「あの店は味が変わった」とは言うけれど、そんなことは当然なのだ。天候、体調、つくる人、一緒に食べる人、些細なことで食べ物の味は変化する。伊勢のソウルフードのひとつ「まんぷく食堂」のからあげ丼だってそうだ。つくる人が変わっても、多くの人に愛され続けるにはちゃんと理由がある。「まんぷく食堂」シリーズ最終回。
「いつかは帰ってきて継ぐのかなとは思ってましたけど、結構いきなりでしたね」
ズラッと並ぶコンロで次々とからあげ丼をつくりながら、鋤柄大平(すきがら・たいへい)さんはこう言って笑います。父親の廣彦(ひろひこ)さんが亡くなったのは、大平さんが東京の大学に通っていた二十歳のとき。
「父親とは、ほとんど話したことはなかったですね。反抗期が終わる前にいなくなってしまった感じです。家に残ってた本とかメモとかを見て、こんなことを考えてたんやなあ、こういう人やったんやなあと思ったりはします」
卒業後に伊勢に戻ってしばらくたったある日、廣彦さんが残したノートを何気なく開くと、こんな言葉が書かれていました。
「入っただけでワクワクするような店を目指せ」
偶然というには、あまりにもドラマチックです。父の想いは息子に引き継がれました。大平さんはその言葉を心に留めながら、常連さんも初めてのお客さんも同じようにあたたかく迎え、一杯ずつ心を込めてからあげ丼をつくっています。
「まんぷく食堂」の個性を際立たせているのが、壁いっぱいに貼られている新聞の切り抜きや常連客のスナップ写真。地元ミュージシャンの活躍を報じる記事やライブのチラシもあります。増え始めたのは、大平さんが店に入ってから。
「北海道に旅行に行ったとき、札幌のスープカレー屋さんにチラシや写真がいっぱい貼ってあったんです。店とお客さんの距離が近くていい雰囲気やなと思って。帰ってきてさっそく、頼まれてもおらんのに地元のミュージシャンのチラシを貼ってみました」
それをきっかけに常連客から「これも貼って」と頼まれ、どんどん増えていきます。年季が入った状態になっても、一枚ごとに込められた気持ちを思うと、なかなか剥がすことはできないとか。
大平さんが働き出した当初は、母の鈴子さんが厨房で、大平さんがフロアという体制でした。鈴子さんの指導を受けながら、だんだん厨房に立つことが多くなります。同じレシピでつくった直伝の味のはずなのに、最初の頃は「味が変わった」というお客さんもいたとか。
「変わったと感じる人がいるのは、しょうがないですよね。だんだん言われることがなくなって、やっとまんぷくの味がつくれるようになったんかなと」
そういうことを言いたがる人は必ずいるので、気にしなくていいと思います!
……って、もう過去の話ですね。レシピは昔と同じでも、大平さんがつくり上げた新しい「まんぷく食堂」の“味”というトッピングで、からあげ丼はさらにおいしくなっています。
ここにしかない味、ここにしかない雰囲気、たくさんの人の思い出が満ち満ちている店の歴史。父親の廣彦さんから母親の鈴子さん、そして自分へと、伊勢の街になくてはならない宝物が受け継がれようとしています。
「父親と母親は、いいお店といいメニューをつくってくれました。ただ『まんぷく食堂』とからあげ丼を育ててくれたのは、来てくれるお客さんたちです」
「まんぷく食堂」が入っているビルは、けっして新しくはありません。「考えると怖いけど、ここでいつまでできるかなと思うことはありますね」と大平さんは言います。たとえお店の形は変わっても、まんぷくスピリッツはきっと永遠に不滅です!
おしまい。
文:石原壮一郎 写真:阪本勇