東京で喫茶店を見かけなくなった。コーヒーを飲もうと思っても、あちこちで同じマークを掲げたカフェ、というのもちょっと違うような店ばかりが目につく。積極的にドアを開けようとは思わない。けれども、人形町は喫茶店が現役。あそこも、ここも、気になるなぁ。一軒の喫茶店の扉を開けた。
店を出ると、さっきよりは暑さも少しマシになっていた。
2店続けて取材を断られたときはどうしようかと思ったが、結局今回も見事に探し求めていた、いやそれ以上といっていいほどの店に行き着いたのだ。糸に引かれるようにして繋がる、この縁の不思議さよ。偶然の波に身を任せ、流れていると、次第にその糸が見えてくる気がする。旅のおもしろさだなと思う。
ようし、さっきの喫茶店に行こう。今度は大正にタイムスリップだ。
木の扉を開けると、たばこの煙とコーヒーの香りに包まれた。カウンターの中にいた男性に話をする。
「いまは店長がいないので、取材はちょっと」
「あっ、そうなんですね」
笑顔で外に出て、がっくり肩を落とした。はは、まただ。糸はここには繋がっていなかったらしい。
うーむ、もう開き直るしかないな。旅情と、味との出会い、そこの妙を僕は描きたいのだ。この取材スタイルは変えられない。だったら断られて当然。それぐらいに考えたほうがいい。いちいち凹んでなんかいられない。
再び自転車に乗って路地をさまようと、さすが人形町、すぐに気になる喫茶店が現れた。大丈夫だ。断られても平気だ。長谷部誠のように心を整え、扉を開けた。
エプロンをつけた、60歳ぐらいのきれいなお姉さんに迎えられた。
「突然すみません。自転車で懐かしい風情を探す、という記事をネットの媒体に書いている者なんですが、もしよかったら取材を」
「ええ、いいですよ」
早っ!しかも奥にいる店長らしき男性に許可を取ろうともしない。
「暑いですね、今日は。自転車は大変でしょ」
お姉さんはお冷を置きながら、気さくな笑顔で話しかけてくる。断られても仕方のない取材スタイルだけど、でもやっぱりこういう店は好印象だよな。
いまの世は難しい。ネットに何を書かれるかわかったもんじゃない。店側も慎重にならざるを得ない。閉ざしたほうが楽だ。でもそればかりだと、ちょっと寂しい。
この喫茶店「GUCHI」のお姉さんも、「わかい」のおばさんも、僕と向かい合って、受け入れてくれた。そこには、殺伐としていない、和やかな空気があった。
古さからくるやわらかさと、ホテルのロビーのような上品さを併せ持つ店内だった。馬の絵や馬の置物があちこちに配されている。
「マスターが大学で馬術部だったんです」とお姉さんは教えてくれた。店を始めてもう40年になるらしい。
僕は夏でもホットを頼むのだが、今日の暑さは度を越していた。頼んだアイスコーヒーがくると、味も確かめずに一気にズズズッと飲み干してしまった。
うーむ、レポートする気があるのか俺は。でもまだ喉の乾きが癒えない。メニューをめくると、「レモンスカッシュ」に目が留まった。なんだか昭和の香りがするな。
子供の頃、親父と釣りにいった帰りだったか、喫茶店に入ってレモンスカッシュを飲んだ記憶がある。缶ジュースが100円なのに、なぜこれが350円もするんだろう、と思った。飲んでみたら、酸味が強くて、あまりおいしいと思えなかった。それでも350円という、当時の子供からしたら目が飛び出るような値段の迫力に屈し、これはうまいものなのだ、と考えた。
そういや、あのときの親父より、僕は年をとったんだな……。
レモンスカッシュを飲んでみると、酸味がとても心地よかった。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ