今回は、種ものが抜群に旨い、築地の名店で冷かけをおかわり!うだるような暑い夏は、つるりと鯔背に蕎麦で涼をとりたいもの。そんな時、せいろやぶっかけに並んで激推ししたいのが“冷かけ蕎麦”。dancyu2021年9月号「夏は蕎麦。」特集、「楚々として冷かけ」では、ここ数年でバリエーションがグッと広がった、冷かけ蕎麦の世界を紹介しています。実は本誌で取材した店には、他にも食べ逃せない名物冷かけがあるんです!
今から6年前、dancyuの蕎麦特集で「種ものの話」という企画を書かせてもらった。江戸時代に誕生した花巻、おかめ、玉子とじから、現代の珍(?)種もの「フライドポテト蕎麦」まで、リアルなタッチのイラストとともに詳しく紹介している。
それまで蕎麦屋に行けば、盛り一辺倒だった私が、この記事をきっかけに種ものにぐっと心が傾くようになった。当時、担当編集のFさんから「種ものなら、この店が一番!」と教わったのが、「つきじ 文化人」だった。“花巻”は海苔の香りが鼻先どころか顔全体をふんわりと包み込むし、“玉子とじ”は羽衣のように繊細で口当たりなめらか。訪れるたびに、種もの愛は深まるばかりだ。
“古典”だけじゃない。旬の魚介や野菜を使った季節限定の種ものにも定評あり。春には東北産のセリをのせた“せりそば”、冬はプリプリの“かきそば”がおいしかったなあ。夏なら、一も二もなく冷かけ。それも、店主・松田裕次郎さんの目利きが冴え渡る魚介の冷がけがおすすめだ。
2018年に豊洲に移転したものの、築地には今でも市場の街としての矜持が漂っている。「文化人」の店主、松田裕次郎さんも街の名に恥じぬよう、真剣に食材と向き合う。そんな松田さんの思いが詰まった逸品が、本誌誌面で紹介した“雲丹の冷やかけ”1,580円。そして、“とろろ鮑の冷やかけ”1,580円である。
アワビは北海道産のエゾアワビ。銀座の鮨店でも供される一級品だ。これを1人前ほぼ1枚分(太っ腹!)盛り込む。アワビ独特のコリッコリの食感は言うまでもなく、アワビが孕む塩気、合いの手のように口中に広がるキモの深い旨味に、一瞬、蕎麦の存在を忘れてしまう。
アワビがプカリと浮かぶのは、真っ白なとろろのつゆ。ところで、なぜ、とろろなのか。「一茶庵創業者・片倉康雄さんの著書に、とろろとアワビはよく合うと書かれていたことを思い出したんです。片倉さんはとろろそばの考案者としても知られています」と、松田さん。
純白のつゆは、細かくすりおろした長芋と、雑味のないすっきり味のかけつゆをホイッパーで撹拌したもの。きめ細かい泡のおかげでとろろとアワビが一体化する。つゆには、鬼おろしで粗くすりおろした長芋と短冊に切った長芋も隠れており、シャキシャキ、サクサク、ふわふわの三重奏も楽しい。
肝心の蕎麦は鹿児島県の“鹿屋在来”。穀物らしい甘みと力強さ、味の深みに松田さんがほれ込んだ品種だ。冷かけは小麦粉を混ぜない十割蕎麦でつくる。香りより、のどごし優先。さらっと食べられるように細めに切った蕎麦に、アワビ同様とろろがよく絡む。
じつは“とろろ鮑の冷かけ”、ファンのリクエストで3年ぶりに復活を果たしたメニューだそう。8月いっぱいまでの限定メニューというから、残すところあと僅か。築地の夏を食べ逃さないで!
文:佐々木香織 写真:土居麻紀子