撮影所黄金時代の1980年代、東宝支給の食券で食べられる本格中華があったという……。「シン・ウルトラマン」、「シン・ゴジラ」など数々の日本映画を監督してきた樋口真嗣さんの、仕事現場で出会った“現場メシ”とは?
そもそも最近言われもてはやされてる街中華ってなんなんでしょうか?山中華とか海中華があるんかいーって、いえ別に美味しいから良いんですけど、世にある中華はすべからく街中華なんじゃないかと思ったら、本格的でない中華料理屋の事らしいんですな。そう考えると、東宝撮影所の周りの中華はどれも街中華のような体裁でありながら、ラインナップはどこも本格的でした。
そんな本格中華が東宝株式会社支給の残業手当の食券で食べられるのだから、恵まれてたんですなあ我々は。
そういえば後の世……、僕がもう少し認められて、日比谷にある本社の偉い人に呼び出されて世間話のフリをした企画リサーチ、という油断も隙もない場の末席にいたことがありまして、その時打ち合わせが終わったら本社のすぐ近くの古くてくたびれた中華料理屋に連れてっていただけるんだけど、何も知らない若造はせっかく日比谷や銀座や有楽町という歓楽街を目の当たりにしながら古ぼけた中華料理屋ってことは、俺はまだ銀座にふさわしいランクではないんだなと1人腐っていましたが、それは何も知らない若造の見識違いでございました。
その中華料理屋、健啖家の間では知らぬものはいない超有名店。創業1950年、池波正太郎、岡本太郎、林家正蔵とジャンルを超えた常連客が顔を揃える名店、「慶楽」だったのです。す、すいませんでした調整部長!専務!いや社長!いや今や会長!ワタシのために名店にご案内していただいたのに、何も知らぬ若造は浅薄な知識を足がかりに大いなる勘違いを冒していました。感激、感動、感謝、全てが足りのうございました。日本初のスープ炒飯、大きな焼売や春巻き、深い味付けの炒め物、全て美味しゅうございました。この場をお借りして感謝を。2018年で休業してしまいましたからもう手遅れかもしれませんが。
そんな具合で戦後復興期から映画会社と共に歩んできた撮影所近くの中華料理屋の数々が競い合った、微妙に本格的な中華料理が映画人の腹を膨らませてきたのです。
まずは美術スタッフ垂涎!根深い羨望を一身に集めていた「東華飯店」を紹介しましょう。
撮影所で夜5時以降も業務が続き、いわゆる残業になると晩御飯が支給されます。支給のために食券が発行されるのですが、別会社で雇われている美術部に配られる食券のみ「東華飯店」が使えなかったのです。
そもそも美術部の作業場は撮影所の敷地の一番奥にあり、そこから外、しかもまあまあ距離があって住所的にも隣町の砧です。(撮影所は成城)そこに行って食べて帰ってくるには休憩時間の一時間は絶対に上回るのです。
そんな手が届かない高嶺の花が「東華飯店」。その看板メニューがロースライス。排骨燴飯です。濃い目の下味をつけて片栗粉でまぶし揚げた豚ロースが載ったごはんもので、付け合わせに小松菜の炒めたやつ。ロース肉には隠し味でカレー粉が使われていていやはやもうご飯が進むわけですよ。
秋葉原の万世で同様の揚げたロースが載ったパーコー麺というのがありますが、あれは揚げたロース肉がスープに浸されて衣のカリッとした感じがどんどんなくなっていくのが切ないんですけども、ライスだったらその心配は要りません。
そのロースライスを美術スタッフが食べる方法は、製作部や演出部が詰めているスタッフルームで打ち合わせをしているうちに残業になってしまう、のが一番確実でした。偉い人たちと打ち合わせをしているのでなんの疑いもなく「東華飯店」から出前をとってくれます。夢にまで見たロースライスを、残業なんかしたくないと眉をしかめながら食べることになるのです。
そんなロースライス、金銭的に余裕が出てきたら贅沢をし始めます。目玉焼きをトッピングしたデラックス。中華丼の上物をかけたスーパーロースライスはあんかけとロースの衣がぐちゃぐちゃになって双方共倒れの様相でした。時はバブルの兆しを見せてきた頃ですから金に糸目はつけません。これはこれで名物のレタスチャーハンにロースと目玉焼きが載ったウルトラロースライス。あれは禁断の味でした。
そんなある日。東華飯店の出前メニューには手書きで新メニューが書き加えられていたのを発見しました。“東華重”……店の名前を冠したフラッグシップメニューです。それは一体何か?
文・イラスト:樋口真嗣
そもそも最近言われもてはやされてる街中華ってなんなんでしょうか?山中華とか海中華があるんかいーって、いえ別に美味しいから良いんですけど、世にある中華はすべからく街中華なんじゃないかと思ったら、本格的でない中華料理屋の事らしいんですな。そう考えると、東宝撮影所の周りの中華はどれも街中華のような体裁でありながら、ラインナップはどこも本格的でした。
そんな本格中華が東宝株式会社支給の残業手当の食券で食べられるのだから、恵まれてたんですなあ我々は。
そういえば後の世……、僕がもう少し認められて、日比谷にある本社の偉い人に呼び出されて世間話のフリをした企画リサーチ、という油断も隙もない場の末席にいたことがありまして、その時打ち合わせが終わったら本社のすぐ近くの古くてくたびれた中華料理屋に連れてっていただけるんだけど、何も知らない若造はせっかく日比谷や銀座や有楽町という歓楽街を目の当たりにしながら古ぼけた中華料理屋ってことは、俺はまだ銀座にふさわしいランクではないんだなと1人腐っていましたが、それは何も知らない若造の見識違いでございました。
その中華料理屋、健啖家の間では知らぬものはいない超有名店。創業1950年、池波正太郎、岡本太郎、林家正蔵とジャンルを超えた常連客が顔を揃える名店、「慶楽」だったのです。す、すいませんでした調整部長!専務!いや社長!いや今や会長!ワタシのために名店にご案内していただいたのに、何も知らぬ若造は浅薄な知識を足がかりに大いなる勘違いを冒していました。感激、感動、感謝、全てが足りのうございました。日本初のスープ炒飯、大きな焼売や春巻き、深い味付けの炒め物、全て美味しゅうございました。この場をお借りして感謝を。2018年で休業してしまいましたからもう手遅れかもしれませんが。
そんな具合で戦後復興期から映画会社と共に歩んできた撮影所近くの中華料理屋の数々が競い合った、微妙に本格的な中華料理が映画人の腹を膨らませてきたのです。
まずは美術スタッフ垂涎!根深い羨望を一身に集めていた「東華飯店」を紹介しましょう。
撮影所で夜5時以降も業務が続き、いわゆる残業になると晩御飯が支給されます。支給のために食券が発行されるのですが、別会社で雇われている美術部に配られる食券のみ「東華飯店」が使えなかったのです。
そもそも美術部の作業場は撮影所の敷地の一番奥にあり、そこから外、しかもまあまあ距離があって住所的にも隣町の砧です。(撮影所は成城)そこに行って食べて帰ってくるには休憩時間の一時間は絶対に上回るのです。
そんな手が届かない高嶺の花が「東華飯店」。その看板メニューがロースライス。排骨燴飯です。濃い目の下味をつけて片栗粉でまぶし揚げた豚ロースが載ったごはんもので、付け合わせに小松菜の炒めたやつ。ロース肉には隠し味でカレー粉が使われていていやはやもうご飯が進むわけですよ。
秋葉原の万世で同様の揚げたロースが載ったパーコー麺というのがありますが、あれは揚げたロース肉がスープに浸されて衣のカリッとした感じがどんどんなくなっていくのが切ないんですけども、ライスだったらその心配は要りません。
そのロースライスを美術スタッフが食べる方法は、製作部や演出部が詰めているスタッフルームで打ち合わせをしているうちに残業になってしまう、のが一番確実でした。偉い人たちと打ち合わせをしているのでなんの疑いもなく「東華飯店」から出前をとってくれます。夢にまで見たロースライスを、残業なんかしたくないと眉をしかめながら食べることになるのです。
そんなロースライス、金銭的に余裕が出てきたら贅沢をし始めます。目玉焼きをトッピングしたデラックス。中華丼の上物をかけたスーパーロースライスはあんかけとロースの衣がぐちゃぐちゃになって双方共倒れの様相でした。時はバブルの兆しを見せてきた頃ですから金に糸目はつけません。これはこれで名物のレタスチャーハンにロースと目玉焼きが載ったウルトラロースライス。あれは禁断の味でした。
そんなある日。東華飯店の出前メニューには手書きで新メニューが書き加えられていたのを発見しました。“東華重”……店の名前を冠したフラッグシップメニューです。それは一体何か?
文・イラスト:樋口真嗣