オスを見かけることはないらしい……その訳とは?豊洲市場の文化団体「銀鱗会」の事務局長である福地享子さんが、2018年11月までdancyu本誌で執筆していた「築地旬ばなし」の転載です。
生き物の世界は、メスのほうがたくましい。ホタルイカもそのひとつ。オスの健気で、はかないこと。いばってばかりの河岸の男たちに、オスの爪の垢、煎じて飲ませたい。いや、爪はないから吸盤か。といっても旬となったこの時期、オスを見つけるのは不可能といっていい。
富山湾に面した滑川(なめりかわ)は、ホタルイカ一色の町だ。駅を出て、歩く石畳には踊るホタルイカの絵が。マンホールには漁風景。海にぶつかったそこには、ホタルイカのミュージアムまでも。
ころは3月下旬、滑川漁港近くのとある加工場では……。
いよいよ出荷の最盛期。作業場にはホワホワと湯気がたちこめ、50キロ単位でホタルイカが釜ゆでされていく。
この時期には生の出荷も忙しい。積み重なったホタルイカの山から、トレーに3×7杯と並べていく作業。担当は、ベテランとおぼしき女性ふたり。淡々と続く作業のなか、ポイとぞんざいにはじかれたヤツがあった。
「オスだよ、これ」と、彼女たちが教えてくれた。ちっこくて、貧相で。これがオス?それでも「見ることができたのはラッキーだよ、アンタ」ってことらしい。
富山湾のホタルイカ漁は春の産卵期に重なる。実はその時期、もはやオスはいない。冬に精子の入ったカプセル(精莢)をメスに託すと、そこで役目は終わり。死んでしまうのだ。残ったメスは、たくましくもひとり(?)身ごもり、たくさんの子孫を残すことになる。オスが店頭デビューすることはないの。ひっそりと陰の存在。誉れはすべてメスにあり。
滑川を訪ねたのは数年前。いろんなことを見聞きしたけれど、この話を妙に覚えているのは、あのころ、河岸の男社会に憤慨していたせいだろう。人生修行とやらが足りなかったといいますか。今はもう違う。たんといばって稼いでおくれやす、の心境。やっと大人になったということでしょうか。
文:福地享子 写真:平野太呂
※この記事はdancyu2013年4月号に掲載したものです。