という上限は長く変わらない。もっとも最近はハラミも同じ扱いになった。2人だと特上ハラミと並ハラミを同時に注文することができなくなった。90年代からハラミはメニューにあったけど、当時は頼んでいる人なんて本当に一握りだったのに。
でも、これはもう仕方がない。食べたい人が多くて、和牛のタンやハラミの流通量が限られている。もっと言えば、いまどき1日3回転が当たり前の焼肉店で、こんな量のハラミを確保してくれていることが奇跡みたいなものだ。だいたい10数年前までは、レバ刺しが普通に注文できた時代だ。
「刺し」とは称していなかったが、当時はスタミナ苑でも生食を止めてはいなかった。個人的にはいいレバーほど温めたほうが味が膨らんで旨いと思うし、ゆっくり火を入れて匂いが気になるようなレバーにスタミナ苑でお目にかかったことがない。
増えたメニューだってある。以前は常連向けの裏メニューだった「水を使わない」ホルモン煮込み(味噌・塩)は10年ほど前からメニューに掲載されるようになった。スタミナ苑では仕込みのほとんどは深夜から朝にかけて行われる。煮込みの仕込みも週に何度か深夜に行われる。
大鍋にショウチョウやシマチョウを入れて火にかける。しばらく経つとホルモンから水分が出てくるので、アクをとりながらホルモンから出た水分だけでホルモン自身を煮込んでいく。
この数年で、ミックスホルモンの塩ダレが少し変わった。味つけが少し厚くなった。スタミナ苑はときどきメニューを変えるし、味もアップデートされる。とりわけ明確なアップデートが行われるのが、店主のマコさんが担当するホルモンだ。
その塩ダレの味の変化は向上心の塊のようなマコさんの情熱によるものだ。10年ほど前にある素材を加え、味に深みを増した。この数年でさらに新しい材料を加え、味が分厚くなった。肉の質だって毎日変わる。短期で言えば個体や肉の状態ごとに、中長期で言えば肉のトレンドによっても変わる。目の前の肉に、どんな加減でどんな味付けを施すのがベストか。肉を見極め、調味を加減する。
正肉も変わった。といっても、肉やタレが変わったのではない。2013年に息子である悠樹さんが修業に入り、マコさんの兄(悠樹さんの伯父)である久博さんから正肉の扱いを習うことになった。現在は悠樹さんが正肉を捌いている。
スタミナ苑の正肉は仕事がよく見える。僕が好きなのはは並切り落とし(並カルビ)、個体としては特上や上と同じだが、筋が噛んでいたり、サシの加減が違うだけで、より細かい切り目が入る。10年選手の悠樹さんの仕事について、マコさんは「まあまあ、切れるようになってきたんじゃないの?」と手厳しいが、客からすると必要な部分への細やかな切り目のを入れ方は、久博さんとほぼ遜色ない仕事ぶりのように見える。
店の陣容は少しずつ入れ替わっている。2016年には学生バイト時代を含め、8年間の修業を積んだ木原修一さんが実家の「焼肉 井とう」を継ぐため、退店した。昨年には30年以上勤めた木戸英司さんが退職。マコさんの兄・久博さんも店を上がり、担当していたテグタンや生野菜はお休み中だ。
それでも変わらぬ人もいる。マコさんの奥様はいつもニコニコと客を迎えてくれるし、持ち帰りで人気の冷凍餃子や魯肉飯、デザートの黒豆杏仁豆腐(注文の符丁は「黒」。普通の杏仁豆腐は「白」)などは奥様の手によるもの。飲料関連は、こちらも30年選手の番頭格、伊藤健生さんが仕切っている。
そして何よりパワフルなマコさんが変わらない。「はい。いらっしゃーい」と客を迎えて従業員にテーブル番号を指示する。「お勘定お願いしまーす!」と会計が入ると、自ら電卓で計算しては釣り銭を数え、客のためのタクシーを呼び、「はーい。どうもありがとーう」といつもの調子で客を送り出す。内臓も客も流れるようにさばいていく。
だが、マコさんも67歳だ。お兄さんの久博さんも店を上がった。いまのスタミナ苑について、少し話を聞いてみたい。そう申し出たら「おお、じゃあ、明日携帯に電話しておいで。でも2時以降だぞ。その前は寝てるからな」といつも通りの御託宣。
ああ、変わらないなあ。以前電話番号を教えてもらったときも、同じように念を押されたんだった。思い出し笑いをしていたら、「いいか。2時前には絶対にかけてくるなよ」と念を押されて、また笑いそうになってしまった。
(後編へ続く)
文・写真:松浦達也