まる、さんかく、しかく
渡邉さんのお父さんが流した涙としょっぱいおにぎり。

渡邉さんのお父さんが流した涙としょっぱいおにぎり。

写真家の阪本勇が綴るおにぎりの思い出。アルバイト先で知り合った渡邉さんは、お父さんのおにぎりの味が忘れられない。具なしのしょっぱいおにぎりだった。夢中で食べる渡邉さんの横で、お父さんは泣いていた。

大きくおにぎりのイラストを描いた渡邉さん。

30歳になったとき、「写真の仕事をする」と決意してお世話になった飲食店を辞めたものの、しばらくは写真の仕事なんてまったくなかった。
撮影依頼がひとつでもあったら自由に動けるように、昼は短期バイト、夜はコンビニの夜勤で生活費を稼いでいた。
その頃、夏期のみで働いていたエアコン業者の倉庫で出会ったのが渡邉さんだった。

渡邉さん

倉庫のリーダーの昼メシ用のおにぎりが大きくてかっこよくて、写真を撮らせてもらったことがあった。
その様子を見て、「おにぎりの写真を撮ってる変わった奴がいるぞ」と思ったらしく、渡邉さんが話しかけてきてくれた。
渡邉さんは博学で話も上手で面白く、短期バイトの僕に仕事を丁寧に教えてくれた。

倉庫での仕事は慣れてしまうと退屈だった。段ボールが送られてきて、開けると部品のリストが書かれた紙が入っている。自分の担当している棚からその部品を探し出し、段ボールに詰めて次へ回すという単純作業だった。
ある日、段ボールを開けるとリストの裏に油性マジックで大きくおにぎりのイラストが描いてあった。驚いて振り向くと、遠くで渡邉さんが嬉しそうに笑っていた。

「そら」と「はな」

夏季限定の短期バイトで入ったけれど、結局一年近く働かせてもらった。
その後、写真の仕事依頼が少しずつ入るようになったので、バイトはコンビニの夜勤だけに絞って倉庫は辞めた。
最後の日、渡邉さんが飲みに連れて行ってくれた。
朝まで記憶をなくすくらい飲んだけれど、渡邉さんが話してくれたお父さんのおにぎりのことが記憶にこびりついていた。
その話を詳しく聞きたくて、渡邉さんに電話をすると、奥さんのみゆきさん、セキセイインコの「そら」と「はな」と暮らしているマンションに招いてくれた。

みゆきさん

「阪本くんに聞かれなきゃ、鬼籍に入った親父のことなんて思い出すことなかったよ」と言い、酒を飲みながらお父さんのことを話してくれた。
渡邉さんはお父さんのことを「酒乱」と言い切った。
新聞屋で配達や営業をしていて、人当たりは良く成績は優秀だった。
しかし、給料日には早退して競輪場に行くような人で、家には金を入れなかった。
給料は酒とタバコ、ギャンブルに消えていき、家庭はいつも困窮していた。
お父さんはことあるごとにちゃぶ台をひっくり返した。
渡邉さんの友達は「あんなの『巨人の星』だけかと思ってた」と驚いていた。

渡邉さんが小学校に入る前に千葉県から群馬県の水上へ一家で夜逃げをした。お父さんの博打で膨らんだ借金が原因だった。
まだ弟が赤ん坊だったこと、トラックはお父さんの友人が運転していたこと、おじいちゃんが「行くな!行くな!」とずっと叫んでいたことを覚えている。
おじいちゃんはその三日後に亡くなってしまった。

塩

子供心にもそれが悔し涙だとわかった。

水上に来てからお父さんは仕事が続かず、家にいることが多かった。
その日もお父さんはずっと家にいた。
いつも買いに行かされる430円のウイスキー瓶が空っぽのまま畳に転がっていたのを覚えてるから、きっと金もなかったのだと思う。
夕方になって、子供たちが腹を空かせてるのを見かねてお父さんが台所に入った。
台所に立つお父さんを見るのは初めてのことだった。
お母さんは化粧品のセールスで働きに出ていて、帰るのが夜の10時くらいだったので、さすがにどうにかしないといけないと思ったのかもしれない。
米を雑に研ぎ、当時でも時代遅れの古い炊飯ジャーで炊いた。お母さんから米を研いだら30分水に浸けておくと聞いていたのに、お父さんはすぐに炊飯スイッチを入れてしまった。
卵焼きもつくってくれた。出汁もなにも入れず、溶いた卵にカステラでもつくるのかというくらいの砂糖をどかっと入れた。
それを見た弟が「にいちゃん、今日で砂糖がなくなるね」と言った。

米が炊きあがるとすぐにジャーの蓋を開けて、ごはんをむんずとつかみ、「熱っ!」と叫んだ。
チ、と舌打ちし、これでもかというくらいの塩を掌になすりつけて、具材はなにも入れず、4つにぎった。
お父さんは自分のつくったものを一切口にしなかった。

たまご

弟とふたりでガツガツ食べた。
空腹にしょっぱいおにぎりはたまらなくおいしかったし、その対比でちょうど良かったのか、甘すぎる卵焼きも妙においしく、生涯忘れられない味になった。
ふとお父さんを見ると、ほろりと涙をこぼしていた。
「お父さんが泣いてる!」と驚いたが、子供心にもそれが悔し涙だとわかったので口には出さなかった。

「悔し涙じゃなくて、初めて父親らしい仕事をして、子供がおいしそうに食べてくれて、嬉しくて泣いたんじゃない?」とみゆきさんが言った。
渡邉さんは「違う。そんな親父じゃない」と即答した。
「なんでこんなこと俺がしなくちゃならないんだって、自分が不甲斐なくて泣いたんだ」

渡邉さん

1985年4月。渡邉さんは中央大学の法学部に合格し、上京した。
7月になって仕送りが滞ったので実家に電話すると、「お父さんいなくなった」とお母さんに言われた。

その後、お父さんとは数回しか会っていない。
最後に会ったのは病院で、言葉も発することができず、体もろくに動かない状態でベッドに横たわっていた。
渡邉さんがそばに座ると、中指と人差し指だけ立てた手を必死に渡邉さんに突き出す。
なにかと思って手を握ると振りほどき、再び同じ動作を繰り返す。
「あ!」と気づいた渡邉さんはポケットからタバコを取り出した。
自分で火をつけて口にできないので、渡邉さんが火をつけて口元まで持って行くと、お父さんはスパスパとおいしそうにタバコを吸った。
その日がお父さんとの最後になった。

おにぎり

「あの日のおにぎりと卵焼きが、たった一度だけ見せてくれた父親らしい姿だったなぁ」と、懐かしむように渡邉さんは何本目かの缶チューハイを開けた。
セキセイインコの「そら」と「はな」は渡邉さんの肩の上で眠たそうにしていた。

とりかご
メモ
お父さんのおにぎりを思い出し、メモしてくれていた。
気がつけば肩の上。
気がつけば肩の上。
おにぎり
料理をまったくしなかったお父さんの反動か、渡邉さんは料理好きになった。
たまご
「うん、こんなんだった、こんなんだった」
椎茸の肉巻き
ひとりにつき、ふたつの椎茸の肉巻きを、僕は5つ食べさせてもらった。
ハンバーグ
みゆきさんがつくってくれたハンバーグ。渡邉さんが前よりふっくらした理由がわかる。
そら
豆腐が好きな「そら」。
そらとはな
「そら」と「はな」。「そら」はオスなので鼻が青い。
ふたり
「みゆきは俺にはもったいないくらいの人だ」
おにぎり
シンプル・イズ・ベスト。

文・写真・動画:阪本勇

阪本 勇

阪本 勇 (写真家)

1979年、大阪府生まれ。大阪府立箕面高等学校卒業後、インドにひとり旅。日本大学芸術学部写真学科中退。写真家の本多元に師事後、独立。2008年「塩竈写真フェスティバル フォトグラィカ賞」受賞。高校の先輩である矢井田瞳の撮影のアシスタントをした際には「箕面高校」とあだ名をつけてもらったことも。人物撮影、ドキュメンタリー撮影を中心に、写真・映像の分野で大活躍(する予定!)。