三重県の伊勢市にある「まんぷく食堂」のからあげ丼はソウルフード。宇治山田で育った人たちは、青春の味だと口を揃える。亡き初代が考案したレシピを守り続けて40年以上。先輩から後輩へ、親から子へ、からあげ丼を愛する想いは引き継がれていく。
伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ、「まんぷく食堂」はからあげ丼で持つ♪(「伊勢音頭」風に言ってみました)。訪れるお客さんの9割が、看板メニューのからあげ丼を注文します。圧倒的な支持率を獲得している秘密はどこにあるのか。
鋤柄鈴子(すきがら・すずこ)さんから受け継いで、現在、厨房を切り盛りしている息子の大平(たいへい)さんによると、からあげにする鶏肉は、たっぷりのにんにくと何種類かのスパイスが入った秘伝のタレに浸け込んであるとか。
玉ねぎとともにしょうゆ味のダシ汁で煮て卵でとじ、仕上げにとある種類の胡椒(詳細は秘密)を全体にかけてでき上がり。スパイシーだけどホッとする香りが、丼から漂ってきます。
「何たら鶏とか何々卵とか、そういう特別な材料は使ってないよ。昔からのつくり方でずっとやっとるだけで、言うたらワンパターンやけどな」
ちょっとテレた口調で語る大平さん。おいしいからあげ丼をつくり続けている自信があるからこその控え目なセリフです。
店がオープンしたのは、1975(昭和50)年。からあげ丼は、オープンしてから2年後に誕生しました。考案したのは、鈴子さんの亡夫で料理屋さんの板前を経てこの店を開いた廣彦さんです。
「その頃は、からあげを気軽に食べられる店が伊勢にはなかったからね。でも私は正直、こんなん流行るんやろかって、ちょっと心配してました」と鈴子さん。
ところが、そんな心配はまったく不要でした。安くて旨くてまんぷくになるからあげ丼は、市内の高校や大学に通う男の子や地元の若者を中心に、熱烈な支持を受けます。
からあげ丼は「伊勢の三大ソウルフード」のひとつ。「ソウルフード」という言葉で称えられるようになったのは、地元で人気のローカル誌『NAGI』(月兎舎)が2008年夏号で「愛しのソウルフード」特集を組み、そこに取り上げられたのがきっかけです。しかし、その言葉が使われ始める前から、からあげ丼は伊勢っ子の魂(ソウル)に深くしみ込んでいる食べ物でした。
今は地元を離れていても「これを食べると伊勢に帰ってきた気がする」と、帰省のたびに店に立ち寄る元常連客は少なくありません。
「高校生やったお客さんが大人になって結婚して、奥さんや子どもを連れてきてくれることも多いですね。このあいだは孫を連れてきた人もおりました。嬉しいことです」
鈴子さんは目を細めます。「オヤジも常連でした」と言う高校生も珍しくありません。たぶんもうすぐ、三代にわたって常連という高校生も現われるでしょう。
「ぼくは、からあげ丼と同い年なんです。子どものときから店でウロチョロしてたから、その頃からの“付き合い”のお客さんも多いですね」
からあげ丼とともに成長した大平さんも、店に立ち始めてもうすぐ20年になります。若いお客さんにとっては兄貴的な存在。東京の大学に通っているときに、父親の廣彦さんが50代前半で早逝し、卒業してすぐ母親を助けるために店に入りました。
次回は、常連のお兄さん3人組が、まんぷく愛をたっぷり語ってくれます。
――つづく。
文:石原壮一郎 写真:阪本勇