
この数年、東京の町焼肉が劇的に進化している。今回ご紹介するのは、練馬駅徒歩3分、自家製タレ焼肉が旨い「焼肉ホルモン まつとよ苑」です。
どんなブランド和牛が好きな人でも、但馬牛のお膝元である兵庫県産の黒毛和牛には一目置く。ましてや黒毛和牛のメスともなればなおさらだ。
西武池袋線、もしくは都営大江戸線の練馬駅の南口から徒歩3分。まっすぐ商店街を進むと左側に黄色い看板が見えてくる。『焼肉ホルモン まつとよ苑』。開店はコロナ禍、真っただ中の2021年だったが、肉を愛する人たちに支えられ、すっかりこの町の風景に溶け込んだ。
この店では兵庫県の精肉店からメスの黒毛和牛を取り寄せている。実は「まつとよ苑」の店主と精肉店の三代目が幼なじみで、この仕入れは開店当時から変わらない。カルビやロース、イチボやランプなどの人気部位のほか、焼肉店ではほとんど見かけることのない希少部位も扱っている。
なかでも希少な肉と言えばこれだろう。
「メガネ」1,078円だ。牛の骨盤についた肉でフランスでは「アレニエ」と呼ばれ、ステーキ用などに珍重される。弾力がありながらやわらかな部位で、ミディアムに焼き上げたら、網上で仕立てたガーリックバターにつけて口に運ぶ。ミルキーな野趣が鼻へと抜けたら、クッと肉を噛みしめる。すると赤身の味わいがじわじわと膨らんでいく。贅なる味わいだ。
ガーリックバターの他にも、この店には工夫を凝らした味がある。そもそも最初に提供されるタレも通常の醤油タレのほか、ニラタレが添えられる。
味のバリエーションはまだまだある。例えばこの「ハラミ刺し」2,046円のわさび醤油タレ。片面にこんがりとした焼き目がつくまで炙り、わさび醤油タレにちょんとつけて口に放り込む。香ばしさの奥から焼き込んだ豊かな弾力とレア仕上げのやわらかな食感が、階層となって口の中で踊る。
本格的に焼肉に突入すると、ますますこの店の味わいの多彩さに惹き込まれる。牛タン塩1,408円などには別添えのねぎ塩タレをプラス。牛カシラ(コメカミ)には塩肉用のタレが添えられる。
辛みそタン1,078円はタンの下側の付け根(タンシタ、タンゲタ、タンルートとも言う)が辛味噌で和えてあり、噛み込むとすじの部分から濃厚な味わいが湧いてくる。肉の味が伸びるので、後を引く味わいの辛味噌との相性も抜群だ。
そして何と言っても、この店の看板はヒレ肉2,948円。塩とわさびが添えられるヒレ肉は、兵庫からやってきた黒毛のメス。この分厚さで提供される。
肉焼き好きなら腕が鳴る。ぶ厚い肉は焼き加減が難しい。加えてヒレ肉は焼きすぎるとパサつくが、焼きが浅いと味わいも食感も乗ってこない。きっちり内側まで温めながら、焼き上げる必要がある。
ただしヒレ肉は乱暴に焼くと肉がはがれたり、崩壊したりするリスクがある。だからこそフレンチなどではヒレ肉をタコ糸で縛ったりもする。では焼肉店ならどうするか。こうだ。
この状態でトングをつけっぱなしにして肉の横面を固定する。肉の表面を炙っては返し、を繰り返す。火加減が強いと感じたら途中で火から下ろして休ませてもいい。そうして肉の芯までじわじわと熱を加える。
使っていないトングで肉の表面を触って硬さを確認する。内側から跳ね返すような弾力を感じたら焼き上がり。大衆焼肉店だからカットはもちろん調理用ばさみ。食べやすいよう、ざくざくと短冊か大きめのダイス状に切り分けていく。
あごに力を入れずとも、すうっと歯が沈む。無重力のようなやわらかさの肉の繊維の間からは得も言われぬような繊細な肉のジュースが染み出してくる。塩でうまみが膨らみ、わさびで香りが引き締まる。黒毛和牛のぶ厚いヒレ肉を炭火で好みの加減に焼き上げ、自ら頬張る。
練馬の大衆焼肉店には限りなく多様な肉の味わいがある。
文・写真:松浦達也