「日本酒を変えた」男 ~神亀・小川原良征“センム”の軌跡~
「おらが村の酒 神亀」を掲げ、半世紀前から並走した地元蓮田の「今宮屋酒店」西山昌男さん②

「おらが村の酒 神亀」を掲げ、半世紀前から並走した地元蓮田の「今宮屋酒店」西山昌男さん②

埼玉県蓮田市の酒販店「今宮屋酒店」の西山昌男さんは、神亀酒造の故・小川原良征センムと40年以上の長きにわたって親しくつきあってきた人だ。センムを信頼し、その酒に深い愛着を持ち続けてきた西山さんは、地元の酒販店として、常に神亀酒造を応援してきた。写真は本店の外壁に描かれた神亀酒造の上槽の様子だが、佐瀬式の酒槽による丁寧な搾りを守り続ける姿勢にも西山さんは敬意をはらっていた。20代から70代までのセンムを常に身近で見続けてきた人が、長い歳月を振り返る。

神亀酒造に通う西山さんは、さながら蔵の応援団長のようでもあった。昭和の時代は、大手ナショナルブランドが酒販店の看板を製作するのが常識のようになっていたが、西山さんは、店の看板のみならず、店舗の外壁に掲げる大きな看板も自費で製作。上からじわじわと圧力をかけてもろみを押し、酒を搾る神亀酒造の「槽搾り」の様子を描いた絵を看板画家に依頼した。前後して製作したのが店頭に立つ幟(のぼり)旗で、そこに記したのは自身が考案した「おらが村の酒 神亀」のキャッチコピーだ。西山さんにとって神亀という銘柄は、一番信頼している人物が醸す、自分たちの誇る地元の地酒なのだった。

1986年、神亀酒造が全量純米蔵となった時には、多くの人が驚きの声をあげたが、西山さんには驚きも心配もなかったという。「なかったね。だって、センムはずっと、すごくいろいろ準備していたもの。やると思っていたよね」。
戦後初の全量純米蔵への移行。その快挙を成し遂げた人物として、センムが朝日新聞の『ひと』欄に登場した時には、西山さんは「出たね!」と快哉を叫び、その記事を大量にコピーして店に来る人たちに配りまくり、郵便でも送った。
「だけどさ、センムはああいう時も背広着たりはしないで、いつも通りの缶コーヒーの景品のジャンパー着て出たんだよな。朝日新聞の『ひと』だよ!?いいかげんにしろって感じだよな(笑)」

朝日新聞切り抜きコピー
1991年の朝日新聞「ひと」欄にセンム(当時44歳)が登場した時のコピー。我が事のように喜んだ西山さんは、この記事を何枚もコピーして人に配った。

西山さんが蔵に通っていたからこそ、誕生した銘柄もある。ある冬の日。酒造期の槽場で滴り落ちてくる搾りたての酒を味わった西山さんは、そのあまりにも鮮烈な味わいに「ほかの酒と全然違う!」と大感動、「これは、みんなに飲ませたい」とセンムに直談判し、センムもその熱意に押されて商品化することとなった。それが今も蔵の人気商品である「上槽中汲み」だ。発売は、無濾過生原酒ブームが起こる以前の1990年代後半のことだった。

日本酒
人気アイテム5種。左から神亀上槽中汲み、純米吟醸、純米吟醸にごり酒、小鳥のさえずり、ひこ孫純米吟醸。
店内
神亀酒造の酒がフルラインナップで揃う店内。壁に飾られた凧(たこ)にも神亀、ひこ孫の筆文字が。

高校卒業後からの45年間のつきあい。その長い歳月の間には「疲れたセンム」の顔も西山さんはたびたび目にしている。
「酒の会とか、いろんなとこに出かけていってたけどさ、センム、出かけるのはいいけど、顔が真っ青だよって言ったこと、何度かあった。大丈夫かよって。試飲会に行く時なんかも青い顔でも行ってたな。いろいろ、無理してたんだな」。

西山さんの「センム、大丈夫かよ」という問いかけには、いつも「大丈夫だよ」という言葉が返ってきた。センムがすい臓がんの闘病に入ってからも、それは同じだったという。死去から6年。7歳年上だったセンムの年齢に西山さんも追いつきつつある。
「純米酒を飲んでるから、ここまで元気なんだって、センムに言ってて欲しかったな。……偉大な人が亡くなっちゃったよね」。

dancyu
2000年2月号のdancyu日本酒特集号。神亀酒造の記事の中には、蔵を応援してきた酒販店主として西山さんも登場している。
西山さん
雑誌を手にし、取材時の思い出話に笑みを浮かべる西山さん。

西山さんにとってのセンムは、とても身近でありながら、偉大な存在だった。
「ああいう人は、いないよね。……外で飲んでた時に、どっかの蔵の酒が重い味だったんだよな。そしたら、その蔵に電話して『こうしたらいいんじゃないか』って話してさ。センムは、酒の味から、いろんなことがわかるんだよな。それと、あしなが育英会の募金も、センム、ずっと続けてたんだよ。匿名で。あとさ、センムはうちの店のパートさんにも焼肉ご馳走してくれたりさ。すごい、うまい焼肉だったって」。

さまざまな思い出を話して下さる西山さんの前には、センムの写真、センムの記事のスクラップ、センムがテレビに出た時のビデオ、神亀酒造にまつわる資料がこんもりと積まれている。愛だなあ、としか言いようのない、長い歳月の記録。西山さんにとっては「おらが村の酒 神亀」だけれど、神亀酒造にとっても「おらが村の酒屋 今宮屋」というべき存在だったのではないか。今宮さんとセンムとの関わりをずっと見てきた妻の美和子さんは、「うちの子どもたちにも、今宮さんの店の方向には足向けて寝るなと言ってるの」と話していた。センムが「油屋さん」と呼んだ人の温かな応援は、当代に至るまでずっと長く続いてきたのだ。

ポップ
西山さんが蔵で鮮烈な味わいに感動したことから誕生した無濾過生原酒のシリーズは 毎年充実の品揃え。店の入り口にはそれぞれの酒の説明を書いたポップも貼られている。

文:藤田千恵子 撮影:伊藤菜々子

藤田 千恵子

藤田 千恵子 (ライター)

ふじた・ちえこ 群馬県生まれ。日本酒、発酵食品・調味料、着物の世界を取材執筆するライター。dancyu日本酒特集にも寄稿多数。1980年代中盤に日本酒の業界紙でアルバイトしていたことがきっかけで神亀酒造・小川原良征氏と出会い、以後三十余年の親交を続ける。小川原氏の最晩年には、氏からの依頼で病床に通い、純米酒造りへの思い、提言を聞き取り記録した。