50歳のことを中老と呼ぶ。老がつく年というわけだ。それなのに、ラーメン二杯を平らげた。しかも同じスープで。麺は違うけれどね。探し求めて、ひとり彷徨って、愛しのラーメンにたどり着いたんだから、それでいいのだ。最後にはいい話も聞けた。あゝ、長崎は今日も満腹&満足だった。
10年前(正確には6年前)、「太源」のことを教えてくれたお母さんから「『手打ちラーメン』ですよ」、と念を押され、実際それを食べて感激したのだ。だから今回も「手打ちラーメン」を注文したのに、その声が届いていなかったらしい。普通の「ラーメン」がきた。
「つくり直そうか?」という店主に、僕は大丈夫ですと答え、ラーメンをすすり続けた。食べものを捨てるのは抵抗があるのだ。
食べ終えると、腕組みをした。お腹はもういい具合だ。ラーメンはどんなにおいしくても二杯連続はきつい。でもこの10年、思い続けて(ほんとは6年間だけど)、やっと来ることができたのだ。「手打ちラーメン」を食べなきゃ、思いをほとんど遂げていない気がする。
「すみません、もう一杯。『手打ちラーメン』ください」
店主は「いいの?」と訊きながら、「こっちはありがたいけどねえ」などと軽口を言って笑う。相変わらず、すっとぼけた人だなあ。
「だいたいみんな“手打ち”を頼むよ。さっきそれを言おうと思ったんだけどなあ。でも普通の『ラーメン』って言うから」
だから言ってないって!
さあ、来た。二杯目だけに、テンションも上がらず、多少ウップと胸もいっぱい、なかば義務感で、スープをすすり、麺をすする。さらにすする。はあ、と深く息をつき、うんうんと頷き、店主に「これです、これです」と言うと、店主はやさしい顔で微笑んだ。
麺でこんなに変わるのか、と感心してしまった。さっきと同じスープなのに、まるで印象が違う。太めの手打ち麺はコシがあってシコシコしている一方、表面はふわふわしたやわらかい舌ざわりで、スープの香味がしっかり沁みていた。麺の縮れ部にもスープがたっぷり絡みついているから、麺を吸い上げるとじゅるじゅるっと大量のスープが口に入ってくる。豚骨鳥ガラ煮干し鰹節の合わさった香りと、卵麺のふっくらした旨味が混ざって、光沢がぐんと増す。さっきは控えめで印象の薄いラーメンだなと思ったが、こっちはくっきりと輪郭が映え、輝いていた。
ああ、これだ、こういうラーメンが好きなんだよ。得意げな文章で神になったように店を評し、「着丼」などと書くラーメン通の人たちは、旨味も塩分も強い、派手で複雑な味を好まれるようだから、この店のラーメンにはたくさんの星を与えないかもしれない。やさしく、おとなしい味だ。でもそのなかに職人技の絶妙なバランスがあって、食べていてホッとする。さりげなく広がる奥行きがあって、じわじわと胸に沁みる。よくできているから飽きも来ない。二杯目も最後までおいしくいただけたのだった。
「いやあ、旨かったです」
客の多くは地元の常連さんのようで、そういうことを面と向かって言われ慣れていないのか、店主は照れたように微笑んでいる。スープには何を?と遠慮がちに訊いてみると、入れている食材をこと細かに教えてくれた。え、いいの?とこっちが戸惑うくらい、あけっぴろげだ。飄々とした店主には、ストイックに味を追求しているような雰囲気はなかった。再三「普通のラーメンだよ」と口にするその言葉も、謙遜だけじゃないように思えて、なんとなく拍子抜けしたのだが、午後3時、店を閉める段になって、店主の次の言葉を聞いたとき、見方が変わった。
「これからやっと朝食だよ」
「え、朝から何も食べていないんですか?」
「そう、食べると味がわからなくなるからね」
僕を除いて最後の客が帰ると、店主はカウンターの中から出てきた。丼を片付け、テーブルを拭きながら「店はもうそんなには長くないよ」と6年前と同じことを言う。
「あと5年もできればいいんじゃないかなあ」
店主は現在74歳だ。
「カミさんもなくして、いまはひとりだからね。まわりのみんなに言ってるんだ。店が3日閉まっていたら、何かあったと思って、後はよろしくねって」
その言葉に湿っぽさはなかった。表情もからりとしている。独り身でも、ひとりぼっちじゃないんだろうな。
商店街というコミュニティの中の、地元の人たちから愛される店。店主が築き上げたものは、味だけじゃなかった。
「お兄さんはどこから来たの?」
阿佐ヶ谷です、と答えると、「あれま」と店主は目を丸くし、楽しそうに笑った。
「よく行くよ。姉が阿佐ヶ谷で店をやってるんだ。『大福』って店」
「えっ、『大福』?」
あるある。入ったことはないが、阿佐ヶ谷の駅前にある中華系の居酒屋だ。
しかし、この広い東京でよりにもよって阿佐ヶ谷とはなあ。こういう偶然をすぐに“縁”に結びつけるのは、旅人の悪い癖だ。でも旅をしていて、同じ人に何度も会ったり、アフリカの山中で11年ぶりの恩人に再会したり、ということを何度も繰り返すと、目に見えない“糸”を感じるようになる。「太源」の味に惹かれ、再訪したのには、やっぱり理由があったのだ。
店を一緒に出た。
「それ、なんですか?」
「これ?日掛け箱だけど」
毎日、各店が少額ずつ入れて、商店街で管理し、店賃などにあてるらしい。日々のやりくりも大変だった戦後を連想させるが、商店街の絆を深めるのにも一役買っていたのだろう。
「昔はこの箱じゃ足りないくらい、この通りにも店があったんだけどね。いまじゃ9軒だよ」
店主に礼を言って店の前で別れた。
自転車の鍵を外し、サドルにまたがって顔をあげると、店主が日掛け箱を持って、数軒先の店の店主と笑顔で話しているところだった。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ