朝晩の空気に、秋の気配を感じるようになりました。本誌連載、「『岬屋』の和菓子ごよみ」では、東京・渋谷にある上菓子店「岬屋」の季節の和菓子を、毎月ひとつずつ紹介しています。WEBでは、本誌で紹介しきれなかった「おいしさの裏側」をより詳しくお伝えしていきます。本誌連載と併せてお楽しみください。
「この菓子は、葛の茶巾絞りなの。練り切りのような、餡を使った生地なら布巾で絞れるけど、じゃあ柔らかな葛は何で絞るかって話です」
主人の渡邊好樹さんは、少しいたずらっぽい笑みを浮かべた。
5月の"粽"、8月の"霜降り"と、葛を使った菓子を見てきたが、あの、たぷたぷと揺れる葛の生地をどうやって成形するのだろうか。
とにかく、葛の生地づくりから見ていこう。
さわり(打ち出しの銅鍋)に入れた本葛と砂糖を、水で溶かすのはいつもと同じ。今回は、ここに色粉を混ぜる。
「葛に色をつけるのはこの菓子くらいかな」
火にかけて少しずつ練り、薄いクリーム色だった液体が少しずつ木べらにまとわりつき、ぽってりと固まって、黄色みに艶が加わってきたところで火を止める。
木べらで、すい、すい、と、布巾を敷いた角せいろに取り出した。ゴムべらを使ったかのように、さわりの中がきれいになることにいつも感心する。
「毎日使っているから、木べらが少しずつさわりに沿う形になるんだよ」
これを、食べられる状態になるまで蒸すのだ。火の通り加減を考え、中央は少し薄く、周囲は厚めに葛生地を広げて蒸気の上がった釜にのせる。
蒸している間に、成形のための準備。女将の英子さんが、葛に包む白餡と、小さな器をずらりと並べ、正方形に切った紙の束を取り出す。
「このハトロン紙で茶巾にします。昔は和紙ね。いらなくなった大福帳(半紙を細長く折って綴じた、勘定帳簿)を利用していたみたい」
和紙が日常使いでなくなってから、洋紙で茶巾絞りに合うものをと初代が探し続け、丈夫で水にも強い、ハトロン紙にたどりついたそう。薄いハトロン紙でも、そのままでは葛を包みにくいから、一枚ずつ揉んで柔らかくする、というひと手間も加えている。
「真ん中の強度は落とさないように、周辺だけくしゅくしゅっと揉むのね」と女将さん。
「うちのおじいさんは浮気もんで(笑)、菓子以外のいろんなことに興味を持っていたし、よく知っていた。だから見つけられたんだと思うよ」
昔ながらのやり方でも、柔軟な発想でアップデートをしていく。幅広い知識をもって菓子のことを考えるという姿勢は、主人も受け継いでいる。
「今の時代なら、ラップを使えばいいと思う人もあるだろうけど、やっぱり紙のしなやかさが合うと思うんだ」
さあ、生地の蒸しあがり。火が入った葛生地は透き通り、黄金色になっていた。主人と女将さんは息を合わせ、せいろに敷いてあったさらしを持ち上げてピンと張り、さわりに落とし入れる。
「熱いうちにやらないとなの」と女将さん。さわりの底には電熱器にあてられ、葛生地が冷めないよう保温されていた。
主人が生地をヘラで小さく丸めてハトロン紙にぽとりと落としていく。
女将さんが紙ごと手に取り、阿吽の呼吸で白餡をのせる。両手で軽く挟むようにして、まわりの葛を持ち上げ、餡を包み込んでから、きゅっと茶巾に絞って器に入れていく。手早く、けれど、餡が葛生地の真ん中におさまるようていねいに。
「これは、葛菓子専用につくってもらった器でね、うちでは「ちょこ」って呼んでる。素焼きだから、ちょうどよく熱を吸い取るんだ」
この中で茶巾絞りの形を保たせ、冷めて固まるのを待つのだ。
「この後、また蒸すからね」と女将さんは言った。葛はもう食べられる状態なのだが、包んだ紙をはがしやすくするために、もう一度蒸して固めるという。
「職人の知恵だよね。どうやってはがすかも考えたわけ」と主人。
絞った紙に柔らかい葛生地が巻き込まれているから、そのままはがすと葛のひだが崩れてしまう。紙包みごといったんドブンと水に浸し、紙と葛の間に水を入り込ませて蒸すと、きれいにはがれるようになるのだとか。
8月の“霜降り”の仕上げにも驚いたが、葛生地に水の扱いは欠かせぬもののようだ。
再び、せいろを釜に乗せて蒸す。紙をはがすためだけだからごく短時間でいい。
2分ほどでふたを外し、蒸気の上がっている紙包みをすぐに氷水に放り込んだ。ていねいに紙をはがし、これでようやくでき上がり!
布巾にのせて落ち着かせてから、きれいな菊の葉で包む。
練って、蒸して、茶巾に絞って、また蒸して。冷やして、紙をほどいて。こんなに手間がかかるものだったんですか!?と思わず言うと、主人は顔を上げて静かに言った。
「手間がかかるから“上菓子”なんだよ」
できたての葛には独特の輝きがあり、細かなひだは、光をきらきらと乱反射させていた。
「これが、雫(しずく)。茶巾で絞ると、雫のような形になるでしょう。菊の花についた水滴が、ポタンと葉の上に落ちる、その瞬間をイメージしているわけ」
葛の黄色は花そのものの色ではなく、露の滴りに映り込む色で、菊の気配を漂わせているのだ。
「瞬間を捉える美意識だね。和菓子は想像させることも大事なんだ」
菊の花が秋の空気をまとい、夜の涼しさで少しずつ露となっていく。そんな時間の流れまでも感じられる。
文:岡村理恵 写真:宮濱祐美子