百年「食」の珍事件簿~いつの時代も「食」のまわりでは事件が起きている~
銀座の洋食店で大クレーム事件

銀座の洋食店で大クレーム事件

黄昏日本にきてからまだ日の浅い清国(中国)人が巻き起こした、洋食店での珍事件とは?本当にあった「食」にまつわる珍事件を、フードアクティビストの松浦達也さんが掘り起こす読み物連載。なぜその珍事件が起きたのか?時代背景の考察とともにお届けします。

獣肉食わして洋食とはいかに

ハンバーグにナポリタン、ビーフシチューにオムライス……。言わずもがな、我々の知る洋食である。しかしこのたった2文字の言葉を巡って、明治の半ばの飲食店でちょっとした騒動が起きたようで……。

読売新聞紙面
明治27(1894)年4月4日 読売新聞 朝刊
ことのあらまし
日本に来て間もない清国(中国)人2名が銀座で「洋食」と書かれた看板の店に入店し、おぼつかない口ぶりながら料理を注文した。一皿、二皿と注文した料理が提供されると、不審そうな顔つきになっていく。

そのうち女中を呼び「看板に洋食と書いてあるが、“洋食”がなく肉や鶏ばかりではないか」とのクレームに困り果てた。どうやら「洋食」の看板を見て、海の食材を使った料理を出す店だと誤解したようだ。

言葉は時代とともに変化する

現代の私たちが「洋食」と聞くと、冒頭に挙げたハンバーグやオムライスのようなメニューを想像する。

しかし洋食は最初から「洋食」だったわけではない。明治5(1872)年頃に「西洋料理通」(仮名垣魯文)などの海外の食を紹介する本が出版され始めた頃、西洋由来の料理は「西洋料理」と呼ばれていた。そのハイカラな料理は、徐々に「洋食」という2文字に収れんされていく。

公的な資料で「洋食」という言葉が確認できるのは、明治10(1877)年の元老院会議の記録だ。そこには「日本人を(中略)洋衣洋食せしむるに能わず」という記述がある。

新たな文化の流入に際して、概念としての「和」と対をなす「西洋」を意味する言葉が必要となり、当初「西洋式」「西洋菓子」「西洋酒」と呼ばれていたスタイルやアイテムは「洋式」「洋菓子」「洋酒」というふうに短縮された。そうして西洋という概念は「洋」という一文字に集約されていった。

「西洋料理」も同じ道をたどる。イギリスやフランスに由来する料理は「西洋料理」と呼称されるのが一般的だったが、徐々に「洋食」という表記と併用されるようになり、やがて略称の「洋食」が使われるようになっていった。

この新聞記事に掲載された清国(中国)人はそんな経緯は知るよしもなかった。漢字発祥の地からやってきた2人にとって、文化の輸出先のはずの日本で漢字に新しい意味が生まれているとは思いもしなかったろう。

中国語で「洋」と言えば海洋、つまり海を指す。日本でも「洋」と言えば江戸時代までは主に海洋という意味で使われていた。現在「洋食」と呼ばれているものは、何かを掛け違えていれば「西食」や「欧食」なんて略されていたのかもしれない。現代に生きる我々には違和感しかないが、つくづく人間は適応する生き物だ。

文:松浦達也 イラスト:イナコ

松浦 達也

松浦 達也 (ライター/編集者)

東京都武蔵野市生まれ。家庭の食卓から外食の厨房、生産の現場まで「食」のまわりのあらゆる場所を徘徊する。食べる、つくるに加えて徹底的に調べるのが得意技。著書に『教養としての「焼肉」大全』(扶桑社)、『大人の肉ドリル』『新しい卵ドリル』(共にマガジンハウス)ほか、共著に『東京最高のレストラン』(ぴあ)なども。主な興味、関心の先は「大衆食文化」「調理の仕組みと科学」など。そのほか、最近では「生産者と消費者の分断」「高齢者の食事情」などにも関心を向ける。日本BBQ協会公認BBQ上級インストラクター。