レストランを代表するメニュー、スペシャリテ。東京・荻窪にある和食「有いち」の一皿には、店主・橘光太郎さんの美味しい優しさが詰まっていました。スペシャリテに隠された、料理人の想いと誕生の秘密を聞きました。
出てきたのは、一皿の中に10種類ほどの野菜が盛られた「野菜の炊き合わせ」だ。きちんと向き合って食べると、この一皿が、いかに手間のかかったものかわかる。すべての野菜はそれぞれに合わせただしで炊いてあり、くっきりとした素材の味の後ろ側に、一つ一つ、異なる風味が隠れているのを感じる。
「鱧だし、車海老の殻のだし、煮干しもあります。油揚げを敷いて煮ているものもありますよ」ご主人の橘光太郎さんが教えてくれる。
「この素材にはこれ、という、引き立てる組み合わせが、長年やっているうちにわかってくるんです。芋類なんかには絶対に煮干しが合うし、ナスみたいに油と相性のいいものは油揚げを敷いてあげると美味しくなる。面白いもんですよね」
「有いち」のオープンは13年前。それまでは大きな料亭で働いていた橘さん。自分の店を持ったはいいが、それまでの店とは全く違う土地柄と客層に、当初はどんな料理が好まれるのか手探り状態だったという。
「お客様を観察していると、野菜が喜ばれるということに気づいたんです。前の店ではやっていなかったような素朴な野菜料理への反応がいい。ならばと、一皿の中に季節の野菜を盛り込んだこれを作って出したところ、大好評で。以来、10年ちょっとになりますか、お出しし続けて、皆さんに喜んでいただいています」
2月~4月の竹の子の時期を除いては必ず品書きに載り、単品だけでなく、すべてのコースに組み込んでくれているのだから親切だ。店の人気料理だからと、特定のコースやプラス料金にするよりも、みんなに味わって欲しいという橘さんの優しさを感じる。
初夏から7月いっぱいまでは、新物の野菜とともに、光り物が美味しい時期。
「仕入れに行って、あまりに美味しそうなアジなんかを見ると、何かに使ってあげたいって思っちゃうんです。それでつい」
そう、光り物のつみれが入っている。輪をかけて手間のかかった一皿となるが、お客さんが喜んでくれると思えばなんのその。一番だしを器にはって、野菜とともつみれを盛って完成させている。
以前は、遠くからわざわざ足を運んでくださる方も多かったというが、今は地元客に愛される店として、ご近所の方や沿線の方が来ることが多いとのこと。刺身から煮物や焼き物、ご飯ものに糠漬けまで、単品も充実しているので、毎日のように訪れて家の台所がわりにしている人も。そんな客にも、もちろんこの一皿は人気である。
文:浅妻千映子 写真:青谷慶