甕で醸した希少なジョージアワインを常に店頭に置いている「ノンナアンドシディ」。オーナーは、初めて甕仕込みのジョージアワインを口にしたときに衝撃を受け、衝動のままに生産者に会いに行き、愛すべきジョージアワインのインポーターになった。その物語を振り返る。
私は“ジョージアワインウイルス”の感染者である。WHO(世界保健機関)はこのウイルスをまだ公には認めていないようだが、ジョージアワインを飲んだ人の大半が感染するらしい。
近年、ジョージアワインウイルスは世界各国で猛威を奮っており、日本でも感染する人が急増していると耳にする。ひとたび感染すると、完治はほぼ絶望的である。
私が“ジョージアワインウイルス”に感染したのは、2016年1月、東京は恵比寿にある食のセレクトショップ「ノンナアンドシディ・ショップ」でのことだった。
女性スタッフであり、オーナー岡崎玲子さんの愛娘の満里さんがワインを黙ってグラスに注いでくれた。白だかロゼだかなんだかよくわからない、濁ったオレンジ色。
知識がないのだから考えるな、感じろ。そう思い、何も訊かず、差し出されたグラスに口を付けた。
こうして私は“ジョージアワインウイルス”に感染した。そう、ジョージアワインの虜になったのです。
満里さんの“ジョージアワインウイルス”の感染元は、母親で「ノンナアンドシディ」のオーナーの岡崎玲子さん、その人。
岡崎さんは、各地で開かれるジョージアワインの試飲会やイベントなどにも参加し、ジョージアワインファンを少しずつではあるが、確実に増やしていった。
岡崎さんが「ノンナアンドシディ」を開いたのは、1995年。イタリア産オリーブオイル専門のインポーターとしてスタートした。輸入販売の経験はなかったが、「イタリア人夫婦が扱うオリーブオイルをどうしても紹介したかった」のがきっかけだった。
「私にはビジネス感覚がないのよ。だから、ビジネスとしてやると失敗するタイプだと思ってきたの」
仮にもあなたは経営者ですね!?矛盾していませんか?とツッコミたくなるが、この人の中ではまったく矛盾していないようだ。
利益の追求よりも、造り手と、彼らの才能を称賛する思いが、インポーター無経験のこの人を衝き動かしてきた。
私が岡崎さんを知ったのは2000年頃。パスタやチョコレートやワインなどのイタリア食材も扱い始めた頃だった。
店に会いに行くと、最近取引を始めた造り手と、その商品の魅力をとうとうと語りはじめた。
「これはイタリアのジェノバで、1790年に創業したお菓子工房のチョコレートなの。つくっている人も素晴らしいし、美味しいのよ。食べみて」
まるで“新しい恋人”を紹介するかのように、生産者の魅力を、自分の言葉で伝えようとしてきた。インポーターというよりも、まるで造り手のファンクラブ会長のような人なのだ。
2009年頃のこと、岡崎さんはジョージアワインと出会った。ミラノの小さなビオのワインバーで勧められたのが、ジョージア産の白ワインだった。
「『こんな白があったの?』って思ったぐらい感動的だったの。白ワインはさらっとしたタイプが多いのに、コクと旨味、それに深みもあったのよ」
それが当時、イタリアでしか流通していなかった甕造りのジョージアワイン「OUR WINE(アワワイン)」だった。
飲んだ瞬間、「ジョージアへ行こう」と決意した。
ホテルへ戻り、ネットで検索した。すると出てくるのは、さっき飲んだ「アワワイン」の生産者、ソリコ・ツァイシュヴィリさんを紹介するサイトばかり。是が非でもジョージアへ行ってみたくなった。
でも、ジョージアという国への行き方がまったくわからなかった。
その後、すぐにアリタリア航空がジョージア直行便を就航した。
「これでジョージアへ行けると思ったんだけど、未知の国だし、言葉もわからないし……。ちょっと怖かったの」
物おじした岡崎さんの背中を押してくれたのが、ふたりの友人だった。
ひとりは大学の後輩で、ジョージアワインを撮影している、コート・ダジュール在住の女性カメラマンだ。彼女に連絡すると、「アワワイン」、「PHEASANT’S TEARS(フェザンツ・ティアーズ)」など5つのワイナリーのワインを送ってくれた。
もうひとりは、在ジョージア日本大使館の初代大使夫人。
「彼女は幼少の頃からの友人。たまたま帰国していたので相談したら、行きましょうよと言ってくれたの」
ふたりの後押しがあり、岡崎さんは単身でジョージアへ渡った。2013年10月のことだ。
「渡航前から輸入するつもりだったの」
生産者に会う前から「ジョージアワインを買う」と決めていたというのだ。
後輩が送ってくれたワインを飲み、その素晴らしさは既に理解していた。こんな素敵なワインを造る人も、ジョージアという土地も素晴らしいに違いないと感じていた。
「ワインを飲んでいると、造り手の顔がなんとなく浮かんでくるの、不思議でしょ」
生産者がイタリア人だろうが、ジョージア人だろうが、岡崎さんにすれば関係ないことだった。自分が惚れ込んだ造り手と、彼らが造るものを紹介したい。その一途な想いだけでジョージアへ飛んだ。
日本で飲んだ、ジョージアワインの造り手全員に会いに行った。
そんな岡崎さんを、ジョージアという国もジョージアワインも裏切らなかった。
――つづく。
文:中島茂信 写真:邑口京一郎
東京生まれ。成城学園中学校高等学校を経て、成城大学文学部マスコミュニケーション学科卒業。24歳のとき、現代美術の有名な画家と一緒に絵を書き始める。1995年にオリーブオイルを生産するイタリア人夫婦と出会う。彼らのオリーブオイルを日本に紹介したいと思い、同年に「ノンナアンドシディ」を創業。
ヴェネズエラ生まれ。高校2年のとき、ロサンゼルス、ニューヨークの芸術高校に留学。9.11を期に帰国。学習院女子大学卒業後、音楽活動を開始する。音楽会社に就職するも退職し、「ノンナアンドシディ」入社。2010年2月、「ノンナアンドシディ・ショップ」開業と同時にオペレーションを担当する。2014年、dancyuでも活躍中のカメラマンの邑口京一郎さんと結婚。