イタリアはミラノの一つ星「Ristorante TOKUYOSHI」オーナーシェフの徳吉洋二さん。どんなに遠くへ行っても原点を忘れない彼が、いつか「がんばったな」と認めてもらいたいのは、旗の台の焼鳥「鳥樹」店主の相原邦夫さん。技術より何より肝心な、料理人の心と姿勢を教えてくれた人。その背中は、今もこれからも大きいのだ。
昭和/鳥樹 Toriki
僕/徳吉洋二“Ristorante TOKUYOSHI”
お風呂上がりのようにピカピカの丸鶏は、それにしても大きい。鶏の規格には大雛の大と小、中雛の中と小、小雛の小と小という6つのサイズがあり、「鳥樹」では大雛の大、いちばん大きな2.5~3kgもの鶏を使っていたのだった。
店主の相原邦夫さん曰く、大きく育てた鶏は、飼育期間が長い分身がしっかりして旨い。小さい鶏の身は淡白。唐揚げなどには向くけれど、シンプルに肉の味を伝える焼鳥は大雛に勝るものなし、という。
串打ちの考え方も独特で、網から落ちてしまうハツ以外は、焼鳥なのに串に刺さない。
「新鮮な鶏は、焼くとふっくらふくらみますから、ほわっとした状態で食べるのがいちばんおいしい。串にグッと刺してしまうと、身がこう、グッとなったまま焼かれるというか。私の持論ですが」
焼きにも、もちろん持論がある。「鳥樹」ではあえて炭火でなく、電気式の焼き台を選んでいるのだ。炭火では熱量が不安定になるが、電気なら理想の温度帯である860~930度で一定に焼けるから。曰く「炎で燃やさず、熱で焼く」。
焼き台の前に立つ相原さんは、お客の話を聞いて、返して、肉の世話もする。ただし世話は焼きすぎないこと。網の上の肉をほとんど見ていないような気がするのだが、その塩梅は、色や音や匂いで感じるのだろうか?
「いやぁ色を見ているわけじゃないし、音を聞いているってわけでもない。云々じゃなくて、勘としか言いようがないね」
徳吉さんが決まって食べるというネギマは、皮、ぼんぼち(「鳥樹」ではぼんじりのことをこう呼ぶ)、もも、ささみ、横胸などさまざまな部位が混ざっている5本セット。丸鶏だから、いろんな部位の味が楽しめる。しかも丸鶏だから、内臓だってぷりぷり。塩で食べるレバーは濃厚な味わい、しっとりとした舌触りだ。
創業46年。「鳥樹」は相原さんが26歳のとき、夫婦二人で開業した店だ。地元はひと呼吸離れた田園調布だが、高校がこの旗の台の近辺だった。開業費用をつくるため、実家が営む牛乳店で3年働き貯金したそうだ。
親にも、友人知人にも頼りたくない。だから知人には、開店の葉書さえ出さなかった。
「知った人だけで盛り上がるのは好きじゃない。いつも友だちが来ている店なんて、ろくなもんじゃありません」
「鳥樹」では、常連も一見も同じように迎えられる。初めてのお客でもカウンターに座っていれば、いつの間にかみんなと一緒にあっはっは、あっはっは。その明るい輪の真ん中には、やっぱり大将の相原さんがいる。
「食べものって不思議でね、不機嫌だと旨くない。絶対。気分よく食べるとなぜかおいしいんですね。とくに大衆的な店の場合は、感情にかなり左右されると思います。うちは大衆の店ですから」
昭和の時代、お客さんとのつながりはさらに強くて、毎年貸し切りバスで「鳥樹」主催のスキーツアーに行っていたという。時代が変わって、企業の社員旅行も流行らなくなり、「鳥樹」のツアーもなくなった。
だが店内は相変わらずだ。変わったことと言えば、長年通うご夫婦が白髪まじりになり、おじいちゃんに連れられて来ていた孫が、大人になってビールを飲んでいたりするだけである。
親子三代で通っているというご婦人が、ハツを食べながら、「近くに『鳥樹』があって、私はほんとうにしあわせです」としみじみ呟いた。
ああ、旗の台へ引っ越したい。取材者が思わずこぼすと、「そのご相談はこちらへ」と常連客が隣を指差す。
「私、不動産屋なんです」
絶妙のタイミングにまた、あっはっは。
相原さんの周りは、なぜこんなにハッピーなのか。徳吉さんにはわかっている。
「相原さんは、人を大切にする人です。義理を欠いては絶対に信頼を得られない、仕事だって成功しない。それはイタリアでももちろん、同じです」
似ている“親子”だなぁと思う。徳吉さんもまた、人を明るいほうへ引っ張っていく人だ。ぐいぐい、と言うよりも、一緒に行こう!という感じ。
徳吉さんは、親兄弟全員が薬剤師の家で一人だけ料理人を志した。背中を押されてイタリアに渡った彼は今、イタリアと日本、世界のあちこちを飛び回っている。料理人として、日本人のアイデンティティを世界へ伝える人になっている。
だからこそ、「原点」は必要なのだ。
たとえば故郷。徳吉さんは鳥取への恩返しという思いを込めて、地元でのイベントや食材PR、プロデュースを手がけている。たとえばルーツ。イタリア時代、ともに切磋琢磨した古い友人たちは、お互いにシェフとなった今もつながっている。
そして「鳥樹」。帰国中はあちこちから引っ張りだこだろうに、彼は旗の台で「はさみおろし」を食べ、梅入りのグレープフルーツサワーを呑みながら、あっはっはと笑っているのである。
相原さんはいつか超えたい存在なんです、と彼は言った。
「なんというか、いつか“がんばったな”って言ってもらえたらそれでいい」
でも、それは今じゃない。今言われてしまったら先に行けない気がするから、もっともっとがんばった、その先で。
――「鳥樹とTOKUYOSHI」おしまい。
文:井川直子 写真:キッチンミノル