明日、2019年9月29日。ラグビーワールドカップ2019に出場中のジョージアは熊谷ラグビー場でウルグアイと対戦する。応援しています。そのジョージアがどこにあって、西と東がどんな気候なのかは教えてもらった。じゃあ、ジョージア人って一体どんな民族なのだろうか?そしてどんな伝統があるのか?
これまで幾度となくジョージアへ足を運び、ジョージア人の気質もよく知る、首都大学東京(東京都立大学) 人文社会学部教授の前田弘毅先生は言う。
「ジョージア人は陽気で、宴会も客人をもてなすことも大好きな民族です。遊びに行くと、手料理と自家製ワインを気前よくふるまってくれます。自分達の食べものが少なくても歓待してくれる、それがジョージア人です」
宴会には「タマダ」と呼ばれる宴会リーダーが欠かせない。タマダのスピーチを聴きながら、ワインを飲み干していく。
「平和、祖国、友人、新しく生まれた命などに杯は捧げられます。宴会では、誰からともなくポリフォニーを歌い出します」
ポリフォニーとは、複数の異なる節を分担し、協和して音楽を奏でる、ジョージアの伝統音楽である。しかもアカペラで唄うところに特徴がある。
こちらがジョージアの伝統音楽、ポリフォニー。宴会ではこれが欠かせない(歌が始まりますので、音声にお気をつけください)。
実は、私が東京・恵比寿の食材とワインを扱う「ノンナアンドシディ」で初めてジョージアワインに出会ったとき、女性スタッフはPCで「ポリフォニー」の動画も観せてくれた。
ジョージアの風景や、クヴェヴリワイン(甕でねかせた伝統的なワイン)を造っている様子。そのワインを飲んでいる人々などが映っている画像を編集したものに、ポリフォニーが入った数分間の動画だった。
ジョージア語の歌詞はまったく理解できない。けれど、彼の国から遠く離れた東京の一角で、ポリフォニーを聴きながら飲むクヴェヴリワインは格別だった。
グラスを片手に聴くポリフォニーは、幸せの矢だった。美しい旋律が、何度も何度も魂に突き刺さった。ポリフォニーに感動したのも、ジョージアに魅了された一因だった。
ワイン好きで、もてなしの文化があり、人情味あふれるジョージア人。
そんな彼らの気質は、悲しい歴史の裏返しとして、DNAに埋め込まれているのかもしれない。
この国は、ヨーロッパ、アジア、ロシア、中近東を結ぶ十字路に位置する。長い歴史の中でモンゴルやイスラム諸勢力などに侵攻されてきた。帝政ロシアの支配下におかれた後、ソビエト連邦の植民地になった。
何世紀にも渡り、悲劇を体験してきた民族だからこそ優しくなれる。「タフでなければ生きて行けない、優しくなれなければ生きている資格がない」。そんなフィリップ・マーロウ的な気質が、ジョージア人にもあるのかしれない。
首都トビリシ郊外に女性の像が鎮座している。片手には客を歓待するための酒杯を掲げ、もう片方の手には侵入者を迎え撃つ剣を握っている。
前田先生はさらに人々の暮らしぶりについても教えてくれた。
「イスラム教徒に侵略されると、ぶどう畑が焼き払われました。ジョージア人の大半がジョージア正教徒。そんな彼らにとってブドウとワインは国の象徴なんです」
ジョージアには、在来品種のぶどうが500種以上ある。そのぶどうを混ぜずに、単一品種で造るのが、ジョージアワインの特徴のひとつ。
「しかも地域ごとに栽培するぶどうが違うため、東と西では異なるワインが造られています。だからジョージアワインは楽しいし、面白いんです」
ところが、(公には)数品種のぶどうを使ったワインしか造っていなかった時代がある。ソビエト連邦の植民地だった時代だ。正確には、「造ることができなかった」のだ。
「ソビエト政府が造らせなかったのです。ソ連時代、ジョージアのワイナリーは国営化されていました」
どんな場所でワインを造っていたのかつまびらかではない。けれど、「ある意味近代的な工場だった可能性が高い」と前田先生は説く。
ソ連というと、近代化とは真逆の、旧態依然の世界をイメージする。ところが、「日本よりもはるかに進んでいた部分もあった」と前田先生は説明する。
「どの家にもセントラルヒーティングが完備されていました。ガス、水道、電気などのインフラは当たり前でした」
1991年4月、ジョージアは、ソビエト連邦から独立。
その4年後、前田先生は初めてジョージアの土を踏んだ。当時、セントラルヒーティングも電気もガスも水道も止まっていた。
「暖を取るために石油ストーブを使い始めたのですが、マッチを初めて見たというお婆さんもいました」
マッチのない生活って、どんな暮らしだったのだろうか。セントラルヒーティングのある家に住んだことがない私には、まったく想像できない。
もうひとつ前田先生が体験したエピソードを紹介する。
ジョージアの首都・トビリシに留学した1996年頃の話だ。
「ホームステイ先の家に高校生の息子がいました。夏休みにコーカサス山脈にキャンプへ出かける際、『水を飲みに行くんだ』って言うんです。『水の味は沢ごとに違うから、それを楽しむんだ』と」
開高健が、岩清水の話を『最後の晩餐』(光文社文庫)などにつづっている。春先の銀山湖(新潟)は、沢ごとに水の味が異なり、甘露な水のハシゴをした、というような話だ。
前田先生から高校生の話を聞いたとき、ジョージアにも開高健のような感覚の持ち主がいることに驚かされたし、ジョージアの岩清水を飲んでみたいとも思った。
「支配者が変わるたびに、文化が破壊されてきました。ジョージア人には、自国の自然を楽しむ文化もあれば、文化意識も高い。ナチュラルワインに対する意識は、フランスと同等か、それ以上だと感じます」
それはなぜなのか?
「混じりっ気のない、自分達のワインを飲みたい意識が強いんです」
だからこそ彼らは、単一品種のぶどうでワインを造るのかもしれない。
――つづく。
文:中島茂信 撮影:オカダタカオ/邑口京一郎 動画:邑口京一郎
1971年、東京生まれ。東京大学文学部東洋史学科卒業、同大学大学院人文社会系研究科博士課程修了、博士(文学)。大学院在籍中にグルジア科学アカデミー東洋学研究所に留学。北海道大学客員准教授、大阪大学招へい准教授、首都大学東京都市教養学部准教授などを経て、2018年より現職。米ミシガン大学、スタンフォード大学、イェール大学で招待発表を行なうなど、ジョージア史の世界的な権威として知られる。著書に『多様性と可能性のコーカサス』(編著、北海道大学出版会)、『ユーラシア世界1』(共著、東京大学出版会)、『黒海の歴史』(監訳)、『コーカサスを知るための60章』(編著)、『イスラーム世界の奴隷軍人とその実像』(ともに明石書店)、『グルジア現代史』(東洋書店)など。HPはhttps://www.hmaeda-tmu.com/。 2019年11月1日より公開されるドキュメンタリー映画「ジョージア、ワインが生まれたところ」(https://www.uplink.co.jp/winefes/ )の字幕監修を務めている。