dancyu本誌から
dancyu10月号「ニッポンの旨いもの」絶賛発売中!

dancyu10月号「ニッポンの旨いもの」絶賛発売中!

わざわざ産地に足を運ばなければ味わえない食材や料理がある。鮮度が落ちやすく、希少で、熟練の技が必要なものは、流通網がどれだけ発達しても、そこに行かなきゃ真髄までは堪能できない。行けば、想像を超える興奮と感動と、腹の底からの旨い!が待っている。さぁ、旅に出よう。

表紙
P10-11
P39
P47

香りの記憶

dancyu2024年10月号
昔の記憶を呼び覚ます力は、視覚や聴覚よりも、嗅覚が断然強いのだそうです。ある匂いを嗅いだときに懐かしい記憶が蘇りキュンとしたことは、誰しもありますよね。私も、蚊取り線香の匂いで夏休みに祖母の家で食べたスイカを思い出しますし、ツンとした香りのする安ウイスキーのコーラ割りを久しぶりに口にしたときは、学生時代の二日酔いの気怠(けだる)さが瞬時に蘇りました(笑)。

なかでも特に印象的だったのは、初めて訪れた土地の匂いが特別に懐かしかったことです。夏休みに、モンゴルのウランバートルに留学中の友人を訪ねたことがありました。友人が暮らす寮は、四角いグレーの素っ気ない建物で、たんぽぽが咲き乱れる空き地の奥にありました。旅行鞄を抱えながら空き地を横切り、建物の湿っぽい匂いを嗅いだとき、突然、幼い頃に住んでいた北海道・釧路の団地を思い出したのです。原っぱで遊んだ後、母の待つ団地に向かって歩く5歳の自分――。時空を超えて当時に戻ったかのようなリアルな感覚に震えました。でも、モンゴルでなぜ釧路の匂いがしたのでしょう?釧路の団地も、たんぽぽが咲く野原の奥に建っていたので、土壌の成分が近かったのかもしれません。

それ以降、国内外のどこに行っても、その匂いに出会うことはありませんでした。釧路の団地とモンゴルの寮でしか嗅げなかった香りであり、その香りがないと呼び起こされない不思議な記憶体験でした。

このときのモンゴル旅行は、もうひとつ、別の香りの記憶を私に刻みました。それまでは羊肉を特に臭いと思ったことがなかったのですが、そこら中が羊の匂いに満ちていたモンゴル滞在を経て、嗅覚の感度を上げてしまったようです。以来、クセのないピュアな味のものを除いては、羊肉が少し苦手になってしまったのでした。

よくも悪くもコントロールできないのが、香りの記憶の、やっかいでロマンチックなところだなと思います。

dancyu編集長 藤岡郷子
dancyu2024年10月号
dancyu2024年10月号
特集:ニッポンの旨いもの
A4変型判(128頁)
2024年9月6日発売/1,200円(税込)

写真=エレファント・タカ