本誌連載、「『岬屋』の和菓子ごよみ」では、東京・渋谷にある上菓子店「岬屋」の季節の和菓子を、毎月ひとつずつ紹介しています。WEBでは、本誌で紹介しきれなかった「おいしさの裏側」をより詳しくお伝えしていきます。本誌連載と併せてお楽しみください。
10月の「岬屋」は栗仕事に忙しい。名物“栗蒸し羊羹”の仕込みがあるからだ。
生地(漉し餡)のおいしさはもちろんのこと、これでもかと入っている蜜栗が極上で、一度食べたら忘れられない、というお客さんは多い。
今月ご紹介するのは、その自慢の蜜栗を使った“丹波路”。長らくつくっていなかった秋の菓子を、主人の渡邊好樹さんが復活させたもので、茶色い“浮島”と呼ばれる生地の上に黄金色の栗がごろりとのぞいている。
「最初は大変だったのよ」と女将の英子さん。
「父の代では作っていなかったものを復活させたからね。うちの父は早くに亡くなっているから、話もきけないし」と主人。
初代のメモしか残っていなかったので、作り方もわからない。その味を知る叔父さんに話を聞き、時には試食してもらいながら、量や配合を一から考えたという。それはやがて、年に一度、栗の時期にだけ登場する銘菓となった。
連載一回目の“栗蒸し羊羹”でもご紹介したが、改めて「岬屋」の蜜栗のつくり方を見てみよう。
産地から届いたむき栗は、みょうばん入りの湯でゆで、手早く渋抜き(アク抜き)する。下ゆでした栗と鍋の中を綺麗に洗ったら、弱火で1時間煮て、上白糖を熱湯で溶かした蜜に一晩浸す。これが一番蜜。浸透圧で栗の水分が抜け、蜜が入るのを待つ。
翌日、栗をいったん引き上げ、蜜に上白糖を足して濃度を上げた二番蜜にして、もう一晩漬ける。つまり、丸2日間蜜に漬け、3日目にようやく完成するのだ。
「ぐつぐつ煮るんじゃないの。ゆっくり含ませたほうが味もいいんだよ」
残りの蜜は調整して、再び新しい栗のための一番蜜にする。これを繰り返すので、シーズンが進むと蜜にも栗の味が回って味が練れてゆき、浸す栗もまろやかになる。栗そのものの味も、10月に入るとのってくるから、今時期の蜜栗は最高においしいといえる。
では、丹波路の生地づくりに入ろう。
はじめに、上白糖と漉し餡(!)をすり混ぜる。砂糖で餡の水分が引き出され、砂糖も溶けてなめらかなペースト状になったところで、主人は卵白を泡立て始めた。
「生地をふくらませるためね。しっかり空気を含ませる。」
卵白が硬く泡立ったら、先ほど練った餡に、かるかん粉(うるち米の粉)、小麦粉を加えて混ぜる。めん棒の扱いがじつに巧みだ。さわり(打ち出しの銅鍋)に棒の先をつけ、ぐるぐると小さな円を描くように内側を伝いながら、餡と粉を混ぜていく。粉が飛び散っているところもすっと拭くようにして餡でなじませる。
さらに卵黄を加えて練り混ぜ、泡立てた卵白を投入した。これが、岬屋独自の生地となる(一般的に“浮島”といわれる)カステラ風の生地の類になる。
卵白をつぶさないようさっくりと混ぜると、主人は円錐形をしたステンレス製の道具を取り出した。
「たこ焼きの生地なんかを落とす時に使う、いわゆるチョッパーね。これが生地を流すのにちょうどいい。最初はわからずに試行錯誤したのよ」と笑う。
さあ、蒸しの準備。角せいろにセルクル(リング状の金型)を並べ、側面にオーブン用ペーパーを入れて生地を少しずつ流し入れる。女将さんは、漉し餡の餡玉を少し凹ませてその中に入れていく。
「餡玉は生地の真ん中、きれいに入れないとね」と女将さん。
くぼみの上にもう一度生地を流し、蜜栗をのせる。小さな菓子ひとつに、栗が丸1個、たっぷり入る。
これを、蒸気に当てて6分蒸す。一度、蓋を開けて蒸気を逃し、さらに6分。あつあつの生地はふっくらと盛り上がり、上にのせた栗が少し埋もれていた。
「ふくらますための材料を使っていないのに、ちゃんとふくらむから大したもんだよ。卵白や砂糖だけの力だからね」
「栗の産地といえば、丹波が有名でしょ。だから丹波の山で、栗が木から土の上にぽとりと落っこちたところを表してるの」
土に見立てた生地からのぞく、栗の形や埋もれ具合が見所だ。
「うちのオリジナルってことではないけれど、他ではなかなか見たことのない菓子だと思うよ」
冷めたら型から外し、仕上げは砂糖を溶かし入れて煮詰めた寒天を塗ってでき上がり。
「蜜栗が乾かないようにするため。それと艶出しだね」
食べてみると、ふんわり柔らかな生地の中に、蜜栗と漉し餡の魅力がぎゅっと詰まって、「岬屋」の味が一度に楽しめる。むらなく柔らかな蜜栗を噛み締めて、秋の香りを楽しみたい。
文:岡村理恵 写真:宮濱祐美子