記憶に残る暑い夏になりました。本誌連載、「『岬屋』の和菓子ごよみ」では、東京・渋谷にある上菓子店「岬屋」の季節の和菓子を、毎月ひとつずつ紹介しています。WEBでは、本誌で紹介しきれなかった「おいしさの裏側」をより詳しくお伝えしていきます。本誌連載と併せてお楽しみください。
葛粉は、火を入れると透明感が出て、なめらかな弾力が生まれる。葛まんじゅうは、見た目も涼やかで夏らしい菓子だ。
「最近では、じゃがいものでんぷんを混ぜた“葛粉”もあるようだけど、やっぱり葛100%の本葛は香りも食感も違うんだよ」
と主人の渡邊好樹さんは言う。
原料となる葛の根が年々手に入りにくくなっている上、澄んだ水で何度も晒して不純物を取っていくなど手間も時間もかかるために貴重品になってしまったが、奈良吉野で晒した本葛に替わるものはないとか。
作業は、餡玉の準備から始まった。
「岬屋」の葛まんじゅうは、こし餡に"氷餅”で結晶のような白い模様をつけてから、さらに葛生地で包む意匠だ。
「これはうちの初代が考えたわけじゃないの。いつからつくられている方法かは分からないけど、どこかに美意識を持った職人がいたということかね」
氷餅(凍み餅)は、日本有数の冬場の寒さから生まれた信州の特産品。
寒風にさらされた餅が、凍っては溶け、凍っては溶けを繰り返して、水分が抜けたフリーズドライのような保存食になったもの。
はらりと砕けるので、今では和菓子のまぶし粉としても使われている。
「こんなに薄くて乾燥しているのに、水分のある葛生地がかかっても溶けないんだ。不思議な素材だよね」
大小さまざまな氷餅を黒い餡にまとわせると、氷の結晶、霜のように見えてきた。
続いて葛の生地づくり。さわり(打ち出しの銅鍋)に本葛を入れ、砕きながら少しずつ水に溶かす。
上白糖を加えて火にかけると、じょじょに固まってツヤが出てくる。やがて、しゃもじですくうとゆっくり垂れるくらいの硬さになった。
「白濁している状態は、葛のクセが残っているからまだおいしくないの。でも、練りすぎると硬くなるし、練りが足りないと扱いにくくなる。その加減とタイミングが難しいね」
火からおろしたさわりを中央に挟んで、主人と女将さんは対面に立った。
熱い葛生地を竹ベラですくい、しゃもじといったりきたりさせながら丸い葛の玉をつくって差し出すのは女将さん。
「きれいな丸い形にするのが、けっこう難しいの。冷えてくると丸くなりにくいから、手早くやらないと」
主人は、掌を水で冷やしながら葛の生地を受け取って、餡玉をのせて成形する。
「うちは、葛を手にとって餡玉を包み込むやり方なんだ。餡玉に葛を流しかけるところも多いけど、それだと葛生地は薄くなっちゃうから」
葛の練り方がうまくないと、ぽってりとした厚みは残せない。火入れの見極めはここで生きてくる。
餡にかぶさった白い葛はゆったりと落ちて、餡を覆う。下まで垂れたところで、余分な葛をつまみ取って形をととのえ、せいろに並べていく。
「葛が自然に落ちるのを、人間が手助けしてやるわけね。リズムよくやることが大事」
葛の流れにまかせるから、ひとつひとつ違う形、違う表情になる。
せいろで蒸し上げてふたを開けると、確かに真っ白だった葛生地は透明になり、餡にまぶした氷餅が透けて見えるようになっていた。
さあ出来上がり、と思っていたら、せいろを流しに移動させ、しゃぶしゃぶと流水をかけ始めるではないか。え、菓子に水をかけちゃうんですか!?
「蒸し上がった葛は、溶けたり崩れたりはしないんだよ」
主人は笑いながらこちらを向いた。そのままでは乾いた感じになってしまうから、水で素早く冷やし、表面の美しさを保つのだそう。これで、艶やかな葛まんじゅうの出来上がり。
「暑い盛りに、寒さ涼しさを感じる名前をつけるところがいいでしょう」
若葉に包んだ丸い葛の中に、霜が降りた大地が見える。宇宙をのぞいているような、景色の広がりも感じる。葛そのものが冷たいわけではないけれど、菓銘と見た目、葛の喉ごしで涼を感じさせるのだ。
早速、いただいてみる。黒文字を当てると、しなるようにゆっくり割れた。「よい葛でつくると、ほどよい弾力になる」と主人が言うのがよくわかる。
自慢の葛生地は少し厚めで、口の中でぷるりと揺れる。
冷やして食べたい気持ちになるが、冷蔵庫に入れると糊化して葛の表情が変わってしまう。涼しい場所に置いて、そのまま召し上がれ。
文:岡村理恵 写真:宮濱祐美子