今年4月「カレーの店・八月」をオープンした曽我部さんが、カレーと音楽についてたっぷり語るインタビュー後編。自分自身で店に立ってカレーをつくり始めたことで見えてきた、新たな喜びとは?
子供の頃からカレーが大好物で、好きが高じてカレー店まで開いてしまった曽我部さん。だが、カレーのマニアというわけではないそう。
「僕は家のカレーでも、店のカレーでも、どんなカレーでも好きなんです。好きな人がつくったカレーは、絶対好みだろうし、食べてみたいなって思う。大人になっていろいろな店でカレーを食べたし、インドやスリランカみたいな本場のカレーも食べてきたけど、別に好みが深くなったわけでもなくて。それよりも、晩ごはんがカレーだったり、給食にカレーが出たりと、目の前にカレーがやってきた時の『やったー!』っていう高揚感みたいなものが、子供の頃から何も変わってないのかもしれない」
大学進学で香川から上京してきてから現在に至るまで、曽我部さんの暮らしの傍にはいつも音楽とカレーがあった。
「たとえば新宿に行ったら、〈ディスクユニオン〉でレコードを見て、それから紀伊国屋書店の地下にある〈モンスナック〉でカレーでも食べてく?みたいなパターンが多くて。下北沢なら〈茄子おやじ〉。僕が考える家のカレーの最上級というか。『誰かが自分のためにカレーをつくってくれたんだな』と、食べているうちに気持ちが暖かくなって、心が幸せになるカレーなんですよね」
「カレーの店・八月」で提供するカレーも、目指すところは、誰かの生活の傍にあるような存在だという。
「自分でつくる音楽もそうなんですけど、大げさに“芸術作品”みたいにはしたくなくて。日常にある大切なものというか、『あ、カレー食べたい』って思った時に、この店で寄って帰ろうかなって思い浮かぶ、それぐらいものであってほしい。そのために敷居があまり高くなくて、だけど美味しくて、ここでしか食べられないカレーを目指そうというのは、最初から考えていたことですね」
曽我部さんは、全国各地をまわって、年間百数十本に及ぶライブを繰り広げてきた。こうしてカレーの店を立ち上げ、食の世界へ身をもって触れたことで、新たに見えてきたものがあったという。
「たとえば地方のライブハウスなんかに歌いに行くと、『あの時の曽我部さんのライブで出会って結婚して、子供がいま○歳です』とか、『この作品に救われました』みたいなことをよく聞くんです。自分の預かり知らないところで、自分がつくった作品で誰かの人生に関われてるっていうのは嬉しいことなんだけど、僕は『救われました』って言われることをやりたくて音楽をつくってるわけではなくて。極端な話、ライブとか作品っていうのは、お客さんが満足しなくてもいいんですよね。自己満足をいかにするか、自分がこれだって思ったことを、思い切りわがままにやればいい。そしてリスナーはリスナーで、思うように感じる。それが、ロックのメッセージだと思うんです」
「だけど、ごはんをつくってお客さんにお出しする喜びっていうのは、音楽とはまた違って。『美味しかった』『ごちそうさま』って言ってもらえるだけで、やってる意味があるというか。やっぱりそれは、食というものが命とダイレクトに繋がってるし、生きる根本にあるものだから。そこに携われる幸せというのが、本当にあるんだなって。想像はしていたけど、実際にやってみると、食の世界はすごく面白い。その一方で、自分の音楽のほうに戻ってみると、もっとわがままにやっていいんだなって思うし、そのわがままを受け取ってくれているお客さんがいるってことは、なんてありがたいんだろうって、あらためて気付く。コロナという予期せぬきっかけではあったけれど、この機会に、食に関わることと、芸術の作品づくりを並行してやってみて、本当によかったなって思うんです」
*曽我部恵一さんがカレーにまつわる想いを綴ったエッセイは、dancyu8月号にて掲載中!
1971年香川県出身。「サニーデイ・サービス」のギター、ボーカルとして1994年にデビュー。音楽活動やレーベル運営と並行し、今年4月、下北沢に「カレーの店・八月」をオープンした。サニーデイ・サービスの最新アルバム『いいね!』絶賛発売中!
写真:平野太呂 文:宮内 健