青春の味はありますか?部活帰りの牛丼、徹夜で勉強したときの夜食うどん、雀荘で食べたカレーライス。豪華な食べ物でもないのに、いつ食べてもなんだかしんみりした想いが胸を満たす味。三重県の伊勢市には、地元の人はおろか、初めて訪れた人も口を揃えて「青春の味だ!」というからあげ丼の店がありました。
「ただいまー」
「あらー、おかえり。ひさしぶりやなー」
この店では、今日もそんなやり取りが当たり前のように交わされています。
三重県伊勢市の近鉄宇治山田駅に隣接した宇治山田駅ショッピングセンターにある「まんぷく食堂」。
訪れる人の目当ては「全国でまんぷくだけ」のからあげ丼、そして店主の鋤柄鈴子(すきがら・すずこ)さんと息子の大平(たいへい)さんの笑顔です。
観光客にとっては、伊勢の名物と言えば赤福や伊勢うどんが思い浮かぶかもしれません。
もちろん、地元の人も赤福や伊勢うどんが大好きですが、強い思い入れを抱いている「三大ソウルフード」があります。
いずれも宇治山田駅にほど近い「喫茶モリ」のスパゲッティ(モリスパ)、「キッチンクック」のドライカツカレー、そして「まんぷく食堂」のからあげ丼。どれも長く愛されている魅惑的なメニューですが、ひときわ癖になるのがからあげ丼です。
私が初めて「まんぷく食堂」を訪れたのは、伊勢うどんに魅了されて伊勢にせっせと通い詰めていた7年ほど前です。伊勢市の隣りの松阪市で生まれ育ちましたが、恥ずかしながらからあげ丼のことは知りませんでした。
伊勢の知り合いの何人かに「伊勢うどんもおいしいけど、からあげ丼も食べてみたほうがええよ」と強く勧められ、「親子丼でもカツ丼でもなく、からあげ丼……?」と失礼ながら多くは期待せず、話のタネと思いつつ店へ。
"まんぷくのからあげ丼”をひと口食べた瞬間に己の不明を恥じました。スパイシーでジューシーで複雑で、それでいて親しみやすい味。見知らぬ顔のひとり客に「ゆっくり食べってってくださいね」とやさしく声をかけてくれる鈴子さん。
キビキビと働く大平さんとアルバイトの若者たち。壁にビッシリ貼られた写真や地元校の甲子園出場決定を報じた新聞の切り抜き。食べ終わったときには、初めてなのに懐かしいお店の雰囲気と衝撃的においしい丼のトリコになっていました。
常連客に長く愛され続けるだけでなく、初めてのお客さんもやさしく受け入れて居心地よく過ごさせてくれるのが、「まんぷく食堂」の懐の深さであり鈴子さんと大平さんのお人柄です。「アットホームな人気店」にありがちな、一見さんには入り込みづらい世界ができているわけではありません。
以来、しばしば訪れては、からあげ丼や新福セット(ミニからあげ丼+伊勢うどん)に舌鼓を打ち、鈴子さんや大平さんと世間話を交わして、身も心もまんぷくになっています。
書くことを仕事にしている身としては、いつかじっくりお話を伺って、それこそ「全国でまんぷくだけ」が持つ魅力の秘密に迫りたいと、密かに思い続けてきました。
今回、ついにその機会が到来!
5回にわたってじっくりお伝えします。
次回はからあげ丼の正体と誕生秘話に迫ります!
――つづく。
文:石原壮一郎 写真:阪本勇