市場の落とし物は、そんじょそこらの落とし物とはわけが違うようで……。豊洲市場の文化団体「銀鱗会」の事務局長である福地享子さんが、2018年11月までdancyu本誌で執筆していた「築地旬ばなし」の転載です。
カギが見当たらない。銀鱗文庫に近い共同トイレのカギだ。30年近く前、中国の田舎で、村一番の食堂のトイレを借りた。みだりにひとが使うんじゃないからきれいだと、食堂のマダムがちょい自慢しながらカギを渡してくれた。たしかに清潔だけが取り柄のトイレだった。なくしたカギも似たようなもので、文庫の会員さんやお客様用。紛失、すなわち留守番役としては大きな失態だ。ヒャー、どうしよう。
最後の頼みの綱は、正門脇の拾得物掲示板だ。場内での落し物やら忘れ物がズラズラと書き出してある。カギ、というのもあった。正門守衛室をたずねると、なんとまあ、お菓子の空き箱にゴチャマンと入っているのだった。カギの造形からいえば、造作にゴチャマンも当然だが、悟りましたね、この時。ここじゃカギよりもっと大切なものがあるんだと。
マグロだ、フグだ、エビにヒラメに……。掲示板をしめるのは、そんなご馳走たちだ。スイカというのもあって、真冬にスイカとはさすが築地、とうなったが、乗車カードだった。カードより、食品に思考がひた走る掲示板なのだ。おそらく買い出し人のものだろう。いざ、仕込みとなって青くなったにちがいない。その日の商いのタネだ。カギは、合いカギを作ればいいが、生鮮食品はそうはいかない。まして商いのタネとなれば、その日限りで命終わる拾得物なのである。
それにくらべりゃ、とお目当てのカギがなかった言いわけを胸に、場内を歩いていたら、マグロの頭が落ちていた。ターレからこぼれ落ちたのだろう。届けるか否か、迷う。守衛室では拾得物があると、場内アナウンスをし、生鮮食品は冷蔵冷凍庫で保管、3日たっても持ち主が現れなければ廃棄する。マグロの頭じゃ冷蔵庫は無理だよな。それにマグロの頭の落し物なんて、毎度のことだしなあ。ウロウロするうち、フルスピードで落し主のターレが戻ってきたのだった。
文:福地享子 写真:平野太呂
※この記事はdancyu2017年2月号に掲載したものです。