昼食時のスタッフの胃袋であった「増田屋」、そこで樋口監督が注文したメニューとは?「シン・ウルトラマン」、「シン・ゴジラ」など数々の日本映画を監督してきた樋口真嗣さんの、仕事現場で出会った“ゲンバメシ”とは?
偉そうに東宝界隈の食事情を語っていますが、35年前は何者でもない下っ端のぺえぺえでございましたし、35年前なんてもうスタジオで映画が作られるなんて年に数回しかなく、スタジオの大通りを闊歩するのはもっぱらコマーシャルを撮っている人たちでした。
かつて名声を恣にした巨匠も老いさらばえ、かつてと同じように朝起きたら撮影所に向かい、大戸を開けてステージに入るとすでに撮影準備はできていて用意、スタートをかけるんだけど周りのスタッフは呆然としています。
そこは映画ではなくコマーシャルの撮影中ですから誰だこのじいちゃん?
騒然となった現場にお綺麗な御婦人が静かにやってきて、熱愛の挙句に結婚した伴侶である巨匠を連れ戻した、という撮影所の主役が映画からコマーシャルに代わってしまったことから生まれた伝説が語られるような時期でありました。
おそらく全盛期の撮影所とはかけ離れた冬の時代、氷河期に――いや氷河期だから潜り込めたようなもんです、何者でもない私なんて。あの時期だから映画の世界に入れたのであって、これが全盛期だったら絶対に門前払い。
その全盛期からずっと東宝スタジオの旧正門前で営んでいた「増田屋」(通称赤ちょうちん)では、定食屋だけでなく小切手で支払われたギャラの換金までやっていたそうです。駅前の銀行や郵便局で換金させて駅前の飲み屋に客を取られてしまうのを未然に防ぐための方策でしょうか。撮影所で働く者の胃袋のみならず、財布まで握った陰の支配者と言っても過言ではありません。
そもそも東宝撮影所の正門は現在の位置と真逆の、旧世田谷通りの引き込み線のような側道に面していました。渋谷や玉川からバスが往来して転回場になっていて、その小さなロータリーに面してちょっとした商店街が栄えていて、その中心に「増田屋」がありました。
昼休みともなると、撮影所内に二つあった食堂……俳優部やメインスタッフが歓談している、ゆとりのある空間と引き換えにお値段もそれなりな「サロン」と、行けばそばかうどんかカレーか日替わりの定食のみの選択肢で、四人がけのテーブルを囲んでかっ食らいお茶で流し込む飯場の食堂スタイルと引き換えに格安の「社食」へ、最盛期で11棟あったステージごとに各々数十人、下手すりゃ百人を超えるスタッフ、キャストが一斉に雪崩れ込むと大行列が形成されなかなか食事にありつけません。
その混雑を避けるために、いかに他所より早く休憩時間を入れられるかが現場を仕切る演出部の腕の見せ所になるんですけど、その昼食難民の受け入れ先の筆頭が「増田屋」でした。とはいっても定員32名。もう少し入るのかな?
改装前はガラスケースに出来合いのおかずが並んでた民生食堂スタイルだったけど、儲けた金で建てたビル(と言っても4階建て)になってからは、各種定食に加えて日替わりの和定食とランチがホワイトボードに書き出されました。
和定食は撮影所に昔から居るご高齢のスタッフを精神的に満たす、焼き魚を中心とした低カロリー低脂肪低塩分を主食としたもの。それに対してランチは、フライパンで焼いたり炒めた高カロリーな主食だけでなく、和定食についていた味噌汁にかわり半ラーメンで飢えた若手スタッフの胃袋も大満足というわけです。
さらに、それとは別に並ぶ定食の圧倒的なバリエーションは、近隣店舗の追随を一切許さぬ勢いでしたが、日参すればあっという間に枯渇します。
たまには……と店番のおばちゃんにレバニラ炒め定食をオーダーします。余談になるのですが私め、ほとんど唯一と言ってもいいぐらいの嫌いな食べ物がタマネギでございまして、それもちょっと火が通った状態のあのクニャッとした歯触りでありながら、噛むと中からジワッと細胞膜を破って溢れ出る甘みが口の中に広がり……描いてて美味しそうな文章に感じるのが腹立たしいぐらいダメなんですよ。
この話は書き出すとキリがないのと、この記事を嫌いな食材で費やすのは勿体ないので割愛しますが、まあみんな良かれと思って入れるわけですよね、料理の隙間に。
赤ちょうちんのレバニラも御多分に洩れずタマネギの野郎が混入してます。それでも食べたい私は注文をとりに来たおばちゃんに、無理を承知でタマネギ抜きをオーダーしますが、出てくるレバニラにはしっかりタマネギが。
決まっておばちゃんは「ごめんなさいねー玉ねぎ入っちゃったの~」って入っちゃったんじゃなくて入れてんだろオヤジ!
とハラワタは煮え繰り返りますが、如何せん二十歳ソコソコの若造のわがままなんか聞いてらんねえんだよ、こちとら創業何十年だ!仰る通りでございます。仰ってませんが。
グッと堪えていつの日か、俺もタマネギ抜きを出してもらえるぐらい偉くなってやる!と泣きながらもやしと見分けがつかない程シンナリと火が通った玉ねぎを選分けながら誓ったわけではないけど、あれから三十余年が経ち、私もちっとは知られた名前になって、おばちゃんからも「カントクー」とか呼ばれるようになったから、そろそろ許して貰えるんじゃないか?と注文しましたよレバニラ炒め定食を!
引っ張るほどの話でもないんですが文字数が尽きたようでございます。
文・イラスト:樋口真嗣
偉そうに東宝界隈の食事情を語っていますが、35年前は何者でもない下っ端のぺえぺえでございましたし、35年前なんてもうスタジオで映画が作られるなんて年に数回しかなく、スタジオの大通りを闊歩するのはもっぱらコマーシャルを撮っている人たちでした。
かつて名声を恣にした巨匠も老いさらばえ、かつてと同じように朝起きたら撮影所に向かい、大戸を開けてステージに入るとすでに撮影準備はできていて用意、スタートをかけるんだけど周りのスタッフは呆然としています。
そこは映画ではなくコマーシャルの撮影中ですから誰だこのじいちゃん?
騒然となった現場にお綺麗な御婦人が静かにやってきて、熱愛の挙句に結婚した伴侶である巨匠を連れ戻した、という撮影所の主役が映画からコマーシャルに代わってしまったことから生まれた伝説が語られるような時期でありました。
おそらく全盛期の撮影所とはかけ離れた冬の時代、氷河期に――いや氷河期だから潜り込めたようなもんです、何者でもない私なんて。あの時期だから映画の世界に入れたのであって、これが全盛期だったら絶対に門前払い。
その全盛期からずっと東宝スタジオの旧正門前で営んでいた「増田屋」(通称赤ちょうちん)では、定食屋だけでなく小切手で支払われたギャラの換金までやっていたそうです。駅前の銀行や郵便局で換金させて駅前の飲み屋に客を取られてしまうのを未然に防ぐための方策でしょうか。撮影所で働く者の胃袋のみならず、財布まで握った陰の支配者と言っても過言ではありません。
そもそも東宝撮影所の正門は現在の位置と真逆の、旧世田谷通りの引き込み線のような側道に面していました。渋谷や玉川からバスが往来して転回場になっていて、その小さなロータリーに面してちょっとした商店街が栄えていて、その中心に「増田屋」がありました。
昼休みともなると、撮影所内に二つあった食堂……俳優部やメインスタッフが歓談している、ゆとりのある空間と引き換えにお値段もそれなりな「サロン」と、行けばそばかうどんかカレーか日替わりの定食のみの選択肢で、四人がけのテーブルを囲んでかっ食らいお茶で流し込む飯場の食堂スタイルと引き換えに格安の「社食」へ、最盛期で11棟あったステージごとに各々数十人、下手すりゃ百人を超えるスタッフ、キャストが一斉に雪崩れ込むと大行列が形成されなかなか食事にありつけません。
その混雑を避けるために、いかに他所より早く休憩時間を入れられるかが現場を仕切る演出部の腕の見せ所になるんですけど、その昼食難民の受け入れ先の筆頭が「増田屋」でした。とはいっても定員32名。もう少し入るのかな?
改装前はガラスケースに出来合いのおかずが並んでた民生食堂スタイルだったけど、儲けた金で建てたビル(と言っても4階建て)になってからは、各種定食に加えて日替わりの和定食とランチがホワイトボードに書き出されました。
和定食は撮影所に昔から居るご高齢のスタッフを精神的に満たす、焼き魚を中心とした低カロリー低脂肪低塩分を主食としたもの。それに対してランチは、フライパンで焼いたり炒めた高カロリーな主食だけでなく、和定食についていた味噌汁にかわり半ラーメンで飢えた若手スタッフの胃袋も大満足というわけです。
さらに、それとは別に並ぶ定食の圧倒的なバリエーションは、近隣店舗の追随を一切許さぬ勢いでしたが、日参すればあっという間に枯渇します。
たまには……と店番のおばちゃんにレバニラ炒め定食をオーダーします。余談になるのですが私め、ほとんど唯一と言ってもいいぐらいの嫌いな食べ物がタマネギでございまして、それもちょっと火が通った状態のあのクニャッとした歯触りでありながら、噛むと中からジワッと細胞膜を破って溢れ出る甘みが口の中に広がり……描いてて美味しそうな文章に感じるのが腹立たしいぐらいダメなんですよ。
この話は書き出すとキリがないのと、この記事を嫌いな食材で費やすのは勿体ないので割愛しますが、まあみんな良かれと思って入れるわけですよね、料理の隙間に。
赤ちょうちんのレバニラも御多分に洩れずタマネギの野郎が混入してます。それでも食べたい私は注文をとりに来たおばちゃんに、無理を承知でタマネギ抜きをオーダーしますが、出てくるレバニラにはしっかりタマネギが。
決まっておばちゃんは「ごめんなさいねー玉ねぎ入っちゃったの~」って入っちゃったんじゃなくて入れてんだろオヤジ!
とハラワタは煮え繰り返りますが、如何せん二十歳ソコソコの若造のわがままなんか聞いてらんねえんだよ、こちとら創業何十年だ!仰る通りでございます。仰ってませんが。
グッと堪えていつの日か、俺もタマネギ抜きを出してもらえるぐらい偉くなってやる!と泣きながらもやしと見分けがつかない程シンナリと火が通った玉ねぎを選分けながら誓ったわけではないけど、あれから三十余年が経ち、私もちっとは知られた名前になって、おばちゃんからも「カントクー」とか呼ばれるようになったから、そろそろ許して貰えるんじゃないか?と注文しましたよレバニラ炒め定食を!
引っ張るほどの話でもないんですが文字数が尽きたようでございます。
文・イラスト:樋口真嗣