澄み渡る雲ひとつない青空に、心も晴れます。本誌連載、「『岬屋』の和菓子ごよみ」では、東京・渋谷にある上菓子店「岬屋」の季節の和菓子を、毎月紹介しています。WEBでは、本誌で紹介しきれなかった「おいしさの裏側」をお伝えしていきます。本誌連載と併せてお楽しみください。
最初に教えてもらわなければ、「ずいろく」とは読めなかった。
「端鹿(ずいろく)」は、糖蜜やミネラルを含んだ粗製糖と、寒梅粉(蒸したもち米を乾燥させた粉)をすり混ぜて、固めてつくる。生地に浮かぶ濃い茶色のまだら模様が、鹿の背中に似ていることから、鎌倉にある臨済宗円覚寺の元管長、朝比奈宗源老師より、寺の山号「端鹿山」を菓銘に拝領した。
「瑞鹿は、おじいさん(初代)の代からつくっていた菓子だけど、私まで三代かけて今のつくり方になったんだよ」と主人の渡邊好樹さんは言う。
以前紹介した「紅葉橋」と同様(第26回、2022年12月号掲載)、砂糖生地が主役の半生菓子だが、その生地の中に大徳寺納豆を調製してつくった“そぼろ”を加えることが、菓子の肝となる。
まずはこの、大徳寺納豆の話から伺おう。
大徳寺納豆は、蒸した大豆を麹で発酵させ、塩水につけてから乾燥させてつくる保存食。中国から僧侶よって伝えられ、唐納豆、塩辛納豆とも呼ばれる。「岬屋」では、京都の大徳寺瑞峰院でつくられる大徳寺納豆(唐納豆)を拝領している。
味噌にも醤油にも似た濃厚な旨味と塩気があって、酒肴としてもおいしいのだが、そのまま菓子に加えると、水分で生地ににじみが出るし、香りも塩気も強すぎる。この個性の強い大徳寺納豆を調和させるにはどうするか。
「おやじ(二代目)もずっと悩んでいてさ。そこでぼくが『漉し餡でのばしたらいいんじゃないか』、と言ったの」
大徳寺納豆と漉し餡をどんな割合で混ぜるか。いろいろ試して、現在のそぼろ状にする方法になった。そのつくり方も見せてもらった。
大徳寺納豆は、まず水に浸してふやかしてから、さわり(打ち出しの銅鍋)に入れて、弱い火でゆっくりと煮溶かす。漉し餡も鍋の端でスタンバイ。
じっくり熱を加えながら、大徳寺納豆の水気を飛ばし、漉し餡と硬さが近づいたところでなじませる。漉し餡には納豆の色が移り、黒っぽくなってゆく。
「こうすると、香りも柔らかくなるでしょう。そのまま嗅ぐときよりもいい香りだと思う。後味を楽しめるようにしないといけないからさ」
練り上がった餡を流し缶にうつしたら、均一に伸ばして少し置き、粗熱を取る。
「乾燥させすぎちゃうとそぼろにできないからね。冷ます程度にね」
冷めたら目の粗いザルにのせ、濾してそぼろにする。
箸であらかたほぐして広げ、乾くまで置いた後に再びほぐし、天日にも当ててしっかり乾燥させる。
こうして出来上がったのが、このそぼろだ。味見をさせてもらうと、そのまま食べる時より塩気は穏やかに、香りも上品になっていた。
では、生地づくりに入ろう。
材料は、粗製糖、寒梅粉、上白糖と水でつくった蜜と白漉し餡を少し、そして大徳寺納豆を調製した前出の“そぼろ”。
それまでは上白糖でつくっていた砂糖生地に、糖蜜やミネラルを含む粗精糖を使うようになったのは、今の主人の代からだという。
「上白糖では味気ないし、生地の色をもっと鹿らしい色に変えたいと思ってね(笑)。風味もよくなるし。自然食品店でいろいろな含蜜糖を探して、試してみたんだよ。」
まず、さわりに粗精糖を入れ、砂糖をしとらせるための蜜を加えて、手で少しずつすり混ぜる。
このしとり蜜と、主人の手のぬくもりで砂糖の中から水分が引き出され、砂糖全体がしっとりとなじんでいく。
全体がなじんだら、白餡を加える。
「白餡を加えることにしたのは、初代の発想。つなぎの役割だね」
白漉し餡をよくもみ込んだ後に、粒子の細かい、さらさらとした寒梅粉(もち米の粉)を一気に加えた。
「ここまで十分に揉んでしっとりさせているから、寒梅粉を入れた後はそんなに揉まないよ」
軽くすり合わせるようにすると、あんなにたっぷりと入った寒梅粉が砂糖生地と一体になり、さらにしっとりとしてきた。
「こうやってギュッと握ると固まるようになるまでなじませるんだ」と主人は握って見せてくれた。
ここから、大きな団子状に丸め直して取り出していく。
「なぜ団子にするかと思うでしょ。こうすると、なじみきっていない部分があっても、よくまとまるからね」
丸めた団子は、目の粗いザルにのせて裏漉しする。これで、さらに生地全体が均一になった。
大徳寺納豆の調製そぼろを加え、ふわふわっと混ぜ合わせる。
続けて、羊羹舟(長方形の型)に生地を移す。型からこぼれ落ちそうなほど、山盛りだ。
箸で隅まで均一にならすと、主人は、手のつけ根(たなごころ)で、四辺の端をすーっとなでるようにしながら、生地を内側におさめていく。 「詰め方にムラができると、固めた時にもムラが残ってしまうから均一にね」
さらに型押しの板をのせ、体重をかけて押す。様子を見て高さを少し整え、また板をのせて押す。高さが揃ったら板を外し、ラップをかけて一晩置いて、寒梅粉が水分を吸って固まるのを待つ。
一晩置いた生地を型から外すと、ふわふわに見えていた生地はしっかりと固まり、きれいな板状になっていた。寒梅粉と砂糖がなじむことで、色も少し変わるのだとか。そぼろが細長く見えるところ、点になっているところもあって、ランダムで美しい。 「自然にできた模様だからね。いい感じでしょう」
仕上げは切り分け。よく切れる大きな包丁の重さを利用して、真っ直ぐに刃を落としていく。 一晩かけてしっかり固まっているとはいえ、砂糖生地はまだ少し柔らかい。刃先が少しぶれるだけでも形が揃わなくなる、繊細な作業だ。
寸法を何度も測りながら短冊状に切り分け、さらに1cm幅の長方形に切っていく。
1列ずつ取り上げて和紙で包み、箱にぴったりと収めて出来上がり。
口に入れるとまず、大徳寺納豆の香りのよさに驚かされる。生地も、砂糖のダイレクトな甘さはなく、こなれていてとても上品。そこに時折、塩気もよぎる。砂糖生地が溶けた後の旨味の余韻もいい。少しずつ、抹茶と共に楽しみたい。
文:岡村理恵 写真:宮濱祐美子