島根県で水揚げされるイカには魔性のうまさがあるという。豊洲市場の文化団体「銀鱗会」の事務局長である福地享子さんが、2018年11月までdancyu本誌で執筆していた「築地旬ばなし」の転載です。
島根県浜田市に住む友人とおしゃべり。浜田市には、いい漁港がある。友人が、言っちゃってくれるのである。
「今はマイカね。すぐそこの定置網でとれるんですわ。朝、あがったんがスーパーにもならぶんで、ここんとこ、マイカの刺身ばっか」
ほほう、マイカですか。スルメイカのことね、と軽くあしらうと、友人は、フフンてな顔して「ケンサキイカのこと、こっちじゃマイカって呼ぶんですわ」。
聞いたとたん、私、嫉妬である。ケンサキイカは、イカ類トップクラスの美味。ねっとりした食感と甘み。喉をすべったのちのうまみの余韻に鼻の奥がうずいてきそう。チッチである。お値段というのは正直で、築地にいたって、連日の刺身ざんまいとはいかない高級イカなのである。
島根県は、築地市場へ入荷するケンサキイカの主産地。「マイカ」と呼ぶのも、なるほど、なわけ。マイカという名前は、その土地でいちばんとれるイカのことをいう。
「マイカ」の「マ」。どんな字を当てるのだろう。やっぱり「真」でしょうか。その土地の「まことのイカ」。でも、私には「魔」の字が浮かぶ。魔性のうまさ……。て、意味もあるけど、現場で仕事してたときの、あの「魔」。
入荷するケンサキイカは、氷を敷き詰めた発泡スチロール箱にお行儀よくならんでいる。透明感のある白に雪の結晶みたいな飴色の斑点が浮かび、それはみごと。さあ、売ってくれい、の勢いがある。ところが、ふたをあけると、刻一刻と斑点の輪郭がぼやけ、ついには白さばかりが目立ってくる。それがうらめしい。鮮度に大きな違いはないが、お客さまには、いつも勢いのある姿を見せたい。しかし、時間がそうさせない。
「時の悪魔」の「魔」なのだ。
さて、ここまでケンサキイカと書いてきたが、築地市場では「シロイカ」のほうが通じる。これもまた島根や鳥取など山陰地方の呼び名。イカの名前は、ややこしいのである。
文:福地享子 写真:平野太呂
※この記事はdancyu2017年9月号に掲載したものです。