昭和の時代に「赤いシリーズ」があった。山口百恵さんが主演の連続ドラマ。赤い色には人に訴えかける何かがあるんでしょうね。迷路のような場所で見つけた赤い暖簾に赤い庇。しっかりと脳裏に刻まれた、その店を目指す。迷う。ここでいいのかと疑惑を持ちながらも、運命の糸に導かれるように、再び出逢った。やっぱり衝撃的なその佇まい。昭和の激流や嵐を乗り越えてきたんだろうなぁ。
「ごめんなさいね、ウチは取材断ってるんですよ。お客さんに迷惑がかかるから」
神田の店に続いて、人形町の大衆中華の店でも同じことを言われ、僕はトボトボと店を後にした。
自由な旅にこだわって、ルートも予定も決めず、出たとこ勝負、見つけた“お宝”――地域で長年愛されてきた店――に突撃取材をする。こんな企画だから当然、取材を断られるという事態は想定できる。でもメンタルの弱い僕は2回続くと、もう凹む。てか、1回でも結構凹む。
あの路地裏の店に賭けるしかない――。いくらか悲壮な覚悟でぺダルをこぎだした。
ところが、そこを目指していくと、なかなか辿り着けないのだ。
「あれ?どこだったっけ?」
さっきは路地をさまよいながら、匂うほうへ匂うほうへと進んで偶然に見つけたのだ。
“自転車お宝探し旅”を始めてから早や30余年。アンテナの感度はそれなりに高くなっていると思う。ただ、注意力が散漫だから、道を覚えない。我ながら呆れるほど方向音痴だ。自分を擁護すれば、迷ってもいい、と思っているから、本能的に道を覚えようとしないところがある。
それにしても本当にあの店はどこに行ったんだろう。確かに、入り組んだ路地の奥の、ややこしい場所にあったけど……いや、ほんとにあったのかな?……禅問答のようなことを始めた。もしかしたら、いつの間にかパラレルワールドに迷い込んで、現実には存在しないものを見たんじゃないだろうか?
このとき、あるいは軽い熱中症だったのかもしれない。“パラレルワールド説”を2割ぐらい本気にし始めたところで、ようやくその店が現れ、ふぅ、と息を吐いた。
大きなテントの庇は無地で、店名もない。「わかい」と書かれた小さな板が入口にかかっているだけだ。
ガラス戸から中をのぞくと、客はさっきより減ったが、まだ数人いる。取材を断られるシーンを見られるのは恥ずかしいな。そんな思いが頭をよぎり、踵を返した。
「もう断られること前提かよ!」
内心そう突っ込まざるをえなかったが、気弱になっていた僕は持ち前の小男っぷりを存分に発揮し、困難に立ち向かう気概をなくしていた。ともかく、もう少し時間をつぶそう。
人形町駅のほうに戻り、路地を探索する。
戦災を逃れた建物か、銅板貼りの家がちらほら見える。“お宝”だらけの町なのだ。
古い喫茶店もあちこちにあった。大正創業なんて看板を掲げた店もある。もしラーメン取材がうまくいったら、その後はコーヒーでまったりしに来よう。
目指す“お宝”は何も古いものばかりじゃない。珍しくて、自分の好奇心をくすぐるものならなんでもいい。
ヘビー級の“お宝”が現れた。
……お店のみなさん、すみません。つい思ってしまいました。――1日に何個売れるんだろう?
いったん通りすぎたが、後からどんどん気になってきた。戻って中に入ってみる。
地球儀のバリエーションって、色やサイズが違うだけじゃないのかな、と思ったが、大間違いだった。木製スタンドの高級感あふれるものや、ムードライトのように光るものなど、インテリア用も充実していて、見ているだけで楽しい。
月を精巧に描写した「月球儀」というのもあって、へえと感心したが、なんと「火星儀」まであった。赤茶けたその球体にも「エディ・クレーター」や「ハリス・クレーター」など、地名が細かく記されている。
天文マニアの知人から聞いた話が思い出された。新しい小惑星を見つけると、発見者が命名できるらしい。その知人は自分が発見した小惑星に「Takoyaki」という名をつけ、国際学会でも承認されている(「Umeboshi」はなぜか却下されたそうだ)。
エッ!?と目を疑うような商品があった。直径10cmほどの地球儀が、ミラーの台の上で宙に浮かび、自転しているのだ。店の人に訊くと、予想通り、というかそれしか考えられないが、磁力で浮いているらしい。自分にしては珍しく物欲が湧き、値段を訊いたら、9,800円とのこと。おお、それなら!……でもま、結局、買わないんだけど。
癒し効果もあるらしい。空中でくるくると音もなく回っている地球を見ていると、なんだか楽しい気分になってきた。
ようし、じゃあ勝負にいこう。
さっきのラーメン店「わかい」に戻ると、まだ客がふたりいた。構わぬ。進め。引き戸を開ける。厨房には若いイケメンがいた。接客係はお婆さんというには失礼な、でもそれなりにお年を召された女性だ。企画の主旨を伝え、取材をお願いすると、おばさんはちょっと戸惑った顔をしたが、「いいですよ」と言ってくれた。はあ、よかった。急に緊張がゆるむ。丁重に礼を言って席につき、店内を見回した。
木のカウンターや木の椅子が、まるで紙やすりをかけたように角が丸くなっている。温かい雰囲気だ。どれだけ時間を経てきたのだろう。おばさんに訊いてみると、創業は60年前らしい。古い店だろうと思ったが、想像以上だ。
おや?と店の一角ににわかに惹きつけられた。
「これってもしかして……」
「そう、レジです」
「私の家は代々飲食業をやっていたんです。このレジはもともと昭和初期に創業した店で使っていたものだから、ずいぶん古いと思いますよ」
いまも現役だという。いいなあ、こういう店は。ものを大切にする。その精神が、味にどう影響するだろう。
折に触れ、思うのだ。特に家電などは、いまはどれもこれも10年待たずに壊れ、買い替えが推奨される。そんな時代に、ものを大切にしなさい、なんて教えを、子供にどう言えばいいのだろうか。
昔の家電は強かった。僕の電気炊飯器、サンヨーの「元気くん」は学生時代からのだから30年は使っているが、いまでも元気くんだ。一度の故障も不具合もない。
話が大きくなるが、いまや経済は大量消費に支えられている。それはそれで結構だと思う(ほんとは思わないが、仕方がない)。ただ僕はついていかない。ものを大切にし、長く使い続ける。人のそんな愚直さに愛しさを覚える。角が丸くなったカウンターも椅子も、そのままでいい。時間の蓄積が旅情を生むのだ。旅情に勝る香気はない。
ところで、この“骨董レジ”とは別に、普通のレジも使っているのだろうと思っていたら、レジは本当にこれしかないという。うーむ、それはすごい。でも時節柄、気になってしまう。このレジは軽減税率に対応しているだろうか?
「ところで」
とおばさんに尋ねられた。
「どうやってこの店を知ったんですか?」
たまたま目にしたんです、と答えると、おばさんはとても意外そうな顔をして言った。
「よく見つけましたねえ」
ホント、おっしゃるとおりです……。
――つづく。
文・写真:石田ゆうすけ