香川県高松市。町の中心に位置するアーケード街で、古くから営む喫茶室へと入る。佇まいを目にすれば、喫茶店ではなく、喫茶室と呼びたくなる。襟を正し、背筋を伸ばし、年齢よりも大人びた振る舞いで珈琲を嗜む。甘味のサバヨンクリームと共に。
JR高松駅から琴電琴平線で南へひと駅いったあたりから、高松の繁華街が南西に向かって広がっている。天井高く整備されたアーケード街が縦横に走り、かつての名残りを感じさせる商店と、現代的なショップが適度なバランスで軒を連ねる。総じて見れば、現代的に整えられた住みやすい都市の街並みが形づくられている。
繁華街の北の始まりであるアーケード街の入口には、90年近く前に開業した高松三越があり、そこから南に少し入ったところに、高松中央商店街の交差する場所がある。ティファニーをはじめとする高級ブランドがまわりの軒を占め、高松の繁華街の中でも、一段浮足立つような雰囲気が漂う。ここだけまるで銀座のような気配をまとっている。
その一画に、世界的なブランドと肩を並べながらも、老舗ならではの風格で独特の存在感を感じさせる店がある。
ガラス張りファサードの上部には、壁面と同系色に浮かび上がる「轡堂」の文字。一見なんと読むのだろうかと迷っていると、その下には木彫りの看板がかかる。
「くつわ堂総本店」。
ガラス扉を引いて中に入ると、1階は和菓子店さんとなっていて、ガラスケースに銘菓の瓦せんべいをはじめとした渋い御菓子が陳列されている。無垢の木を掘り上げた木彫り看板や、じんわりと焦げた瓦せんべいのきつね色の顔つき。周りの高級店の中でもさらに一歩下がって街を静観しているかのような、質素な佇まいが、店の歴史と懐の深さを感じさせる。
「くつわ堂」の創業は明治10年、高松三越よりもはるかに古い。となれば、その歴史や瓦せんべいの逸話にも触れたくなるところだが、このシリーズは「古書と喫茶」。目指すところは喫茶とばかりに、1階を横目に見つつ、急ぎ足に2階の喫茶空間への階段を上がる。
ゆったりとした階段を上りきると、階下と同じ雰囲気を保ちながらも、落ち着きのある空間が広がる。少し奥まったアーケード側と、外光の射し込む明るい三越側、少し段差の違う魅力的なフロアが左右に広がっていて、どちらに向かうか迷う。
窓の夕日が射した三越側の奥の席には、スマートなチョッキに洒落たハットの白髪の老紳士がどっかと座り、新聞を広げていている。昔テレビで見た晩年の森繁久彌のようで、どこか大手会社の重役といった風情だ。
1階が和風の老舗店舗だったのに比べ、2階には洋風のニュアンスがあり、NHKの朝ドラを見ているかのような、昭和の懐かしさが隅々に漂う。昭和の懐かしさ、というと古臭いように思えるかもしれないが、この空間には昭和の姿がそのままにそこにあるような清々しい空気が流れている。
座席はホテルのロビーのようにゆったりと配置されていて、木材で組まれた机と、鶯色の革張りの低めの椅子が並ぶ。机の表面の何年も拭き込まれた艶と椅子の安定感が、良質なコーヒータイムを期待させる。床は全面にカーペットが貼られていて、そのせいか、響く音や声が柔らかさを帯びて、雪の積もった日に感じるような、不思議な暖かさがある。
席について店内を眺めれば、天井は無垢の板が一面に張り巡らされ、壁面には大理石や塀のような石材も使われている。店内にはクラシックのBGMがさえずるように流れ、椅子に深く座ると、自然に呼吸がひとつ深くなるかのような静謐な気分に満たされる。まるで昭和のオーセンティックな喫茶を象徴するかのような設えである。
しばらくすると、懐かしい制服スタイルに銀の丸盆を小脇に抱え、スタッフが注文を取りにやってくる。これだけ質の高い空間ならば、珈琲の値が少々張っていても十分に納得できるが、メニューを開いてみると、昭和から時が止まっているかのような良心的な価格が並んでいる。メニューのデザインは、空間とはギャップのある無邪気な可愛さで、コーヒー、紅茶に続いて、ミルク、生ジュース、ミックスジュースにクリームソーダと、純喫茶のお手本のようなドリンクメニューが並ぶ。実際に頼むことはなかったにしても、こういったラインナップは、どこか懐かしく、優しい気持ちにさせてくれる。
2階に上がってきたときには、空間の雰囲気も相まって、自分もダンディな紳士たちの仲間入りをしたような心持ちだったが、メニューを開いてからは、気分は平成の長寿アニメ「ちびまる子ちゃん」のまる子になったようなほのぼの感にとらわれてしまった。もはや、偶然、三越での買い物後の花輪くんとヒデじいに遭遇し、コーヒータイムに便乗させてもらったかのような気分だ。
ふだん見慣れないメニューを見て戸惑う、まる子のような気持ちでページをめくると、甘味メニューもケーキからホットケーキ、カステラにパフェと老若男女に盤石の構えである。少しメニュー酔いを感じながら、コーヒーと一緒にほかでは見たことのない「サバヨンクリーム」なるデザートを頼むことにする。
お店の方に聞くと「サバヨンクリーム」は、フランス語が語源で、オリジナルでつくっているとのこと。さっそくクリームだけをいただくと、溶けたプリンのような濃厚な甘みが口の中に広がる。クリームだけでは甘みが強いが、アイスやフルーツといっしょに食べると、アイスの冷たさやフルーツの酸味と合わさってピントが合う。なるほど、果物やアイスと合わせて、クリームを楽しむといった趣向のようだ。
「サバヨンクリーム」を堪能した後は、ゆっくりとコーヒーをいただく。少し甘みの残る口の中に、飲み始めはしっかりした苦味を感じさせてくれるアダルトな味わいが広がる。しかし飲み終わりはスマートな酸味もあり、颯爽とした去り際を思わせる。どこか紳士のようなコーヒーの味わいとともに、まるちゃん気分とも別れ、今日の一冊を手に取る。
――つづく。
文:川上洋平 写真:佐伯慎亮