撮影人にとってのランチは、どんな場所?「シン・ウルトラマン」、「シン・ゴジラ」など数々の日本映画を監督してきた樋口真嗣さんの、仕事現場で出会った“ゲンバメシ”の思い出を回想します。
撮影所という伝統的な職人仕事の集合体でありながらも、それなりにハイセンスを要求される、クリエイティブな場所であるべきだと思うんですよね。なのにその城下町に集まる店はどれも定食屋や中華、寿司屋と実力派のパワーランチばかり。おしゃれな洋食はないのか?俺は別に困らないけどスタッフの中にはガッツリ飯はもうイヤ〜っ!ってな声も上がりつつ世の中はバブルの真っ盛りに突入、撮影所の稼ぎのほとんどはコマーシャルの撮影で大賑わい。
そんなコマーシャルの撮影に集まる、広告代理店のおクリエイティブディレクター様やおクライアント様、おキャメラマンにおアートディレクター。やってる顔ぶれは映画と大して変わらないはずなのになんかこざっぱりしているし、スタジオに乗り付けてくる自動車もあからさまにその経済状態の潤沢さをアピールしまくり、我々映画人は肩身の狭い思いをしておりました。
そういう環境の変化も手伝ったのか、それまでの割り箸で全て済む食文化に西洋化のビッグウェーブがやってきました。まさに文明開花であります。
撮影所の脇を成城学園の駅まで抜けるバスどおりを挟んだ向こう岸、武蔵工業大学附属の小中高が並んでいるエリアの端っこの木立の中に赤い三角屋根の山荘のような作りの喫茶店がありました。そこでは、ナイフフォークで食する西洋のランチが食べられるというのです。
メニューはハンバーグとか生姜焼きとかスパゲッティとか冷静に考えれば撮影所の食堂と大して変わらないラインナップなんですけどナイフアンドフォーク、そして食後のコーヒーが埃まみれの撮影所を忘れるひとときになるんですよこれが!
毎日のように違うCMの現場をロマンスグレイの髪を伸ばし風に靡かせ、スタジオからスタジオへ渡り歩き次から次へと大規模なセットを取り仕切っていた美術デザイナーの池谷さんは、定食屋や台湾料理ではファッショナブルなセンスが維持できなくなるのでしょう(←んなわけあるかよ!)食後のコーヒーや紅茶をゆったりと飲めるその喫茶店をこよなく愛していました。
深い木立に囲まれた喫茶店はまるで軽井沢か箱根のクラッシックホテルにいるかのようでした。行ったことなかったけど。
他にも旧正門前、赤提灯やバイク屋の間のなぜこんなところにって立地に結婚式が挙げられるイタリアレストランがありました。あれもバブルの象徴だったのか、プロデュース私たちで親しき仲間だけで集まって結婚保証人ももちろん俺たち私たち!人前結婚式っていうんですかあれ?なんとも痒くなるような二人の門出が毎週末に挙げられるつもりだったのが、一度もそんな光景を目にすることはなく、平日昼間のランチは本格的なイタリアンといっても比べるほど食べたことなかったけど、当時の撮影所近辺の食事情からするとまさに衝撃で、これがスパゲッティではない、パスタというやつではないか?と納得させる力がありました。
革命的に美味しかったんだけども、兎に角時間がかかるんですよ。ちゃんとしてるせいなのか、ちょっとでも混んでたりしたら一時間の昼休憩を目一杯使っても料理が出てこないこともしばしば。評判を聞きつけてみんな一斉に押し寄せたせいだけど、これは正直論外。製作部から正門前のイタリアンに昼は行くな命令が出て、そもそも本業の結婚式場は誰もあげた気配もないのでそのままお店は潰れてドッグサロンになりました。その後クレープや飲茶の店になったけどその手の店はどうも撮影所とは親和性が低いらしく長続きしたことはありませんでした。
それからしばらくのあいだ、東宝とは疎遠になり、数年ぶりに戻ってきたのは20世紀も終わりに近づいた頃でした。その頃になると私は縁あって大映の怪獣映画「ガメラ」の特撮を担当していたので、調布の大映撮影所(現「KADOKAWAスタジオ」)や日活撮影所で仕事をする機会が増えました。東宝撮影所は撮影が終わった後の編集や音響といった仕上げ作業の拠点として顔を出すぐらいでした。それでも半年近く居座るんだから充分なんですけど。
その数年の間にテレビでは仮面ライダーやウルトラマンが復活して撮影所というよりも特撮界隈はかつての賑わいを取り戻す兆しが見えてきました。
そのウルトラマンは以前紹介した貸しスタジオ・東宝ビルトを拠点に製作が行われていました。
一緒に仕事をしていたスタッフも、元々ウルトラマン――というか円谷プロで仕事をしていた関係で我々の仕事と行ったり来たりという交流を続けていました。
仕事仲間と仕事の話をすると前向きでない話題が多くなりがちなので、厳しい現実から目を逸らすために会話のほとんどは飯の話になります。何しろ我々は飯を食うために仕事をしているので仕方ないのです。その流れで耳寄りな情報を手に入れました。
「増田屋」の裏の喫茶店のランチがいいらしい。
赤ちょうちんのマスダヤ、あの裏手に喫茶店なんてあったのか?
裏手には美容室があったのは覚えていたけど、美容室の脇の路地を入ったところに小さな入り口があったのです。正しくは裏口、正面入口は世田谷通りに面したところにあるので全く気づきませんでした。
喫茶店の名前は「パナシェ」。
日替わりをはじめとした洋食専門のランチが充実していました――。
文・イラスト 樋口真嗣
撮影所という伝統的な職人仕事の集合体でありながらも、それなりにハイセンスを要求される、クリエイティブな場所であるべきだと思うんですよね。なのにその城下町に集まる店はどれも定食屋や中華、寿司屋と実力派のパワーランチばかり。おしゃれな洋食はないのか?俺は別に困らないけどスタッフの中にはガッツリ飯はもうイヤ〜っ!ってな声も上がりつつ世の中はバブルの真っ盛りに突入、撮影所の稼ぎのほとんどはコマーシャルの撮影で大賑わい。
そんなコマーシャルの撮影に集まる、広告代理店のおクリエイティブディレクター様やおクライアント様、おキャメラマンにおアートディレクター。やってる顔ぶれは映画と大して変わらないはずなのになんかこざっぱりしているし、スタジオに乗り付けてくる自動車もあからさまにその経済状態の潤沢さをアピールしまくり、我々映画人は肩身の狭い思いをしておりました。
そういう環境の変化も手伝ったのか、それまでの割り箸で全て済む食文化に西洋化のビッグウェーブがやってきました。まさに文明開花であります。
撮影所の脇を成城学園の駅まで抜けるバスどおりを挟んだ向こう岸、武蔵工業大学附属の小中高が並んでいるエリアの端っこの木立の中に赤い三角屋根の山荘のような作りの喫茶店がありました。そこでは、ナイフフォークで食する西洋のランチが食べられるというのです。
メニューはハンバーグとか生姜焼きとかスパゲッティとか冷静に考えれば撮影所の食堂と大して変わらないラインナップなんですけどナイフアンドフォーク、そして食後のコーヒーが埃まみれの撮影所を忘れるひとときになるんですよこれが!
毎日のように違うCMの現場をロマンスグレイの髪を伸ばし風に靡かせ、スタジオからスタジオへ渡り歩き次から次へと大規模なセットを取り仕切っていた美術デザイナーの池谷さんは、定食屋や台湾料理ではファッショナブルなセンスが維持できなくなるのでしょう(←んなわけあるかよ!)食後のコーヒーや紅茶をゆったりと飲めるその喫茶店をこよなく愛していました。
深い木立に囲まれた喫茶店はまるで軽井沢か箱根のクラッシックホテルにいるかのようでした。行ったことなかったけど。
他にも旧正門前、赤提灯やバイク屋の間のなぜこんなところにって立地に結婚式が挙げられるイタリアレストランがありました。あれもバブルの象徴だったのか、プロデュース私たちで親しき仲間だけで集まって結婚保証人ももちろん俺たち私たち!人前結婚式っていうんですかあれ?なんとも痒くなるような二人の門出が毎週末に挙げられるつもりだったのが、一度もそんな光景を目にすることはなく、平日昼間のランチは本格的なイタリアンといっても比べるほど食べたことなかったけど、当時の撮影所近辺の食事情からするとまさに衝撃で、これがスパゲッティではない、パスタというやつではないか?と納得させる力がありました。
革命的に美味しかったんだけども、兎に角時間がかかるんですよ。ちゃんとしてるせいなのか、ちょっとでも混んでたりしたら一時間の昼休憩を目一杯使っても料理が出てこないこともしばしば。評判を聞きつけてみんな一斉に押し寄せたせいだけど、これは正直論外。製作部から正門前のイタリアンに昼は行くな命令が出て、そもそも本業の結婚式場は誰もあげた気配もないのでそのままお店は潰れてドッグサロンになりました。その後クレープや飲茶の店になったけどその手の店はどうも撮影所とは親和性が低いらしく長続きしたことはありませんでした。
それからしばらくのあいだ、東宝とは疎遠になり、数年ぶりに戻ってきたのは20世紀も終わりに近づいた頃でした。その頃になると私は縁あって大映の怪獣映画「ガメラ」の特撮を担当していたので、調布の大映撮影所(現「KADOKAWAスタジオ」)や日活撮影所で仕事をする機会が増えました。東宝撮影所は撮影が終わった後の編集や音響といった仕上げ作業の拠点として顔を出すぐらいでした。それでも半年近く居座るんだから充分なんですけど。
その数年の間にテレビでは仮面ライダーやウルトラマンが復活して撮影所というよりも特撮界隈はかつての賑わいを取り戻す兆しが見えてきました。
そのウルトラマンは以前紹介した貸しスタジオ・東宝ビルトを拠点に製作が行われていました。
一緒に仕事をしていたスタッフも、元々ウルトラマン――というか円谷プロで仕事をしていた関係で我々の仕事と行ったり来たりという交流を続けていました。
仕事仲間と仕事の話をすると前向きでない話題が多くなりがちなので、厳しい現実から目を逸らすために会話のほとんどは飯の話になります。何しろ我々は飯を食うために仕事をしているので仕方ないのです。その流れで耳寄りな情報を手に入れました。
「増田屋」の裏の喫茶店のランチがいいらしい。
赤ちょうちんのマスダヤ、あの裏手に喫茶店なんてあったのか?
裏手には美容室があったのは覚えていたけど、美容室の脇の路地を入ったところに小さな入り口があったのです。正しくは裏口、正面入口は世田谷通りに面したところにあるので全く気づきませんでした。
喫茶店の名前は「パナシェ」。
日替わりをはじめとした洋食専門のランチが充実していました――。
文・イラスト 樋口真嗣