下北沢の駅を降りて、古着屋が並ぶ商店街を下る。いつの日だって「カレーの店・八月」は、自然体で迎えてくれる──dancyu9月号カレー特集「ライスカレー シン・名店」で取材した4店舗の、誌面で紹介しきれなかった“もう一つの”絶品カレーを紹介するおかわり企画。今回は、日常に根ざしたカレー店の、やさしさにあふれた野菜カレーをどうぞ!
下北沢の街角、その風景に溶け込んだ小さなカレー屋さん「カレーの店・八月」。この店のカレーは決して、特別な日のご馳走カレーではない。むしろふと帰りたくなる、安心して帰ってこれる日常のようなカレーである。
オーナーはミュージシャンの曽我部恵一さん。彼がこの場所でカレー屋をはじめたのには、ちゃんとした理由がある。
70年代のニューヨークで活躍したアーティスト、ゴードン・マッタ=クラーク。彼は「生活に沿った食事」を現代アートの表現として捉え、レストラン「FOOD」をオープンした。そのことに感銘を受け、曽我部さんは「自分もいつか、街の暮らしに沿った定食屋さんをやりたい」と思ったのが、「八月」をはじめるきっかけとなった。
「カレーの店・八月」に徹底された日常感。その軸は、開店から2年経った今も変わらない。
調理を担当する店長の尾関太一さんは、イタリア料理店出身。彼の料理人としての技術と矜恃は、日常の暮らしに寄り添う「八月」のカレーにじんわりとした喜びを加えている。
たとえば、彩り豊かな「季節野菜のカレー」。10種の野菜の内容は時季によって変わるが、魅力はそれだけではない。茄子であれば素揚げ、パプリカなら強火で炒め、ズッキーニは塩茹でにしたり、と。個々の野菜を、旬の美味しさを活かす調理法で別々に仕込んでいるのだ。さらに素揚げをするにしても、野菜の種類によって揚げ時間を変えるなど、実に細かい手間をかけている。
「八月」で提供されるすべてのメニューの元となるグレービーは、旨味を重視し、鶏ガラ、丸鶏、モミジ、豚骨に加え、豚のゲンコツと背ガラを10時間じっくり煮込んだスープでつくる。この、ただでさえ手間暇をかけたカレーに、食後感が油っこくならないよう、さらに手間暇をかけた野菜が加わることで、季節の移り変わり、同じ様な日常が少しづつ変わっていく「気づき」が生まれてくる。
いつでも帰ってこれる、街の日常とその安心感。季節の移ろいにあわせ、少しづつ変化する日常とその喜び。シモキタ界隈のミュージシャンが、学生が、劇団員が、近所のショップ店員が、ふらりと立ち寄っては、笑顔で帰ってゆくカレー屋さん。まさに、ゴードン・マッタ=クラークが掲げた「カルチャーとしての食」がここにはある。
ちなみに曽我部さん、尾関さんともに好きなカレー店は「モンスナック」だという。60年近くもの間、新宿で愛され続けるカレーライス屋さん。これまたものすごい納得感ではないか。
文:松 宏彰 写真:長谷川 潤