「㐂寿司」の365日。
「㐂寿司」のいくらは風味絶佳。

「㐂寿司」のいくらは風味絶佳。

美しく艶やかないくらは、秋をめでる鮨種のひとつ。「㐂寿司」のそれは、買い付ける筋子の質のよさもさることながら、仕込みにも美味の秘訣がある。「㐂寿司」が選ぶいくらの条件を知るべく、豊洲市場の仕入れに同行させてもらった。

口いっぱいのいくらで、季節を頬張る。

供された途端、思わず顔がほころび、心が躍ってしまう秋の鮨種がある。漆黒の付け台に映える美しい朱色は、ゆでた車海老同様、色に乏しい鮨屋のカウンターをパッと華やかにし、季節の到来を知らせてくれる。その種こそ「いくら」だ。

「㐂寿司」四代目の油井一浩さんが、早朝の市場を歩きながら、こんな話をしてくれた。
「今年はお盆過ぎには市場にいくらの原料となる筋子が並びましたね。昔は10月にならないと手に入らなかったものですよ。筋子に限らずですが、年々、季節が早くなっているような気がします。常連のお客様の中には、この筋子からつくる生いくらを楽しみにされている人がいて、小鉢に3杯もおかわりをされるのです。うちは丼屋じゃないって言うのですけど、よっぽどお好きなんですね。それでも、やっぱり旨いもんですよ。漬けたばかりの新鮮ないくらは季節を頬張る愉しさがあります」

北海道の道東産の立派な筋子。「㐂寿司」では、鮮度がよく、粒が均一。そして圧倒的に味がいいものを選んでいる。

筋子の買い付けは、数粒を口に入れて確かめる。

生いくらの原料となる筋子は、雌の鮭の腹を割いて取り出したものだ。秋になると豊洲市場のどの仲卸の店先にも筋子が登場する。しかし、値段は本当にピンキリ。筋子そのものの大きさも、粒の色や形もまったく異なる。

早朝の豊洲市場でいくらを仕入れる、「㐂寿司」の油井一浩さん。

一浩さんは赤貝を仕入れる「牧和」という仲卸で筋子を仕入れる。
仲買人の橋本達実さんが、筋子の目利きについて教えてくれた。
「何といっても遡上する前の『沖』で獲れた鮭でなければなりません。いくらは粒の柔らかさが身上なのですが、川に入ってしまうと、粒が硬くなってしまい、口に入れた時に薄皮が残ってしまいます。あとは鮮度ですね。獲ってすぐに腹を裂いて、取り出したものでないと、色が悪くなり、生臭くなってしまいますから」

「標津産は格別!」と太鼓判を押す「牧和」の橋本達実さん。

この日、仕入れたのは北海道・標津産だった。いくらの産地は遡上する河川によって北海道、青森、岩手、新潟などがある。最初に獲れ出すのが北海道の道東で、秋が深まるにつれて獲れる場所は本州へと移ってゆく。しかし、本州で獲れたものは粒が硬く、できれば北海道で獲れたものを使いたいと一浩さんは話す。
「筋子からこぼれた粒を2つ、3つ、口に入れて、その硬さと感触を確かめます。季節が早いものは、さっぱりとした後味ですし、秋が深まってくると、それこそ卵黄のようにねっとりと、濃厚になってきます。仕入れるのは1週間に2、3回です。これをその日のうちに漬け込んで、なるべく早く使い切るように心がけます」

納得した筋子を買い付けたら、早々に店へと向かう。手のかかる仕込みが待っているのだ。

――つづく。

店舗情報店舗情報

㐂寿司
  • 【住所】東京都中央区日本橋人形町2-7-13
  • 【電話番号】03-3666-1682
  • 【営業時間】11:45〜14:30、17:00〜21:30
  • 【定休日】日曜、祝日
  • 【アクセス】東京メトロ「人形町駅」より2分

2019年9月15日~9月23日は夏季休業となります。

文:中原一歩 写真:岡本寿

中原 一歩

中原 一歩 (ノンフィクション作家)

1977年、佐賀生まれ。地方の鮨屋をめぐる旅鮨がライフワーク。著書に『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』(講談社)、『私が死んでもレシピは残る 小林カツ代伝』(文藝春秋)など。現在、追いかけているテーマは「鮪」。鮪漁業のメッカ“津軽海峡”で漁船に乗って取材を続けている。豊洲市場には毎週のように通う。いつか遠洋漁業の鮪船に乗り、大西洋に繰り出すことが夢。