節度のある調度品に囲まれ、如才ない接客に心和み、瀟洒な空間で古書を取り出す。「くつわ堂 総本店」で『クラブとサロン』。いつの世も人は集い、愉しみ、飲み、食べる。異国の地でも高松でも、そう。差はあれど、根本は変わらないと、思い知る。
今日、持ってきた一冊は『クラブとサロン』。まず目に入る帯文から薫り高い。
「いま、蘇る
情報文化装置」
「情報文化装置」とは「クラブとサロン」のことを指しているのだろう。帯文とは、わかりやすく、読者に歩み寄ることが多いが、ここでは逆に難解な言葉に置き換えられている。
本書の初版は1991年1月、貴花田が千代の富士に引導を渡し、ジュリアナ東京が流行る少し前のバブル崩壊前夜である。日本が好景気だったという時代の影響もあるかもしれない。客に媚びるのではなく、高みに誘い込むような気概がある。
目次に目を通すと「クラブ」「サロン」をテーマに、歴史的なクラブの始まり、ロンドン、パリ、ベルリンなどヨーロッパ各地での発展の様子など、さまざまな側面から多彩な書き手がそれぞれに持論を展開しているようだ。
著者略歴を見てみると、研究者が多いのは頷けるものの、作家やグラフィックデザイナー、前衛音楽家といった異色の書き手も含まれている。装幀の謎めいたコラージュとヨーロッパの老舗ホテルの壁紙のような落ち着いた色調が相まって、この本自体が、秘密結社めいたひとつのクラブやサロンのようだ。
さっそくページを開くと、その始まりに、とある社会学者の見解として、こうある。
「人が集まるものはすべからくクラブである、あるいは特定の約束事のもとに集まる組織はすべてクラブなのではないか」
仲間との飲み会、週末のキャンプ、井戸端会議と言われるようなものまで、私たちは日々さまざまな集まりに参加している。都会では毎日のようにイベントが開かれ、夜になれば多くの人々が居酒屋やバーの席を埋める。そのどれもが「すべてクラブなのではないか」と言われると、ぐっと「クラブ」に親近感が湧いてくる。
そして、本書の副題が目につく。
「なぜ人びとは集うのか」
なるほど、この問いにはいまの時代にも容易には答えが出ないが、誰もが関わる問題である。根源的な問いに対して、本書は「クラブ」「サロン」といったテーマから、答えのヒントを探っていくようだ。
いまを考えるためには、歴史は常にヒントを与えてくれる。ただ漠然と過去を眺めるのではなく、いまを考えるために過去を振り返るのだ、という意識の高さが、この短い言葉に凝縮されている。
さて、「クラブ」という言葉は、いまも日常的によく耳にする。思いつくままに上げてみる。「サッカークラブ」「テニスクラブ」「ゴルフクラブ」といったスポーツ系。「吹奏楽部」や「バスケ部」など、学校での授業外の活動を指した「クラブ活動」。芸能人やアイドル、スポーツチームなどを支える「ファンクラブ」、若者たちがDJの音楽に身をまかせて踊りたのしむ娯楽空間の「クラブ」(発音は異なる)。また夜の街に繰り出せば、銀座や六本木の「高級クラブ」から「会員制クラブ」。果ては、猥雑な場末のクラブまで、全国の繁華街に「クラブ」の名は跋扈している。
「サロン」という言葉も「クラブ」ほどではないにしても、いくつかすぐに思い浮かぶ。「エステティックサロン」や「ネイルサロン」「ヘアサロン」といった美容関連、アート系のギャラリー、または高級デパートの専門スペースにもよく「サロン」の名が冠されている。最近だと「オンラインサロン」といった、インターネット上のコミュニティを指す言葉としても、耳にすることが多い。「クラブ」と比べると、ファッション性が高く、どこか洒落たイメージがある。
意味を調べれば、「クラブ」は「会員制の集まり」「定期的に集まる団体」。「サロン」は「客間」「応接室」「談話を楽しむ社交界」といったものになるが、その言葉のニュアンスは、文脈によって大きく異なる。ここまで広範な「クラブ」や「サロン」はどのように発生したのだろうか。
最初の章では、イギリス、ロンドンに焦点を当て「クラブ」発生の経緯を見ていく。
「イギリスのクラブは、何かある目的のもとに集まった、身内同士の集団……非常にかぎられた範囲の人間ばかりを集めた、排他的で選良性を強く打ちだした組織、それがイギリスのクラブ組織の大きな特徴です。」
イギリスのクラブは規則が非常に厳密だったようだ。入会するのに3年、厳しいところでは16年待たなければいけない、というところもあったらしい。100年住んでやっと地元の人と認められるという京都よりは短いかもしれないが、それに通じる厳格さがある。
「ではいったいこのイギリスのクラブはどのような歴史的背景から生まれたのか。だいたい一七世紀の後半から一八世紀初めにかけてロンドンでコーヒー・ハウスが流行します。それは現在の喫茶店にあたるものであり、男たちの社交場であった。そして、ここからクラブが生まれていったというのが定説になっています。」
驚くことに「クラブ」の始まりは、まさにいまいるようなコーヒー・ハウスにあったようだ。コーヒー・ハウスに集まった人々が会話をし、やがて議論になり、趣味の違い、さらに深くは政治信条の違いが生まれる。そうして類は友を呼ぶがごとくコーヒー・ハウスは分化していき、クラブ・ハウスという専用の場所を持つようになる。ロンドンの曇りがちな天気も影響したのか、コーヒー・ハウスというオープンな場から、じわじわと「クラブという閉鎖的でかぎられた人間の集まり」に変わっていったようだ。
コーヒー・ハウスからクラブへの転換期は、ちょうどイギリスで政党政治がつくられていく時期と重なっている。「クラブ」の本流は政党的クラブのようだが、それ以外の趣味の「クラブ」についての話も興味深い。
「一八世紀にスポーツ・クラブ以外にも園芸クラブみたいな趣味のクラブが、異常な勢いでつくられてきます。また、その趣味の集まりというのが、非常に多種多様で面白い。面白いというか、異常です。」
「面白いというか、異常」とまで書かれている、その例がまた面白い。
「たとえば、みんなで一日中花を見てる、それだけのソサエティができる。それから、<ビーフ・ステーキ・クラブ>というのがある。これはおそらく、その名の通りビーフ・ステーキを愛する者のクラブでしょう。また、入会資格が面白いものでは、<スケルトン・クラブ>というのがある。骸骨クラブという意味ですが、痩せた人間しか入れない。それに対して、<ファットメン・クラブ>という太った人間しか入れないクラブもある。」
微に入り細を穿つような趣味を持つのは、日本人の特性のような気もしていたが、イギリス人も負けてはいなかった。プライドの高そうな紳士淑女が半ば冗談のようなクラブをつくっていたことに親しみを覚える。<ビーフ・ステーキ・クラブ>は、ありきたりすぎるようにも思えるが、時代は十八世紀、日本は江戸時代の真っ只中である。<スケルトン・クラブ>や<ファットメン・クラブ>に至っては、いまあったとしても、まさに異常である。どんな人びとが参加し、何のためにつくったのだろうか。
ひと休みして、珈琲を口にしながら、机の上に目を見やると、定番のガラス灰皿の横にレトロで珍しいスティックシュガー入れが鎮座していた。種類の違う2種類のスティックシュガーがクロスするように収められていて、違う方向を向いてすれ違っているような印象を受ける。あたかも思想を異にするふたつのクラブのようだ。
「クラブ」が喫茶店から始まったのならば、いま本を手にしているこの場所からも、妖しげな「クラブ」が生まれている可能性だって十分に考えられる。昼間はオープンな喫茶店でありながら、夜の帳が下りる頃になると、表玄関のシャッターはぴたりと閉じられ、裏口からひと癖もふた癖もありそうな紳士たちがぞくぞくと集まってくる……ふと、周囲を見渡せば、パラパラと席を埋める客人たちは、どこか眼光鋭い御仁ばかり。彼らもまた、何かの目的に示し合わせて夜な夜なここに集まるクラブ会員なのかもしれない。
そう言えば、この店にも裏の通りからアプローチできる入口があった。そちらから入ると、看板商品の瓦せんべいが焼かれる様子をガラス越しに見ることができるのだが、もしかしたら、それはあくまで表の姿、実は瓦せんべいと見せかけて、その中には……。
本の話に毒されて、ついロンドンを舞台にした探偵小説の世界にでも入り込んだような気分になってしまった。気を取り直して、再び本の世界に戻ろう。
――つづく。
文:川上洋平 写真:佐伯慎亮