新緑も眩しく、梅雨前の、ひとときの夏の気配に心躍ります。本誌連載、「『岬屋』の和菓子ごよみ」では、東京・渋谷にある上菓子店「岬屋」の季節の和菓子を、毎月紹介しています。WEBでは、本誌で紹介しきれなかった「おいしさの裏側」をお伝えしていきます。本誌連載と併せてお楽しみください。
「そういえば、白小豆の水羊羹の話をしたことはあったかな」
そろそろ水羊羹の季節という話題になった時、主人の渡邊好樹さんは言った。そう、「岬屋」には白小豆の餡を使った水羊羹があるのだ。毎年、楽しみにしているファンも多い。
白小豆は、赤い小豆の仲間だが、皮の色が白い。栽培が難しく、当然、生産量が少ないためになかなか手に入らない希少な豆で、一般的な“白餡”に使われている手亡豆(いんげん豆)とは別ものだ。
「ふつうの小豆と全く違うの。胚芽が硬いのか、うまく水を吸わないから、煮るときに気を使う、扱いが面倒な豆なんですよ。でも、なにしろ味がいいから」
豆臭さがなく穏やかな香りで、粒餡にすると、群を抜いた風味が生まれる。それを寒天液で絶妙な塩梅に固めるわけだ。今日は白小豆の水羊羹を、餡づくりから見せてもらうことになった。
女将さんが白小豆を取り出した。
「使う豆の準備は3月頃から始めます。時間のある時に、小さいものや傷がついているものを少しずつ取り除いて、きれいな粒だけを揃えるの。豆そのものの味は変わらないんだけど、見た目も大事だからね」
「餡を炊く前にやっておかないと」と、主人はさわり(打ち出しの胴鍋)を作業台にのせ、奥からとってきた醤油をジャバッと入れて塗り始めた。なんと、醤油でさわりを磨くのだという。
「銅製の道具は、醤油を使うときれいになるんだよ。白小豆の餡は、色をきれいに仕上げたいから、さわりの青銅色が移らないように、煮る前に必ず磨きます」
ペーパーで数回こすると、確かにピカピカになった。
さわりに湯を沸かし、白小豆をザーッと入れる。煮立ったら最初の差し水。
「100℃から60℃に温度を下げるのが目的です。温度差をつくることで、胚芽を壊して水分を含ませる。小豆の理屈がわかっていれば、いきなり煮始めたって、豆の皮が破けることはないですよ」
再び煮立ったら、2回目の差し水。煮る作業自体は、ふつうの小豆と変わらないが、以前、小豆を炊く様子を見せてもらった時よりも、豆から出る気泡が少ないように感じた。それを主人に伝えると
「そうかもしれないね。ふつうの小豆は変化が顕著に出るけれど、白小豆は分かりにくいから、差し水のタイミングが図りにくいね」
3回目の差し水のタイミングで、主人は豆を取り出して見せてくれた。煮る前の豆と比べると、少し大きくなっている。
「豆の状態は年ごとに違うから、何回差し水をすればいいという決まりはないんだ。どれだけ膨らむかは、豆次第かな。」
さわりを流しに移動させ、煮汁に水を注ぎ入れる。急に冷まして豆の皮が破れないよう、少しずつ温度を下げるためだ。温度が安定したところで、慎重にざるに上げる。
さわりに新たな水を煮立てて、ざるにあげた豆を戻す。ペーパーで落としぶたをして30分ほど煮たら、ボウルと重ねたざるに上げ、豆と煮汁に分けた。
ここから、柔らかく煮た白小豆に甘味を加えて仕上げる製餡作業。
さわりに豆とグラニュー糖、上白糖、煮汁(上澄みを捨てた、滓のような部分)を加えて火にかける。「岬屋」の取材で、グラニュー糖を使うのは初めて見た。
「ふつうの小豆よりも上白糖を減らしています。上白糖だけだと、特有のクセが前に出て、白小豆の香りが負けてしまう。でも、グラニュー糖だけだと、今度は餡に粘りが出ない」
何度も試してみた結果、グラニュー糖2:上白糖1の割合に落ち着いたのだとか。
砂糖が溶けたら、いったん豆を引き上げる作業。主人は、ざるを傾けたまま、蜜がきれるのをじっと待つ。ざるを振ると、皮が破れることがあるからだ。
「ものづくりは待つ時間が長いよ。特に餡は、見守る時間が多い」
「つきっきりでやらないとダメなのよ。だから大変」と女将さん。
さわりに残った蜜を煮詰め、豆を戻して絡めれば、白小豆の粒餡のでき上がり。
冷ました粒餡をバットに移すしゃもじの動きがリズミカルで、見ていて心地よい。同じ量を同じ形ですくい取り、ぽん、ぽんとバットに落としていく。
「今日の餡は良くできたな。色つやがいいよ」
水羊羹にする時はね、と主人。
「餡は、粒餡と漉し餡の2種類使います。粒餡だけだと、豆が口に残る感じがするから、漉し餡も混ぜて、喉越しのよい口当たりに仕上げるんだ」
寒天は上白糖を加えて煮溶かし、そこに白小豆の漉し餡も加える。
ここで主人は、じっと壁に目を向けた。見ると、さまざまな菓子の材料や分量がメモしてある。その中の「仕上がり量」を確認していたのだ。
「使う材料の目方じゃなく、『仕上がりの目方』が大事なの。煮ると水分量は変化するからね。仕上がりの目方に合わせれば、いつも同じようにでき上がる」
仕上がりを数値化する、という考え方がすごい。
「経験による勘や、天性に頼るような昔ながらの職人仕事では、名人になれるかなれないかの二択しかなくなる。それでは人に教えられないでしょう」
主人は、様子を見ながら寒天液を煮て、時折秤にのせては水を足す、を繰り返した。
目標の目方になったら、さわりに用意しておいた粒餡の上にザルをのせて、寒天液を濾し入れ、溶きのばした。
最後は、寒天液を冷ます作業。水を張った桶にさわりを乗せ、ゆっくりゆっくりかき混ぜながら冷ましていく。
「ほんとうに、水羊羹は待つ時間が多いね」
いよいよ型に流し入れる。最初は、液体のみを容器の8分目まで。
終盤は、小豆をすくいながら等分に入れていく。液体と固体、生地の流し入れを2段階に分けることで、最初の寒天液がわずかに固まってくるのを期待する。
「小豆の粒が全部下に落ちてしまってはだめなんだ。底にたまってしまうと、寒天液がうまくなじまない」
どこか一ヶ所に偏ることなく、全体にまんべんなく小豆の粒が入るようにしたい。でも、ある程度底に粒が並んでいたほうが、ひっくり返して切る時に景色がいい。その兼ね合いの妙。 「だから、粒餡で水羊羹やるっていうのは、面倒なんですよ」と主人は笑った。
最後は、表面張力でぎりぎり液面が保たれるくらいまで流し入れ、そのまま動かさずに一晩置いてかためる。 白小豆そのままの黄みがかった白色の美しいこと。赤い小豆の水羊羹とはまた違う艶やかさと透明感がある。
形を保つぎりぎりのやわらかさに仕上げてあるので、口に入れるとすっと崩れ、寒天のみずみずしさが広がる。時折、舌の上を通る粒餡の食感と風味もいい。はかなく、喉越しのよいシャープな甘さが、涼を呼ぶ。
文:岡村理恵 写真:宮濱祐美子