夏の終わり頃に現れてはあっという間にその姿を消してしまう墨いかの子、新いか。舌の上を滑るように滑らかで、噛み締めればとろけるように柔らかく、ミルキーな甘さで満ちてくる。9月中旬頃までの限られた美味である。
8月の声を聞くと市場に墨いかの子、「新いか」が姿を見せ始める。
新いかの旬は短い。お盆過ぎのある日を境にして、まるで海の底から湧くように一気に出盛り、数週間で姿を消す。 昔から、江戸前の鮨屋の夏は「こはだの子、新子で始まり、新いかで終わる」と相場は決まっているのだ。そんな夏の終わりの風物詩を目当てに、「㐂寿司」の暖簾をくぐる客は後を絶たない。
「㐂寿司」四代目の油井一浩さんが言う。
「店に入ってくるなり、新いかあるかいって。ありますよ、と言うと、小さいの握ってくれって、みんな口を揃えるんです。サクサクと歯切れのよい歯ざわりが墨いかの魅力ですが、生まれたばかりの新いかは、旨味は乏しいですが、ツルリとした独特の食感と儚(はかな)い甘味が魅力です」
一浩さんはの理想は、新いか1杯で1貫を握る「丸づけ」だと言う。9月に入ると新いかも大きくなるので、1杯で2貫の「割りづけ」で握るという。
早速、その「丸づけ」を握ってもらった。酢飯を包み込むような、優しい姿をした握りの可愛らしいこと。最後に、サッと塗られた煮切り醤油が、新いかの清らかで透き通るような美しさを際立たせる。
ヒョイと口に放り込む。一浩さんの言葉どおり、官能的な食感の中から、本当にピュアな、儚い命の躍動感が立ち上がる。やや硬質な酢飯との一体感が何ともいえない。1年に1度、この味を求めてやってくる客の気持ちがよくわかる。
新いかは温暖な鹿児島の出水、熊本の天草など九州で揚がり始め、徐々に北上して愛知の三河、東京の小柴でお終いとなる。
ただ、子いかの成長は驚くほどに早く、潮の影響を受けると、同じ場所でも数日で見違えるほど大きくなる。新いかが獲れる期間は1ヶ月もない。
「新いかは氷水に入ったものではなく、氷を敷き詰めた下氷(したごおり)に並べられているものから選びます。水を吸ったいかは、水ぶくれして重くなり、値段がその分、高くなるのです。だから、なければ仕方ありませんが、選ぶ時は水を含んでいない、氷を敷いた上に並んでいるものを買うのが鉄則です」
墨いかの下処理は、胴体とゲソを切り離すことから始まる。指で甲羅を押し出し、同時にゲソを引っ張り出す。
墨いかはその名の通り、墨にまみれているから、水洗いをしてきれいに洗い流す。そして、胴体の面と裏にある薄皮を濡れ布巾を使って丁寧に剥がす。新いかの身は極端に柔らかいので、神経を集中させないと指で破いてしまう。下処理にそれなりの手間がかかるので、鮨屋泣かせの種とも言われているのだ。
そんな話をしていると、一浩さんがこっそり、新いかが本当の意味で鮨屋泣かせの種であるのは別の理由があると教えてくれた。 実はあまり知られていないが、新いかは目の玉が飛び出るほど高い。初物になると国産本マグロを超え、1kgあたり6万円にもなることもだってある。
「新いかは1杯、およそ50gなので1kgでおよそ20杯とれます。初物のキロ6万円なんかに手を出したら、原価で1杯、3,000円ですよ。商売でやるなら9,000円いただかないと割りが合わない。だからと言って、たかがいかにそんな値段は付けられないでしょ。だから初物には手が出さないんです。キロ単価が10分の1に落ち着いた頃に買うのですが、それでも高い。結局、どんなに握っても儲からないんです」
新いかがそんなに高価なんて客は想像もしないので、8月になると「新いかあるかい」「小さいのちょうだい」とやってくる。お客さんの顔が浮かぶので、一浩さんも買わないわけにはいかない。
また、新いかを買い求めるのは、江戸前の天ぷら屋か鮨屋、しかも、それなりの格のある店でなければ買う体力がない。市場を歩いていると、「新いか買ってもらえないかな」と仲買におっつけられることもしばしばだと苦笑いする。
「買ってくださいはいいけど、いくら、と聞くとキロ3万円だという。それでも、お願いします、と頭下げられたら付き合いもあるので、買わないとは言えない。お互い様って言いながらも、本当は冷や汗をかいているんです」
初鰹に小判を積んだ江戸っ子ではないが、新いかもまた買う側の意地が物の言う鮨種なのである。
夏の終わり、過ぎ行く季節に思いを馳せながら、新いかの握りをつまむ。また、来年と心の中でつぶやく。こうして「㐂寿司」の夏はあっという間に終わるのである。
――つづく。
文:中原一歩 写真:岡本寿