忘れていた夏の力強い太陽が戻ってきました。本誌連載、「『岬屋』の和菓子ごよみ」では、東京・渋谷にある上菓子店「岬屋」の季節の和菓子を、毎月紹介しています。WEBでは、本誌で紹介しきれなかった「おいしさの裏側」をお伝えしていきます。本誌連載と併せてお楽しみください。
この日も「岬屋」の釜には火が入り、しゅんしゅんと湯が温められていた。
今日の菓子は「古代蒸し」と聞いていたから、蒸すものだとは思っていたが、そのつくり方や味わいは想像を超えるものだった。
材料は、上白糖とすりおろした大和芋、”白小豆”の漉し餡、卵。かるかん粉(蒸したうるち米を乾かし、粉砕したもの)も少量入れるが、ほんのつなぎ程度。小麦粉は全く入らない。普段なら小豆の漉し餡や、大手芒豆の白餡でつくるが、
作業は、すりおろした大和芋と上白糖を、さわり(打ち出しの銅鍋)に入れ、めん棒ですり混ぜるところから始まる。
「芋にコシがあると、生地が膨らみすぎて、生地が割れてしまうからね」と主人の渡邊好樹さん。
ただ砂糖となじませているだけでなく、大和芋のコシを切るための作業だという。
「この手法は、関西で薯蕷饅頭をつくる時のものだね。関西はコシの強いつくね芋を使っていたから、こういう芋の扱い方をしていたんだ」
今回の菓子に使うのは産地指定の“大和芋”だが、「岬屋」で使っている大和芋はコシがしっかりしているので、この作業が必要だ。同じ大和芋でも、もっと柔らかく扱いやすい産地のものもあるが、味のよさを考え、主人が選んだしっかりした大和芋を使っている。
すり混ぜるうちに砂糖はすっかり見えなくなったが、「めん棒にからんでくるようではまだまだ」らしい。
時にジグザグに、時にグルグルと、さわりの中で大きくめん棒を動かし、砂糖から水分が出てなじんでくるまですり混ぜる。ひたすら混ぜるだけの作業なら機械でやってもよさそうだが、
「隅々までなじませながら混ぜる、というのは、機械ではできない作業なの」
さわりの内側と外側の生地を入れ替えながら慎重にすり混ぜ続け、めん棒から生地がたらーっと帯のように流れ落ちるくらいになったらすり終わり。
なめらかにすり上がった芋の中に、主人は、どかっと白小豆の漉し餡を加えた。
「白小豆の餡を、こんなに入れるって発想はないんじゃない?(笑)」
混ぜていくと、餡はさわりいっぱいに広がり、その量の多さがよくわかった。
「この生地の土台は粉じゃない。餡だからね」
やや白っぽくなるまですり混ぜたら、卵黄を投入する。
卵黄をよくなじませて、生地がやや黄色みがかった色になったところに、機械でしっかり立てたメレンゲ(卵白)と、少量のかるかん粉を加えた。
「卵白だけだとしぼんでしまうけど、かるかん粉を入れるとキープできるから」
ホイッパーに持ち替え、力強く混ぜ合わせたら、生地の出来上がり。
角せいろの中に、せいろ用の紙を敷き、長方形の流し缶をおく。細長く切った経木を側面に立て、生地を一気に流し入れる。
「流動性がなくて、もったりとしているでしょう。スポンジ生地のようにメレンゲの力で膨らませるというよりも、熱を加えて生地をかためるイメージだから。卵に火を入れると固まるでしょう、それを利用していくんだね」
竹ベラに持ち替え、細かく左右に揺らしながら、生地の表面をならしていく。ねっとりとした生地だから、流し入れただけでは均一にならないのだ。隅々まで、丁寧に人間の手で広げ、最後は表面を整える。
さぁ、あとはせいろで蒸す工程。
「この生地は蒸すのに時間がかかるの。30分は蒸さないとね。完成した生地を冷やすのにもまた時間がかかるのよ」と女将さん。
釜にのせると、せいろから蒸気が上がり始めた。よく見ると、蓋の板が、斜めに落ちている。
「この蓋は、特注で作ってもらったんだ」
長時間蒸していると、どうしても水滴が落ちてくる。それが生地を傷つけてしまうので、布巾をかけてみたりといろいろ試したが、蓋が斜めになっていれば、水滴は低い方に向かって流れる。この道理を使って、流し缶の外側に落とすという仕掛けを思いつき、職人に作ってもらったという。こうした、道具のカスタマイズや細やかな工夫も仕事のうちなのだ。
蒸し上がった生地の表面はなめらかで、型に入れたときの姿そのままに見える。
「きれいな面になるでしょう。これは、むくむくとは膨らまないんだ。そこが、粉の生地との違い」
しっかり冷ました後、竿の形に切り出す作業。主人は、大きな包丁をゆっくりと差し込んだ。
「力を入れて切ろうとすると曲がっちゃう。包丁の重さ+αで切るんだね」
断面には細かな気泡が入っていて、ふわふわしているように見える。しかし、目はつまっていてしっとりもしている。
「どう表現したらいいのかなあ。こういう感じの食べ物はないと思うんだよ。軽いの。あんこが入っているけれど、あんこの重さがないんだ」
初代がこの菓子をつくった時は、小豆の漉し餡を使ったため、生地の色が日本の伝統色“古代紫”のようだったことから、古代蒸しと名付けられたようだ。
現主人は、白小豆の餡をつかって、夏向きの明るい色に仕上げた「白小豆の古代蒸し」もつくるようになった。
「うちには、白小豆があるから」と女将さん。
口に入れてみて、驚いた。「なんだなんだ、この感じ?」と考えているうちに溶けてなくなる。そして、「白小豆の餡だ!」と思う。見えないけれど、上質な餡の味わいが口中に広がる。
ふわふわした食感を想像していたのに、全く違い、しっとりとしていて、儚い。
二口目、わかっているはずなのに、やっぱりびっくりする。舌と、口の中の全ての感覚を使って追いかけようという気持ちになる。
「食べたりない、と思うでしょ」。主人のいたずらっぽい笑顔。
「口に入れた瞬間に『おいしい!』と感じるものと、飲み込むときにじんわり感じるものとがあるよね。これは後者」
よそ見しながら食べてはいけない。食べることに集中したくなる。そして、いくらでも食べたくなる菓子だ。
文:岡村理恵 写真:宮濱祐美子