「㐂寿司」の365日。
「㐂寿司」のいくらを小丼で頬張る。

「㐂寿司」のいくらを小丼で頬張る。

立派な筋子を仕入れたら、次は仕込みだ。朱色の煌めく粒が誕生するまでには、念入りな下拵えが欠かせない。漬けつゆにも「㐂寿司」の考えがある。艶やかで美味ないくらになるには、それ相応の理由があった。

仕込みには、塩と熱湯が欠かせない。

仕入れた筋子はすぐに店に持ち帰り、仕込みをしなければならない。通常、いくらは酒と醤油、もしくはみりんを煮立てて冷ました汁に漬ける。その漬け時間も考慮が必要だ。
いくらの仕込みはまず、筋子の状態の卵を、一粒、一粒にバラバラにすることから始まる。
「㐂寿司」四代目の油井一浩さんは言う。
「北海道ではいくら専用の網を使うのですが、私たちはそのまま手でほぐしていきます。大事なのは塩の使い方です。塩を使って揉みほぐしながら、今度は雑味の元になる血の筋や薄皮を洗い流していきます」

河岸から戻るとすぐに仕込みを始める、「㐂寿司」の油井一浩さん。

用意したボウルに筋子を入れて塩を投入する。そこに躊躇なく熱湯を注ぐ。
いくらに火が入ってしまわないと心配になるが大丈夫。まずは熱湯で筋子の外側の膜をチリチリと縮めて、中の粒を取り出しやすくするのだという。
熱湯を入れるとタライの中が一瞬濁り、温度が下がる。すぐに手を使って筋子を揉みほぐし湯を捨て、いくらをざるにあげる。

筋子に塩をたっぷりかける。
大胆に、沸騰湯に近い熱湯を注ぐ。
熱湯を注ぐことで、膜がすばやく剥がれていく。
卵に火が入らないようにすばやくほぐし、湯を捨てる。
再び塩を振る。
今度は水を入れる。粒をほぐしながら、水洗いを繰り返す。

「最初はお湯ですが、その後は水を使います。大事なことは、いくらにしっかりと塩をまぶしてから水を入れること。いくらの粒がきれいにバラバラになるまで、これを繰り返します。この時、いくらの薄皮がカスとなってどんどん浮いてきます。このカスは口に入れた時の食感の悪さの元になるので取り除きます。ただ、いかの薄皮同様、どれだけ取り除いても、完全になくなることはありませんので、ある程度までは徹底して取り除きます」

粘膜や血管といったたくさんの細かな汚れを丁寧に取り除く。

宝石のようないくらが誕生した!

この作業を繰り返すこと5回。ザルにはそれは見事な宝石のような艶を放ついくらが出来あがった。

晩夏から供されている生いくら。出始めは皮が柔らかく粒が小さいが、終わりも近くなると粒は大きく濃厚な味わいになる。

いよいよ、ここから「漬け込み」の作業だが、「㐂寿司」の漬けつゆは他所とは若干、異なる味付けだ。
「うちのいくらの漬けつゆは、鰹出汁に、醤油とみりんを加えた、いわゆる蕎麦だしです。日持ちのことを考えると出汁は入れないほうがいいのですが、いくらの濃厚な味を味わってほしいので、醤油漬けに比べると味付けは控えめでさっぱりとした味わいです。もちろん、だしが入っているので2、3日で味が変わってしまいます。毎日、つゆの味を確かめて、なるべく早く使い切るように心がけます」

店では酢飯を海苔で巻いた「軍艦」、もしくは、小鉢に酢飯を入れ、底が見えないほどたっぷりといくらをのせた「小丼」で供する。
アクセントとなるのがわさび。全体に優しい味なので、わさびの香りが全体を引き締める。塩の利いたシャリと味わうことで、いっそう、いくらの濃厚な味わいが引き立つ。

酢飯の上にたっぷりのいくらをのせた小丼。そのおいしさに、過去にはこちらを3杯おかわりした客もいた。
いくらの軍艦巻き。だし入りの薄味のつゆで漬けてあり、いくらの風味とコクを愉しめる。
筋子の軍艦。いくらのない時季でも、一年中供される。塩がきつすぎず、質のいいものを選んでいる。

パリッとした海苔の食感と香りとの相性も抜群だ。
「いくらが品書きに載るのは11月中旬までですが、筋子は一年中、お出ししています。こちらも、塩がきつくないものを選んでいるので、ツマミでも軍艦にしても食べやすいですね。いくらの季節が終わるといよいよ冬の足音が聞こえてきます」

――つづく。

店舗情報店舗情報

㐂寿司
  • 【住所】東京都中央区日本橋人形町2-7-13
  • 【電話番号】03-3666-1682
  • 【営業時間】11:45〜14:30、17:00〜21:30
  • 【定休日】日曜、祝日
  • 【アクセス】東京メトロ「人形町駅」より2分

文:中原一歩 写真:岡本寿

中原 一歩

中原 一歩 (ノンフィクション作家)

1977年、佐賀生まれ。地方の鮨屋をめぐる旅鮨がライフワーク。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)など。現在、追いかけているテーマは「鮪」。鮪漁業のメッカ“津軽海峡”で漁船に乗って取材を続けている。豊洲市場には毎週のように通う。いつか遠洋漁業の鮪船に乗り、大西洋に繰り出すことが夢。