夫婦で始めた「すみ焼 とりいち」は今、親子で営まれている。母の作るもつ焼きや煮込みという土台があってこそ、息子の天然魚介やエスニック料理が生かされる、曰く“2階建て”の酒場。偏りのない共存、日々平然とした仕事。「続ける」とはどういうことか――彼らの在り方に、「荒木町 きんつぎ」の佐藤正規さんが感じたこととは?
昭和/すみ焼 とりいち
僕/佐藤正規“荒木町 きんつぎ”
「とりいち」阿部一将さんの言う“1階”、つまり母の作る料理は、本人曰く「どこにでもあるもの」。たしかに大衆酒場の定番だが、しかし普通のようでいて、どれも普通ではないのだ。
もつ焼のたれは継ぎ足して42年の、「とりいち」にしかない味。イカの塩辛は一将さんが子どもの頃から食べているおふくろの味で、なぜかニラ入りである。真冬の、太くて肝の多いスルメイカが入ったときだけ仕込み、シャキシャキのニラとニンニクちょっと、ピリ辛の味つけ。子どもはごはんにのせて、大人はお酒と一緒につるりと食べる。
「このシャキシャキっとしたところが肝心ですから、漬けた翌日から数日が一番おいしい。1週間は置かないわね」
幸枝さんが仕込むと、一将さんはツイッターやブログでお知らせ。知っている常連客は欠かさずチェックして、発見したらすぐさま駆けつける。それくらい、みんなにとってもおふくろの味。
一転して、“2階”は一将さんの世界である。
かぼちゃの煮物にはフェンネルシードやターメリック、カイエンヌペッパー、おからにはグリーンカレーを合わせてしまう。といっても奇をてらったものでなく、これらはきちんとインド料理やタイ料理に由来している。
グリーンカレーだって、ココナッツミルクやコブミカンの葉も加えた本気のレシピだし、酢だこを和えた新玉ねぎとパクチーの甘酸っぱ辛いソースは、タイでよく生牡蠣に添えるソース。長年通ったタイでの経験が、「とりいち」の新しい個性になった。
もう一つの柱は、鮪を筆頭とする天然魚介だ。
鮪の仕入れは、錚々(そうそう)たる鮨職人やシェフを顧客にする鮪専門の仲卸、「樋長(ひちょう)」から。
ある日の本鮪は、赤身の旨さが凝縮した背上(せかみ。頭に最も近い部位)を、さらに味わい分ける盛り合わせで現れた。しっとりとした質感の頂点ともいえる三角の身、やわらかなスジ入りは噛んで旨さを味わい、スジ周りのすき身はふわふわの食感、ヒレ下では旨味が爆発する。
「時季、産地、漁(りょう)法を見極めて、海にストレスを与える方法にはNO。産卵期のメスや稚魚まで獲りかねないまき網漁や、鯖や鰯の生餌(いきえ)を食べさせる養殖の鮪は使いません」
じつは一将さん、魚介専門の食育コーディネーターとしても活躍している。
あんこうの吊るし切り体験や、捕鯨船員から鯨の話を聞く会といった食育イベントを定期的に開催。海の恩恵で商っているからこそ、未来の海を真剣に考え、行動するのだ。
「きんつぎ」の佐藤正規さんが尊敬するのは、そういったサステナブルな考えも取り組みも、「とりいち」では押しつけがましくなく「普通のこと」として行われている、というところである。
「お二人の淡々とした在り方です。お母さんにしても超フラットで、何事にも無理がない。お客さんにも左右されず、平然と、毎日を重ねてこられたんだろうなと」
周りがどうこうでなはい、自分の軸を持っている。
無理がない、と言うと、幸枝さんは「そもそも、無理をしたら続けられない」と返した。飲み過ぎのお客には「帰ったほうがいい」とぴしゃり、店が終わったらすぐに寝て、できる範囲を守ってがんばり過ぎない。
なんといっても一番大事なことは、明日もまた炭火を熾(おこ)し、お客を迎えることである。
一将さんが参加してからの「とりいち」には、若いお客も増えた。長年の常連であるおじさんの一人客と、この町に引っ越してきたばかりのカップルが隣り合う。彼らはときどきテレビの声にふと笑い、隣同士ですこし会話して、再びそれぞれの世界に戻る。
佐藤さんはそれを「偏りのない空気感」と感じた。常連だけが特別でもない、初めての人にも居場所がある心地よさ。フラットで、淡々としていて、バランスがいい。居酒屋の理想だな、と思うのだ。
――「とりいちときんつぎ」おしまい。
文:井川直子 写真:キッチンミノル