写真家の阪本勇が巡るおにぎりの思い出。ライターの長谷川亮さんは、食が細くてごはんをあまり食べない子供だった。記憶の中にあるのは、すでに亡くなった友人からもらったふりかけとお母さんがにぎってくれたキャラおにぎりのこと。
ライターの長谷川亮さんとは、格闘技雑誌の取材を通じて知り合った。
飲食系の取材や、音楽系の取材ではインタビューと撮影を同時進行することが多い。
格闘技系の仕事の場合、ライターさんがインタビューを終えた後に、別の場所に移って格闘家を撮影するということが多く、自分の仕事であるインタビューが終われば先に帰ってしまうライターさんもいたし、あまり写真に関心を持たない人もいる。
そんな中、長谷川さんは毎回撮影まで必ず同行してくれる。移動するときには一緒に機材を運んでくれたり、撮影まで手伝ってくれる。
必然と一緒に帰る機会も多くなり、話していると長谷川さん自身もブラジリアン柔術茶色帯を持つ格闘技経験者で、過去にはキックボクシングでプロデビュー(2戦1勝1分)していることを知った。
さぞかし昔からヤンチャだったのだろうと思ったが、本人曰く「子供の頃はひどい喘息持ちだった。食が細く、いつも何かしらの薬を飲んでいて、その影響でボーっとして顔もむくんで気持ち悪い子供だった」。
遠足も全部は行けていないし、修学旅行では夜に発作が出てみんなとは別室で過ごした。運動誘発性喘息だったので、みんなが楽しそうにするドッヂボールはいつも三角座りで見学していた。
喘息の発作が出ると、台風が通り過ぎるのを待つように、ひたすら我慢して発作が終わるのを待つしかなかった。
人形やお皿、貯金箱など、長谷川さんの家にはドラえもんグッズがたくさんある。子供の頃からドラえもんが大好きで、デパートで迷子になってお母さんが必死で探しているとドラえもんグッズのコーナーにいたこともある。
「ドラえもんならポケットから何か道具を出して、喘息でもなんでも治してくれるかもしれないっていう気持ちもちょっとあったかもしれない」
長谷川さんが子供の頃は、土曜日の夕方に『太陽戦隊サンバルカン』や『電子戦隊デンジマン』といった戦隊ものが放送されていた。本当はそれを見たかったけど、テレビのチャンネル権は父親にあったので土曜夕方はプロレスの時間だった。
戦隊ものが見れなくなるので最初はプロレスが嫌いだったけど、仕方なく一緒に見ているうちにどんどんプロレスに魅かれていった。
子供心ながら戦隊ものはつくられたヒーローだということがなんとなくわかり始めていて、プロレスラーは現実にいる生身の人間なのに、ロープから飛んだり、マットで跳ねたり、なんて強くてかっこいい人たちなんだと思った。
喘息がひどくなり、1ヶ月間入院したときに、叔母さんが梶原一騎原作のマンガ『プロレススーパースター列伝』を持ってきてくれた。
技術云々よりも人間ドキュメントを中心に描かれていたその作品にどハマりし、今でもその内容のほとんどを覚えている。
喘息で運動が満足にできず、体が弱かったというのもあって、強い男への憧れはどんどんと加速していった。
この頃の長谷川さんの二大ヒーローはアントニオ猪木とシルベスタ・スタローンだった。
子供の頃、喘息のせいもあって食への関心はまったくなくて、1日三度食事するのも面倒に感じていた。
食が細く何も食べたいと思わなかったけれど、お母さんがつくってくれたふりかけたっぷりのおにぎりは、強く思い出に残っている。
三角のおにぎりで、海苔が巻いていないところには、とにかくたっぷりとふりかけがまぶされていた。
「食の細い僕が食べれるようにっていう母の工夫だったのかもしれない。昔は何も感じなかったけど、今はすごく親心も愛情も感じるし感謝ですね。本当にそうなのか母親に確認したことはないですけど」と、真剣な表情をくずして長谷川さんは照れたように笑った。
長谷川さんのお母さんに聞いてみると、やっぱりその通りだった。
「子供ってふりかけが好きでしょう。喘息がとにかくひどくて食も細かったから。でも、ふりかけかけたところはおいしそうに食べるから、うんとかけていた」と教えてくれた。
長谷川家の定番のふりかけといえば「しそわかめ」だった。
昔、長谷川さんが浦和の団地に住んでいるとき、同じ棟に住んでいた山口出身の友人が萩の「井上商店」の「しそわかめ」をよくくれた。
今では関東のスーパーマーケットでも見かけるけれど、当時は関東では売っていなかった。
お互い浦和から引っ越した後も友達関係は続き、お母さんはよく一緒にごはんに行ったり、絵手紙を送りあったりもした。
2年前にその友人が亡くなってからも、近所の生協で「しそわかめ」が売ってるのを見つけ、いまでもずっと長谷川家の定番ふりかけになっている。
長谷川さんには、おにぎりといえばこの「しそわかめ」の混ぜごはんをにぎったもの、という印象があった。
お母さんが朝ににぎっておいてくれたおにぎりが入っている保冷バックを開け、長谷川さんは「子供の頃にぎってくれてたのはこんなのじゃなかった」と苦笑いした。
おにぎりをケースから出すと、お母さんのサービス精神大爆発の可愛らしいキャラおにぎりが大量に出てきた。
「昔から友達が家に来ると、お菓子をたくさん出したりして頑張りすぎちゃうんです」
キャラおにぎりはいくつかあって、ひとつはどことなくドラえもんに似ていて、もうひとつのキャラおにぎりを見た長谷川さんは「お母さんに似てるかも」と笑った。
ドラえもん?の頭部には「しそわかめ」がたくさん使われていた。
「亮が子供の頃、友人を連れてきたらいろんなものを出しましたね」
懐かしそうにお母さんは続けた。
「喘息でよく咳をしたから、ほら、子供ってそういうことで仲間外れになったりもするから。亮がいじめられないように、みんなが亮の周りに集まって楽しいと感じてくれるようにと思って、友達を家に連れてきたときはできるだけおもてなししたいと思っていた」
今でも誰かが泊まりに来たら、翌朝、おにぎりを持たせてあげたりするらしい。
「そう言えば」と、長谷川さんが友人と長野県から滋賀県まで車で周る旅をしたときのことを思い出して話してくれた。
お母さんが持たせてくれたおにぎりを車中で食べた友人は、「おいしい!お母さんめっちゃ料理うまいね!」と感激していた。
そのときのおにぎりは冷凍食品の「そばめし」と「ピラフ」を解凍して握っただけのものだった。
「おいしい、おいしい!お母さんめっちゃすごい!」と、友人があまりにも感動していたので、長谷川さんは「それは冷凍食品だ」とは言い出せなかったらしい。
この日、夕方から撮影仕事だった僕に、お母さんが残ったおにぎりを包んで持たせてくれた。
夜までかかってその日の撮影が終わり、持たせてくれた紙袋を開けると可愛らしいおにぎりが入っていて気持ちが柔らかくなった。
そのおにぎりにかぶりつきながら、「そういえば今日は長谷川家のおにぎりだけで1日を過ごさせてもらったなぁ」と思った。
後日、長谷川さんに会ったとき、「これ、母からです」と笑って紙袋を渡された。
何かと思って開けてみると、いつもの長谷川家の「しそわかめおにぎり」が入っていた。
文・写真:阪本勇