先月号から始まった新連載、「『岬屋』の和菓子ごよみ」では、東京・渋谷にある上菓子店「岬屋」の季節の和菓子を、毎月紹介しています。WEBでは、本誌で紹介しきれなかった「おいしさの裏側」をお伝えしていきます。本誌連載と併せてお楽しみください!
「岬屋」を訪ねたのは、秋雨の午後。大きな釜には湯が温められていた。「和菓子っていうのはね、仕上げに火を入れるものが多いんですよ」と主人の渡辺好樹さん。今月は、菊をモチーフにした、時雨(しぐれ)生地の菓子「残菊(ざんぎく)」だ。
実をいうと「つなぎに卵と粉を練りこんだ白餡の生地で、漉し餡を包んで蒸す」と説明されても、どういうものが出来上がるのか想像ができなかった。しかも、「白い生地に“ぼかし”を入れて、枯れた花びらの色を表す」そうで、どんな景色になるかは、蒸し上がるまでわからないという。いちから見せていただこう。
まずは生地づくり。白餡に卵を入れ、なめらかになるまで手で練り混ぜる。
「この混ぜ方が大事。混ぜすぎてもダメだし、混ぜ足りないのもダメ」
ならしたり、底から持ち上げたり、なめらかに手が動く。そこに新粉(しんこ。うるち米の粉)、上南粉(じょうなんこ。もち米の粉)を加え、しゃもじに持ち替えて混ぜる。
「このまま蒸気にかけたら溶けちゃうから、つなぎに新粉と上南粉を入れるわけ。粉でつないで、蒸して固める。これを、うちでは“時雨(しぐれ)”と呼ぶの」
上南粉は、桜餅に使われる道明寺粉を細かく割って炒ったものだ。目の細かい粉だが、餡に混ぜても粒が残る。
「つなぎの粉といっても、餡の1割5分か2割くらいまでです。ほとんど餡でできている菓子ですよ」
この粒が蒸し上がると、ポツポツと、地面に落ちた雨粒のようになって現れ、生地の割れ目は地面のひび割れに水が流れ込むかのように見えるという。それが、名前の由来。秋から冬にかけて降る、降ったりやんだりする雨のことだ。
「今では、"時雨"なんて言っても、通じないかもしれないけど」と主人は笑う。
次は、この生地を小さく分ける作業。その後、少量の生地を別に取り、漉し餡を混ぜて“ぼかし”をつくる。白餡に色をつけるわけだ。ぱっと見には、色の違いはないように見えるが、「蒸すと色が濃くなるから、ほんの少しでいい」らしい。
丸めた生地を手にのせて、軽くつぶして端にぼかしをひとつまみ。漉し餡を包み込み、菊の木型で成形する。生地にはぼかしがまだらになじみ、枯れていく菊の花びらとなる。木型におさまるときに向きも変わるから、どこに色がつくかは分からない。1つ1つ違う表情になるのだ。
使いこまれた木型を見せていただいた。菊が立体的に見える彫りだ。
「菊の木型はいろいろな形があるけれど、うちで使っているのはこれ。円ではなく楕円形で、向こう側が少し深くなって高さが出るようになってるの」
そこに、丸めた生地を入れては抜き、を繰り返す。木型に餡がくっつきやすいから、手際よく、リズムよくやらないときれいな形にはならない。一つ抜くごとに、上の型と下の型をそれぞれ濡れ布巾でていねいに拭く。手間と根気のいる作業。
「力加減も難しい。型に置いたときに、真ん中が少~し高くなるようにするの。型ものはみんなそう。そうすると、つぶした時にほどよい立体感になる」
こうして、角せいろにきれいに並べられ、蒸す作業に入る。
冒頭の大きな釜の上にはぶ厚い鉄板が載せられていて、その上に角せいろを置く。鉄板の真ん中には10円玉大の穴があいており、強い蒸気がそこに集約されて立ちのぼるという仕組み。
「蒸気は100℃でしょ。でも、空気に触れたり、隙間から漏れたりすると温度は下がっちゃう」
きちんと蒸気が上がっていないと、温度が維持できずに蒸し上がりに差が出る。「釜の上にせいろを置く」、というだけの単純な作業も気は抜けない。
「うちの若い子にはよく、〈手と目は一緒に動いてないといけないよ〉と言います。何かを持ち上げようとするとき、物を手に持ったら、目は自然と置き場所に向いちゃうでしょ。そういう動き方が失敗のもとになる。コントロールしていると思っても、案外できないのよ」。
慣れていても動作は正確に。蓋は閉まっているか、せいろは正しい位置に置いているか。
「ものづくりは途中で修正がきかないから、細部まできちんとやらないといけないんですよ」
さあ、蒸しあがり!蓋を開けると、蒸気に包まれた白い菊は、ふくらんで、表面が割れている。
「時雨のお菓子は、この割れもひとつの景色です」
生地は冷えるうちに落ち着いてくる。仕上げに、割れを少し閉じながら形を整える。
「あんこが丸見えになってはだめ。うっすらと見えるくらいがいい」
色鮮やかでも、形が変わっているわけでもない。花が枯れていく様子を表すとは。「詫びさびの境地だね」といって、主人は笑った。
全てが餡でできているのに、生地と中では食感も味わいも違う。軽やかにほどけて、しっとり。なぜだろう、もう一口、食べるうちになくなってしまう。
文:岡村理恵 撮影:宮濱祐美子