腐ってもイネ。そんな言葉を感じながらの草取りは、名人の助けによって、なんとか格好がついた。当たり前のように食べてきた米。おいしくなる条件ってなんだろうなんて考えながらも、田んぼに入ると、おいしいとかおいしくないとか、本当は二の次。兎にも角にも、元気に穂を実らせてね。そう願うばかりです。
「もう限界、撤収!」というセリフが口から出かかったとき、突然あらわれた謎の人物。田んぼの中の雑草を、まるで掃除機のようにきれいに取っては、畦にバンバン放り投げる。ぼくはその鮮やかな手さばきに見とれた。
イネの束を中心に、両手をなめらかに回転させながら、雑草を根こそぎ取りさっていく。ぼくと比べると、3倍以上のスピードでズンズンと前に進む。しかもその後には雑草が1本も残っていないのだ。
と、彼が手を止めてぽつりといった。
「これは立ち腐れしているな」
「えっ、腐ってるんですか?」
「ほら、簡単に抜けるだろう」と、泥から引き抜いたイネを彼は掲げてみせた。葉の一部が黄色く変色しているのがその証拠だという。イネを元の場所に埋めもどすと「育つのは育つ、たいして実らないけどね」という。
聞くと、泥に植えつける「深さ」がよくなかったらしい。3cmくらいに、浅く挿すのが正しいという。「植える」というより、泥にソフトに「置く」という感覚だそうだ。いやー、それはショックだ!
思い起こせば、水底の泥は表面がフワフワした感じで頼りなく、田植えでは苗をぐっと深く挿してしまうことが多かった。きっと取り返しがつかない失敗がところどころにあるぞ。ぼくが青くなっていると、「ほかはだいたいうまく根づいているからいいんじゃないか」と、慰められた。
その人の名は小林昇二さん。ここ魚沼で米づくりに長年携わった達人だ。実は米づくりのベテランの米農家にぜひ話を聞きたい、と現地スタッフに希望を出していた。それを知って、この日わざわざ駆けつけてくれたというわけ。話をするだけのつもりだったが、いざ来てみると、ぼくらの草取りの、あまりの稚拙さに、見るに見かねて田んぼに入ったのだという。ほんとに、すいません。
しかし、せっかくの機会を逃すわけにはいかない。ぼくらは草取りを早々に引き揚げて、米づくりの秘訣を聞くことにした。
小林さんの答えは「豊富な水と日照と良質の土」と実にシンプルなものだった。魚沼の土は粘土質で最良だとか。これがおいしい米をつくる秘訣。でも味とともに豊作か不作かを決定するのは、やっぱり天候だ。昨年(2018)は雨が降らず水不足で、育ちが悪く苦労したという。
「米づくりで一番いい天気というのは何だと思う?」
うーん、なんでしょう?
「かんかん照りが続いて、夕立があること」だそうだ。太陽の光がいっぱい降り注ぎ、水がたっぷりある田んぼでこそ、イネは伸び伸びと育ち、りっぱな穂をつける、ということ。しかも刈り取りのときに、雨が続いて田んぼから水が抜けないと、刈り取り機が泥に埋まって動けなくなる。ただ水が豊富というだけでもダメ。お日様と雨とのバランスが大切なのだ。
小林さんは棚田を160枚も持っているという。棚田ばかりなので、米づくりにかける労力は並大抵のものではない。
最近の稲作は平地の大規模農家を中心に機械化が進んでいる。ぼくらが苦労した畦の草刈りでは、すでにラジコンの草刈りロボットが活躍する田んぼもあるとか。最近は、自動車メーカーが中心となって、合鴨農法にヒントを得た田んぼの雑草対策ロボットも研究開発されているという。稲作も田植えから草取り、収穫まですべてロボットに頼る時代が、すぐにもやってくるかもしれない。小林さんの話を聞いていると、そんな気がしてきた。
いや現実は、ロボットがいないと、日本ではお米ができない、そういう時代になりつつあるという。この日本を代表する米どころ魚沼でも、稲作に携わるのは、60代、70代が中心で、80歳を超える大ベテランもいる。いま63歳の小林さんはまだ「若手」といってもいいくらいだ。しかもほとんどの農家には後を継ぐ人がいないらしい。つまり近い将来、ロボット稲作は避けられないし、それが実現できないと、田んぼが日本から消えてしまうことにもなりかねない。なんとも厳しい話だなあ。
でも、小林さんにとって当面の悩みは、もっと別のところにある。
「陽が射す日が少なすぎる」
その言葉を聞いて、ぼくも急に不安になった。東京に戻っても、明日からは毎日、魚沼の天気をチェックしよう。そして、また1ヶ月後にこの田んぼに戻ってこよう。
ここで最後に、魚沼産コシヒカリのすぐれたところについて、ひと言つけ加えます。小林さんによると、それは冷えてもなお、旨い!というところだとか。そういえば朝食の握り飯のなんとおいしかったことか。
次回は草取り第2弾の報告。またしても驚きの連続です。
――つづく。
文:藤原智美 写真:阪本勇